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ツッコミ!【第一回】論戦の発端

チューリップ企画の「徹底検証親鸞聖人の教え」始まりましたね~。
いや~待ってましたよ~(苦笑)。

これからボコボコ、ツッコミ入れまっせ~!

ただ、一度にあんまりいっぱいツッコミ入れると、
頭のキャパシティーに不自由しているロボコンがわけわかめになっちゃうから、
一回につき、一番「おいおい!」と思う所にしぼってツッコミ入れることにするね(笑)。


それではいきまっせ~!
 ↓↓↓
【第1回】論戦の発端
http://shinjin.info/2008/07/052003131.html

長期に亘る多くのメール交換によって、双方の「若不生者」の「生」に就いての見解の相異点が明白になった。
田中氏は「死んで、極楽に生まれさせることだけ」だと主張し、チューリップ企画は、「この世、信楽(絶対の幸せ)に生まれさせ、死後、極楽に生まれさせる」という誓いであると、主張する。故に弊社のアニメには、そのように描かれているのである。




ツッコミ1

「田中さんは根拠を挙げて自説を論証しているのに、チューリップ企画は論破されている」
というのを言い忘れてるやん!(苦笑)

<田中さんの根拠>
1)2007 10/20(土) 14:48
http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_2ae4.html

親鸞聖人が不体失往生を主張されたことは口伝抄に明らかです。しかしながら、不体失往生とは、「至心信楽をえた」ということであって、「極楽に往生した」という意味ではありません。

尊号真像銘文には『「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。』

『「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。』と記述されています。

いずれも、「至心信楽をえた」者が極楽に生まれなければ仏に成らないという意味ですから、「若不生者」は、極楽に生まれなければ、という意味になります。

また、唯信鈔文意には『「来迎」というは、「来」は浄土へきたらしむという。これすなわち若不生者のちかいをあらわす御のりなり。穢土をすてて、真実報土へきたらしむとなり。』と記述されています。

これも、同様に、親鸞聖人は、若不生者を真実報土に生まれることと解釈されています。

ビデオにおける件の部分は、現生での救いを強調するための表現だと拝察しておりますが、本願についての解釈が親鸞聖人と異なってはならないと考えます。



2)2008 5/25(日) 22:09
http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/2008_525_2209_58e0.html

 そもそも貴社の誤りは、不体失往生の根拠として、「若不生者不取正覚」の八字を使ったことでした。
 
 親鸞聖人が不体失往生の根拠とされたのは本願成就文の「即得往生住不退転」の八字です。
 
 ビデオの製作者は、本願成就文も、本願文も同じようなものだから、どちらでも良いだろうと思われたのかも知れません。
 
 もし私が製作者だったら、迷わず「即得往生住不退転」を使ったでしょう。
 
 
 
 親鸞聖人が、不体失往生の根拠として、「若不生者」ではなく、「即得往生」を使われた文章を紹介します。
 
 
「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという、「すなわち往生す」というは、不退転に住するをいう。「不退転に住す」というは、即ち正定聚の位に定まるなり、「成等正覚」ともいえり、これを「即得往生」というなり。→唯信抄文意
 
 即得往生は、後念即生なり。即時に必定に入る。→愚禿抄
 
 
 
 当然ながら、体失不体失往生の根拠とされる、口伝抄に描かれている法然上人のお言葉も「即得往生住不退転」の八字を出されており、「若不生者不取正覚」はどこにもありません。
 
 親鸞聖人は「若不生者不取正覚」を当益として、「即得往生住不退転」を現益として解釈されています。
 
 ですから、どちらでも良い、という訳にはいかないのです。
 
 親鸞聖人が、不体失往生の根拠とされたのは、「即得往生住不退転」であって、「若不生者不取正覚」では無かったのです。
 
 
 
 確認事項に答えるまでもなく、貴方の返答から、『「若不生者不取正覚」の「生」に、不体失往生の意味もあることを仰った、親鸞聖人のお言葉は無い』ということが、自ずと明らかになりました。
 
 しかし、仮に、「若不生者不取正覚」に不体失往生の意味があると誤解していたとしても、親鸞聖人の説き方を理解されていれば、迷わず、「即得往生住不退転」の八字をビデオで描いていたでしょう。
 
 親鸞聖人が不体失往生を論じられる時は、常に「即得往生住不退転」を根拠とされたのですから。
 
 
 
 この場面で、「即得往生住不退転」ではなく、「若不生者不取正覚」を思いついたというのは、ビデオ製作者の勉強不足であって、貴方の責任では無かったのかも知れません。
 
 貴方は、本願成就文の重要性は理解されているようですので、ビデオ製作者に伝えておいていただきたく思います。



<山田さんボコボコにされる>
以下参照(笑)
 ↓
あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-7.html



ツッコミ2

「信楽(絶対の幸せ)」ってなんだよ!(苦笑)
浄土宗の人でも、『尊号真像銘文』は読んでるぞ!(苦笑)
 ↓
親鸞会教義の相対化・31
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-103.html

【4】『会報』vol.2p.135~喜忍(1)

>>>
これは何も聖人の体験ばかりの独断ではない。阿弥陀佛の御本願に誓われていることなのだ。
即ち、第十八願のお言葉で示せば「十方の衆生を必ず信楽の心にしてみせる」と約束なされている信楽の楽の心が大慶喜心となるのだ。
楽は惱み苦しみの反対で、本当の幸福であり喜びをいう。
>>>


阿弥陀仏が「十方の衆生を必ず信楽の心にしてみせる」と約束していないことは、改めて説明する必要もないと思います。

それからこの解釈は、どなたの解釈なのでしょうか?
寡聞にして、この解釈がどなたの説に基づくのかわかりませんが、少なくとも親鸞聖人の解釈と異なることだけは明かだと思います。(※)


※「至心信楽」といふは、「至心」は真実と申すなり、真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と申すなり。
煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆゑなり。「信楽」といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。この「至心信楽」は、すなはち十方の衆生をして、わが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽なり、凡夫自力のこころにはあらず。「欲生我国」といふは、他力の至心信楽のこころをもつて安楽浄土に生れんとおもへとなり。
『尊号真像銘文』




というか、このドグマって創●学会のパクリ??(苦笑)
 ↓
親鸞会教義の相対化・63
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-202.html
親鸞会教義の相対化・64
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-203.html
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