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ツッコミ!【第18回】親鸞聖人の即得往生の解説

第18回がアップされました。
 ↓↓↓
【第18回】親鸞聖人の即得往生の解説
http://shinjin.info/2008/10/261639156.html

サーバーメンテナンスの都合で、更新が遅れてごめんごめん。汗

弥陀の「若不生者、不取正覚」の仏意を、釈迦は『成就文』に「即得往生、住不退転」の八文字で解説された。

あ~ん?
毎度毎度、親鸞聖人の言葉に基づいて丁寧に教えてあげているんだから、
親鸞聖人の教えに基づいて論を構築してね(苦笑)。

↓↓↓

【若不生者 不取正覚】
★「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。
不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、
至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生まれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。
『尊号真像銘文』(1)

★「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。
『尊号真像銘文』(10)


至心信楽をえたるひと→わが浄土に生まれる!
ちかひを信じたる人→本願の実報土に生れる!


「来迎」といふは、「来」は浄土へきたらしむといふ、これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。穢土をすてて真実報土にきたらしむとなり、すなはち他力をあらはす御ことなり。
『唯信鈔文意』


若不生者のちかひ=穢土をすてて真実報土にきたらしむ!


【即得往生、住不退転】
★「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという、「すなわち往生す」というは、不退転に住するをいう。「不退転に住す」というは、即ち正定聚の位に定まるなり、「成等正覚」ともいえり、これを「即得往生」というなり。
『唯信抄文意』


信心をうれば→すなわち往生す=不退転に住す=正定聚の位に定まる=成等正覚=即得往生


そんでもって『尊号真像銘文』の(1)の方を読むと、
「若不生者 不取正覚」よりも時間的に前の時点で、

真実信心をえんとき→摂取不捨の心光にいる→定聚のくらいにさだまる

とあるわけよ。


★如来より御ちかいをたまわりぬるには、尋常の時節をとりて、臨終の称念をまつべからず。
ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。
この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり。
『尊号真像銘文』



つまり「即得往生、住不退転」と「若不生者 不取正覚」を時間軸上に配置すると、

 真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・・・→極楽浄土へ往生→成仏
             ↑                ↑
          「即得往生、住不退転」      「若不生者 不取正覚」

となるわけですわ。


「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」とは、
まともな知能があれば、絶対に言えませんわね(苦笑)。


親鸞聖人が、「若不生者、不取正覚」=「即得往生、住不退転」じゃなく、
両者を全く別ものとして取り扱ってるおられるのに、
それを全く無視するっていうのはどうよ(苦笑)。

というわけで、

13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。




しかも、このヘンテコドグマのために、
===★「死後の往生」を否定するチューリップ企画===
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆親鸞聖人の教えは、「本願成就文」以外にありません。(6月19日)
 
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
 
 
 
『親鸞聖人の教えは、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
 
☆「本願成就文」の教えはイコール「本願文」(6月19日)
 
 
 
『「本願文」には、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆『本願成就文』にも『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても、(6月23日)
 
 
『「教行信証」にも、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆不体失往生した人が、体失往生できないということは絶対にないのだから、不体失往生に阿弥陀如来は、「若不生者」と正覚を懸けられているのだよ、という親鸞聖人の教えです。(6月23日)
 
 
『阿弥陀如来は、「死後の往生」に正覚を懸けていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
===★「死後の往生」を否定するチューリップ企画===
 ↑↑↑
こういう新たなヘンテコドグマも作ってるわけです(苦笑)。

というわけで、

14,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というヘンテコドグマを主張するチ●ーリップ企画(=親●会)は、同時に「死後の往生」を否定するという、新たなドグマをも主張している。




あと、この問題に関しては、何回も教えてあげてるんだから、
もうそろそろ理解してくれませんかね(苦笑)。
 ↓↓
====あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。====
★「本願を信受する」とは、「本願に疑いが晴れる」ということです。
 
  尊号真像銘文には、以下のように記述されています。
 
『信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり。この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。』
 
 
 つまり、「本願を信受する」=「至心信楽をえる」ということです。
 
 貴方の根拠は、「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、「若不生者」については触れられていません。
====あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。====

====そろそろわかってよね====
「信受本願 前念命終
即得往生 後念即生」(愚禿抄)

「前念は後念のために因となる」(教行信証行巻、p.283)


このことから、
「信受本願(信楽を獲る)」が【因】で、
「即得往生(不体失往生)」が【果】であることが、鮮やかに分かります。
 
====そろそろわかってよね====


ここで、もう一回さっきの時間軸上に配置した図に戻るんだけど、

 1)      2)                3) 
 真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・・・→極楽浄土へ往生→成仏
   ↑          ↑                ↑
 「信受本願」    「即得往生、住不退転」      「若不生者 不取正覚」
  =前念(因)     =後念(果)     


ということが、よい子のみんなはわかるよね??


★しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。『教行信証』証巻

とあるように、1)と2)は「即のとき」というように、
時間を介在しないから同時なわけだけど、
明確に因果関係にあるわけで、
こいつをイコールにしちゃ絶対だめだよん(苦笑)。

>正定聚不退転(信楽)
 ↑
何度も言うけど、こういうことを書いてるだけで、
親鸞聖人の教えが全くわかってないことが、一発でわかっちゃうのよね(苦笑)。

しかもチ●ーリップ企画は、2)と3)までイコールだっていうんだから、
そのヘンテコさには、もう苦笑するしかないですわね(苦笑)。

チ●ーリップ企画の主張は、1)の「真実信心を得る」ことと、
3)の「極楽浄土へ往生」することの区別がついてないとしか思えませんな(苦笑)。

ますますヘンテコドグマにターボかかってますよ(苦笑)。
本当にこんなこと言ってていいの?(苦笑)


15,ヘンテコドグマを主張し続けているために、「真実信心」を得ることと「極楽浄土への往生」の区別がつかなくなっている。




・・というわけで・・。
以下はヘンテコドグマに基づく解説(苦笑)。
 ↓

その「即得往生、住不退転」の釈迦の教えを、親鸞聖人は『愚禿抄』に、次のように解明されている。

「本願を信受するは、前念命終なり。(即ち正定聚の数に入る。)
即得往生は、後念即生なり。(即時に必定に入る。又必定の菩薩と名くる也)
他力金剛心也と、応に知るべし。
便ち弥勒菩薩に同じ、自力金剛心也と、応に知るべし。『大経』には次如弥勒と言へり」

先ず、「本願を信受するは、前念命終なり。(即ち正定聚の数に入る)
即得往生は、後念即生なり(即時に必定に 入る。又必定の菩薩と名くる也)」
の意味からお聞きしよう。

これは一体、どんなことを仰っているのだろうか。
「本願を信受する」とは当然、漢字三十六文字の阿弥陀仏の本願を「信受する」ことである。決して「若不生者不取正覚」の抜けた、二十八文字の本願でない。
その三十六文字の弥陀の本願を「信受する」とは、どういうことだろう。

「信受する」とは、まことであったと明らかに知ることであり、ツユチリほども疑いのなくなったことをいう。釈迦や親鸞聖人、蓮如上人は、明信とか、真知、明知と言われていることだ。

弥陀の誓いの三十六文字にツユチリほどの疑いもなくなったことを「本願を信受する」と言われているのである。
親鸞聖人のお言葉で一例を挙げれば、
「まことなるかなや、攝取不捨の真言、超世希有の正法」 (教行信証)

「攝取不捨の真言」も「超世希有の正法」も同じく弥陀の本願のことであるから、本願三十六文字の誓いに「ウソはなかった」「まことだった」と仰っているお言葉である。
決してこれは、「若不生者不取正覚」の八字を抜いた、弥陀の本願のことではないのだ。

されば「ウソではなかった、まことだった」親鸞聖人のお叫びは、「若不生者不取正覚」のお約束「まことだった」と仰っていることは明白である。

「若不生者、不取正覚」とは、「必ず生まれさせる、若し、生まれずは正覚を取らぬ」ということだから、「生まれていない」者には「若不生者」の誓い「まことだった」とは言えない。いま「生まれた」から言えたのだ。死んでからのことなら、生きているときには言えないことである。

だが「死なねば」「生まれる」ということはないから、親鸞聖人は「本願を信受した」とき死ぬのだと、「心(前念)が、死ぬ(命終)」と仰っている。
「本願を信受するは、前念命終なり」が、そのお言葉である。

「心(前念)が死ぬ(命終)」と同時(後念)に、「若し、生まれずは正覚を取らぬ」の誓い通り、「信楽(不体失往生)」に生まれると仰っている。
これを『愚禿抄』には「後念即生なり」と言われている。「即生」とは、本願を信受した一念に「死んで生まれる」心の誕生(信楽に生まれる)を言う。

親鸞聖人は『愚禿抄』で、『成就文』で釈迦が「即得往生」(即ち往生を得る)と言われているのは、「即得往生住不退転」(不体失往生を得て、不退転に住す)することだと説き、正定聚不退転(信楽)の身になることだと鮮明にされている。

名号を聞信した一念に、弥勒菩薩と同等の正定聚(必定)の菩薩にしてみせる、というお約束が「若不生者不取正覚」の誓いであると仰っているのが、『愚禿抄』の「即得往生は、後念即生なり。(即時に必定に入る。又、必定の菩薩と名くる也)他力金剛心也と、応に知るべし。便ち弥勒菩薩に同じ」のお言葉である。



以下はヘンテコ解説に基づくドグマ(苦笑)。
 ↓

これらによっても分かるように、「若不生者不取正覚」の「生」は「死んで極楽に生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことである、と教えられているのが親鸞聖人であることは明らかであろう。



あのさ~。

 論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提→ヘンテコドグマに基いて解説→ヘンテコ解説に基づいてヘンテコドグマを立証→論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提→ヘンテコドグマに基いて解説→ヘンテコ解説に基づいてヘンテコドグマを立証→・・以下果てしなくつづく・・

こういう愚劣極まりない蛸壺循環論法をいくらやっても、
論証責任を果たしたことには全くなりません。

論証責任を果たさ(せ)ないヘンテコドグマが問題なのに、
論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提に、
ヘンテコ解説で自説を立証するのはおかしいでしょ(苦笑)。

こんなの、ヘンテコドグマを注入された、
思考停止ロボコンにしか通容しないよ(苦笑)。


というわけで、

16,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」という論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに基づきヘンテコ解説を行い、ヘンテコ解説に基づいて、【「若不生者不取正覚」の「生」は「死んで極楽に生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことである】というヘンテコドグマを立証している。これは循環論法であり、論証責任を果たしたことにはならない。
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Secre

No title

>これらによっても分かるように、

>「若不生者不取正覚」の「生」は
>「死んで極楽に生まれる」ことではなく、
>「平生に信楽に生まれる」ことである、

>と教えられているのが親鸞聖人であることは明らかであろう。



親鸞聖人のお言葉に忠実なら 

★「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。
『尊号真像銘文』

この言葉を どう高森先生は 解釈されるのか お聞きしたいですね。

平生か?  死後か?  両方か?

この言葉、無視はできない。

私が見ても 

>「若不生者不取正覚」の「生」は
>「死んで極楽に生まれる」ことではなく、
>「平生に信楽に生まれる」ことである、
>と教えられているのが親鸞聖人であることは明らかであろう。

明らかでないと思う。^^;




これからが見物

>元会員ですがさん
今回のツッコミはこれ以上ないぐらい、わかりやすく明確なものだと思います。
自分で言うのも何ですが(笑)。

チ●ーリップ企画(=親●会)は、嫌でも今回のツッコミに何等かの形で応じなければならないわけですから、
物凄くシンドイだろうと思いますよ(笑)。

またショウモナイことを言えばボコボコだし、無視したら自動的に間違いを認めたことになるし、
これからが本当に見物ですね~。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
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