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ツッコミ!【第16回】弥陀より賜る“信楽”

第16回がアップされました。
 ↓↓↓
【第16回】弥陀より賜る“信楽”
http://shinjin.info/2008/10/161652154.html

四連続敬遠で押し出し!失点一!を指摘されて反省したのか、
やっと議論の本線に復帰したようです(笑)。

今回はツッコミどころがバッチリあって、よかったですよ(笑)。


釈迦の『成就文』で明らかになった(1)(2)についての説明は、一応終わったので、次に、
(3)の「信楽を獲て信心歓喜」するのは、全く阿弥陀仏のお力であると、どうして明らかなのか、善知識方のご教導をお聞きしよう。

釈尊が「成就文」に、「至心に廻向せしめたまえり」と説かれているのが、その証である。
我々が「信楽を獲る」(信心歓喜する)のは、弥陀が誠心誠意で『名号』大功徳を「至心に廻向せしめたまう」からである、と釈迦は教えていられる。

「至心」とは、「まことの心」ということ。
「廻向」とは、「差し向ける」「与える」ということ、「せしめたまえり」は最高敬語である。
阿弥陀仏が『名号』の大功徳を誠心誠意私たちに「廻向せしめたまえり」(お与え下される)からであると仰っているのである。


あ~ん?

====親鸞会教義の相対化・31より引用====
【3】『会報』vol.2p.23~阿弥陀仏の本願(1)

>>>
第二にこの願成就の文によって、弥陀の本願の真意が信心正因、称名報恩なることが明らかになったが、その正因たる信心は自分で起こすものなのか、他力の賜りものであるのかが、本願のみでは我々にはハッキリしないが、成就文では「至心に廻向せしめたまへり」と説かれてあることから、この信心は佛の方より授けまします、他力廻向の大信心であることが明らかである。
>>>


はたして「明か」でしょうか?

この部分の直前に高森先生自身が引用されていますが、本願成就の文の原文は、

諸有衆生聞其名号信心歓喜乃至一念至心廻向願生彼国即得往生住不退転唯除五逆誹謗正法

です。

通常の漢文のワードオーダーから考えると、「至心廻向」の主語は基本的には「諸有衆生」であり、

「あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜して、ないし一念し、至心に廻向して彼の国に生まれんと願えば、すなわち往生を得・・」

と読むべきものです。これはサンスクリット文の本願成就文でも共通しております(※)。

※それはなぜであるかというと、およそいかなる衆生であっても、アミターバ如来の名前を聞き、そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、彼ら全ては、この上ない完全な正覚より後退しない境地にとどまるのである。


親鸞聖人は、「至心廻向」を「至心に廻向せしめたまへり」と読み主語を置き換え、阿弥陀仏から賜る信心というものを明かにされたわけですが、それは親鸞聖人が受け取られた信心に基づき経文を読んだ結果得られた解釈です。

『無量寿経』から言えないことを、『無量寿経』から言えるかのように語るべきではないと思います。

もっと厳しいことを言うならば、高森先生が漢訳原文を引用していながら、実際には漢訳原文は読んでおらず、親鸞聖人の読み方を採用している浄土真宗系の「書き下し」に基づいて論じているから、このような初歩的な誤りをしてしまうのではないかと思います。
====親鸞会教義の相対化・31より引用====

そうそう!『無量寿経』から言えないことを、
『無量寿経』から言えるかのように語るべきではないですよん。

ここで言えることは、

●親鸞聖人は、「至心廻向」を「至心に廻向せしめたまへり」と読み主語を置き換え、阿弥陀仏から賜る信心というものを明かにされた。

ということだけであって、

釈尊が「成就文」に、「至心に廻向せしめたまえり」と説かれているのが、その証である。

 ↑
こんなことは、ここでは全然言えないんですよ。

サンスクリット文や漢訳原文を読ま(め)ないで、
親鸞聖人の読み方を採用した「書き下し」に基づいて、
論を展開しちゃっているから、こういうヘンテコな発言になるのよね(苦笑)。

こんだけ丁寧に教えてもらっているんだから、同じ間違いを繰り返さないでね(苦笑)。

というわけで、これ追加ね。
 ↓
8,サンスクリット文や漢訳原文を読ま(め)ないで、親鸞聖人の読み方を採用した「書き下し」に基づいて論を展開したために、『無量寿経』の願成就文から言えないことを言えるかのように誤って語ってしまっている。さらに、既にその誤りは指摘されているのにも関わらず、同じ誤りを繰り返している。

阿弥陀仏の『重誓偈』のお言葉で示せば、
「我無量劫に於て、大施主と為りて、普く諸の貧苦を済わずは、誓いて正覚を成ぜじ」。
「衆の為に法蔵を開き、広く功徳の宝(名号)を施し」
と誓われている。

これらのご文でも明白なように、弥陀が『名号』(功徳の宝)を造られたのは、苦しみ悩める私たちに与えて「破闇満願」「信心歓喜」の絶対の幸福に助けるためであったのである。

親鸞聖人は、この弥陀の大慈悲を『教行信証』に、こう詳述されている。
「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し。ここを以て、如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫に於て、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざる無く、真心ならざる無し。如来、清浄の真心を以て、円融・無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり」 (教行信証)

「すべての人は、はるか遠い昔から今日まで、邪悪に汚染されて清浄の心はなく、そらごと、たわごとのみで、まことの心は、まったくない。かかる苦しみ悩む一切の人びとを弥陀は憐れみ悲しみ、何とか助けようと気の遠くなる永いあいだ、心も口も体も常に浄らかに保ち、その清浄なまことの心で、全身全霊、ご修行なされて、完全無欠の不可称・不可説・不可思議の無上の功徳(南無阿弥陀仏)を、私たちに与えるために完成されたのである」

これを簡潔に『ご和讃』に親鸞聖人は、こう説かれている。
「如来の作願をたずぬれば
苦悩の有情をすてずして
廻向を首としたまいて
大悲心(名号)をば成就せり」
(正像末和讃)
『一念多念証文』では、
『「廻向」は、本願の名号をもって十方の衆生に与えたまう御法なり』
とも仰っている。

蓮如上人は『御文章』に、
「阿弥陀如来の、凡夫の為に御身労ありて、この廻向(名号)を我等に与えんが為に、廻向成就したまいて」
とか、
「不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたもう」
など、枚挙に暇がない。

よくぞ生まれ難い人界に生を受け、聞き難い弥陀の本願に遇い、「無明長夜の闇が破られ、志願が満たされて」絶対の幸福に救い摂られたものか。これは全く弥陀が南無阿弥陀仏の『名号』をお与え下されたなればこそであったのである。

その弥陀の本願の救いの尊さを釈迦は、「成就文」に「至心廻向」と解明下されたのである。故に「信楽(信心歓喜)を獲る」のは、全く弥陀のお力だから「他力の信心」といわれる。「信心を獲る」「信心獲得する」という言葉が使われるのも、自分で起こす信心ではなく弥陀から賜る信心であるからである。


あ~ん?
阿弥陀仏が衆生に名号を与えようとしているのは確かだけど、
「阿弥陀仏が名号を与えることを誓っている」とは言えませんね(苦笑)。

というか、こう書いてくるのは既に予想済みでして、
あらかじめツッコミ入れておいたんですが、
まだ読んでなかったの?(苦笑)

もうシャアナイし、もう一回書いておいてあげるね



====今度はちゃんと読んでね~====
阿弥陀仏が信心を与えてくれる=衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓っている

ではないですわね(苦笑)。

●しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。『教行信証』信巻

繰り返しになりますが、
「仏願の生起本末」を衆生が「聞きて疑心あることなし」になったら、
「本願力回向の信心」を獲得するから、極楽浄土に往生できることが確定すると、
親鸞聖人は述べておられます。

逆に言うなら、衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、
「本願力回向の信心」を獲得することができないから、
極楽浄土に往生することは確定しないことが明かですわ~ね。

そんでもって、

●「易往而無人」といふは、「易往」はゆきやすしとなり、本願力に乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ、ゆきやすきなり。
「無人」といふはひとなしといふ、人なしといふは真実信心の人はありがたきゆゑに実報土に生るる人まれなりとなり。『尊号真像銘文』


阿弥陀仏が信心を与えようと様々な形で働きかけているにも関わらず、
衆生がそれを受け取らないもんだから、
残念ながら極楽浄土に往生できない人が出てくるわけですわ~ね。

だからこそ、「ど真剣な聞法」を奨めるちゅうのが、
親●会の一番いい所だと思ってたんですけど、違ってました?(苦笑)

「火の中を、わけても法は聞くべきに、雨風雪はもののかずかは」
という蓮如上人の言葉でない言葉を、蓮如上人の言葉と捏造してまで、
「ど真剣な聞法」を奨めているくせに、

衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓ってたら
その真剣な聞法をなんでやってるんですか?(苦笑)


「ど真剣な聞法をしなければ信楽になれない!」
「衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓っている!」


どう考えてもこの二つは矛盾してます。
これは私のような愚鈍なものでもわかりますわ(苦笑)。

親●会には一流大学を卒業されたような、
私なんかより遥かに賢い人が沢山いるはずですが、
パクリ損ないに由来するような、
ショウモナイドグマに固執しているために、
親●会のよい部分まで、まったく台無しにしているというのが、
何でわからないんでしょうかね~(苦笑)。
====今度はちゃんと読んでね~====

というわけで、これが追加になっちゃいました(苦笑)。
 ↓
9,「阿弥陀仏が名号を与える」ことと「衆生が名号を受け取る」ことの関係の説明が曖昧である。そのために「真剣な聞法を勧めている」親●会の優れた特色まで曖昧になってしまっている。


今回も、「阿弥陀仏が信楽に生まれさせることを誓っている」という、
チ●ーリップ企画(=親●会)の主張を裏付ける根拠は提示されず、
ツッコミを入れられて笑われるだけでしたね(苦笑)。



おまけコーナー 宿題チェ~ック!!

1,「信楽にさせる」「名号を与える」ことを誓った、本願文の根拠を出さ(せ)ないにも関わらず、そのことを前提に議論を進めていること。しかも関係ないことをぐちゃぐちゃ書くことによってそのことを誤魔化そうとしている。

→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

2,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違うものであるのに、そのことを理解できてないまま議論を進めている。

→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

3,名号と光明が合わさってはじめて信心がえられるのに、名号だけでOKみたいに印象操作していること。しかも、ドグマに併せて覚如上人の『執持抄』の超重要な箇所を、ヘンテコな形で切り取って引用し資料を捏造している。

→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。

→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

5,ヘンテコドグマの矛盾を誤魔化すために、「正覚を取らじ」を「命を捨てる」と解釈。結果、サンスクリット文、漢文、親鸞聖人の解釈、いずれとも異なる新たなヘンテコドグマを捏造しまき散らすことになっている。

→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

6,親●会ドグマと矛盾しないように、『唯信鈔文意』に説かれる「仏道のスタート」「方便の至誠心」を「信後の世界」に勝手に改変しドグマ化している。

→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

7,信楽と本願の関係がわかってないから、法の深信が正確に解釈できておらず、将来間違いなく極楽浄土に往生する身になれず、現在「正定聚に入る益」もない。そのため「信楽の身」を自称しながら「死ぬ前には後生未来のことがわからない」信心になっている。これは「メンタルテスト」と言い訳しても誤魔化せない致命的な誤りである。

→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

※「後出しジャンケン」で指摘されてから(ゴマカシながら)訂正した部分は除く。
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comment

Secre

No title

鋭い視点、ご指摘に いつも脱帽しております


高森先生は 龍谷大学では 大学院?でしょうか。 真宗学を専攻されず、仏教学(唯識)を主に勉強された と聞いてます。

親鸞会会員は 青い短冊を 教学のテキストとして ほぼ 丸覚えで いかにも三界の大導士として 理解してつもりの人が多いと思いますが、実際は経、論、釈に疎く、関心もない人が多いので、応用がきかない人ばかりではなかったかと思います。
たぶん、牧○講師や 清森さんは、○籐さん、などはその例外で、大変詳しく学ばれた方と思いますが、そういう方の流出や迫害を見ると、末期的な惨状にがっかりし、あきれているところです。

先生は論文の書き方、引用の仕方など 龍谷大学では教えてもらわなかったのでしょうか。本願寺とやりあおうとしていた、先生の闘志から見て、ツッコミだらけ、スキだらけの
さまざまなる本や、ネットのコメントでは、まったく法論にもならず、見事討ち死に というか、ぼろぼろですよね~  よく 今まで これで これたものです。


常識をわきまえたうえで、善知識として、超常識的な見方で導いていただいているもの と 考えたいところですが、やはり妄信、盲信は いけない ということと 知識は自らの
手で よく選ぶ必要を感じています。 

というか、知識選びが大事 とあれだけ 善知識や
悪知識のことを親鸞聖人は語っておられるわけですから、他の人や本を見たらいけない
などというのは 危険だ!ということですよね。


昔の親鸞会って そんなこと なかったのにどうしてしまったのでしょうか。 もう、あまりに考えることをやめ、他を拒絶し、法難などという言葉で 身を守ろうとしているのか・・

ネットを見ていると 清森さんなんか七祖聖教や 他の会の本を参考に読んで 異安心よばわり され除名とか^^; 

信心決定すると、 異安心なんだろうな。
上田さん って そうみたいですね。

華○会のことは知りませんが、
おかしなところを感じているのなら、堂々と 法論したらいいのに なぜ?

今のままなら 島○元講師? を 非難できないと思います。


また、なんで聴聞しているの?十劫安心でいいの??   でも、 ここで苦笑さんが述べられていることの ひとつも親鸞会はもはや反論できないでしょうね。

深い教学? なんだか 仏教学の理解も あやしく感じてしまっているところです。

あまりに安易なる孫引きなど見ると、鵜呑みでものを語る先生の理解力を疑う人が
ここにきて、続出かもしれません。


親鸞会の歴史的意義は あると 信じたいところですが、功罪を客観的に第3者として 
苦笑さんが 語っていただくと 目が開け、 安楽いすに座っていた親鸞会会員は 驚いて 目が 覚め  本当に これでいいのか と 真摯な方は考えるかもしれませんね。

いつもありがとうございます。

No title

>元会員ですがさん
お褒め頂きありがとうございます!
ちょっと恐縮です。汗

高●先生が龍谷大学・大学院でどのようなことを学ばれたのか存じませんが、
単なる知識だけでなく、もう少し最低限度の学問的な手続きや、文献学等も学ばれていれば、
これほど痛烈なツッコミを浴びせられて、醜態を晒すようなこともなかったのではと思います。

詰め込み式で教義を徹底し、ある一定のレベルまで全体を底上げした功績は少なくないものがあると思いますが、
どうせ徹底するならば、もう少し磨きをかけてツッコミの入らないものにしたらいいのにと思ってしまいます。

なんちゅうか、親●会では高●先生に絶対な権威があるわりに、
あまりにも高●先生自身が杜撰です。
そしてそんな杜撰なものを絶対視している講師の方なんちゅうのは、
すごく苦しい思いをしなくちゃならなくなるし、
それがなんとも気の毒なことになってます。。

独立してから比較的早い段階で本願寺にカルト扱いされ相手にされなくなり鎖国状態になっちゃって、
切磋琢磨する相手のない状態で長くお山の大将でいたことが、
高●先生の悪い部分を拡大してしまった気がします。

ピリピリした緊張状態を維持しつつ相互に学ぶべきことは学びあって、
お互い向上できたらいいんですが・・。

自分で言うのも何ですが、このブログは、
親●会批判サイトでも最高レベルにボロカスに言いまくっているサイトだと思いますが、
私は親●会からかなりいろんなことを吸収しているし、
できることなら良い団体になってもらって協力したいと思ってますよ。

これマジでw
親●会関係者の方も、現役の方は脊髄反射で逆切れするんじゃなく改めるように、
退会した方も、指摘された親●会の問題点を克服したより優れた理論に高められるように、
私が申しあげるようなことを少しは参考にして頂きたいものだと思います。

No title

そうですね

でも、苦笑さんのサイトを笑って対処できるほど、親○会はもう
余裕がないのかもしれません。

老朽化した船は速やかに沈没すべき なのか。

真実がない団体に成り下がったのなら かえって害だということですが。

法難とか いいますが、まったく違う。身から出たサビ としか思えませんよね。

尊き使命をもっていたはず。

今からでも 遅くない。 ネットの声を参考に立ち直って欲しいものです。

No title

>元会員ですがさん
親●会が、私の指摘している問題にきちんと誠実に取り組むなら、
いつでも全面的に応援する側にまわってもいいと思っていますが、
あくまで問題から目を背け、いっそう見苦しい対応をしていくなら、
本当に「言い訳」なんてものが一切できないぐらい、
ボッコボコのギッタギタにするしかないですね(苦笑)。

とりあえず、あまりにも不誠実で見苦しい親●会の対応が、
私を本気にさせちゃったのは、確かですわ(苦笑)。

No title

はい。

親鸞会と一度はご縁をもった者からいうと

やりきれない思いです。

でも言論封じや、高飛車なる高慢さには、あきれかえりますね。

お灸をすえられるのは 苦笑さま のつっこみかも^^;

どんどん やっちゃって、くださいね~

きっと いい信心の沙汰の機会に思います

No title

>元会員ですがさん
了解ですv-221
もうシャレにならないぐらい、
ボッコボコのギッタギタにいったります(笑)。

No title

はじめまして。

 いつも読ませていただいています。
 苦笑さんと元会員さんの会話を読んで、意外と(すみません!)苦笑さん話せる方かなあ
と思って書きたくなってしまいました。余りの鋭いつっこみに、こわい人かと思ってたので…

 私も、元会員さんと同じく、昔はこんなじゃなかったのに…と思いが強いですね。
 顕著なのはご報謝の勧めと上への絶対服従の指導。明らかに以前は、むしろお金に
関しては無理に言ってはいけないという指導だった。

 それで私の白道なんかを読むと、信心は別として、ああ、そういう事だったのね…と。
 もう、あんまり会の運営に会長先生はタッチされていないんじゃないかと思う。それか
ご高齢で判断力も鈍ってきておられるか。
 それで実権は2代目に譲られちゃって、なんか、その方は信心も徳もないから
間違ったことをやりたい放題な訳ですよ。
 一部の尻尾フリフリを除いてはみんな反感はもっているんだろうけど、生活もかかって
いるから従わざるを得ないのでしょうね。それを先生は親鸞聖人の如く、切り捨てることが
できない。この体制が親鸞会に大きな陰を落しているのだと思います。

 苦笑さんは主に教義についてのつっこみで、組織についてはどう感じておられるか
分かりませんが、私は専任講師の言動につっこんで頂きたい。先生につっこんでも
なぜか反応ないし。先生の過去の指導と全然違うことばっかり言ったりやったりしてますから。
これは一番痛いんじゃないですか。先生の御心に反しとるやないかって。
彼らにとっては一番こたえると思いますし、誤りを正すことにもなりますし。是非お願い
します。

 加えて会員には「不得外現…」とかいって、ものすごい善人ぶりを要求する訳ですよ。
 盗作問題を支部長にたずねた人が、「善知識が殺人犯であろうが関係ない、聞かなければいけない」って支部長に言われたそうですが、そのとおりでしょう。どんな悪人も救い、救われれば
どんな悪にも妨げられないのが本願ですから。だったら会員だってどんなことしようが思おうが、救われるのが本願ですよって、導くべきでしょう。どうして会員にだけ善人になれって言うのか。
うまく言えないんですけど…。

その辺もよろしくお願いします。 

No title

>hiさん
ははは(笑)。
私は、そんなにこわい人だと思われてたんですか?(笑)

ヘンテコドグマをまき散らす慇懃無礼なカルト野郎には容赦ないですが、
私は、基本的にソフトなお笑い系キャラですよ(笑)。

冗談抜きで私は親●会に所属したこともないし、
高●先生の説法を聴聞しに行ったことも一回もないし、
講師の人の話を聞きに行ったこともない、
本当に本当に完全に外部の人間でなんで、
「先生の過去の指導」も「専任講師の言動」も全く知らないし、
組織についてはなんとも言えません。

私にできることは、あくまでも文献学に基づいて、
客観的に教義上おかしいところにツッコミを入れることだけです。

高●先生が、もともとおかしかったのか老化のため劣化したのか、
親●会に所属したこともなく実際にお会いしたこともない私には、
なんとも言えないのですが、
現在どうしようもない位醜態を晒しているのは事実であり、
そのような状況にありながら、なんら自浄作用が働くこともない。
そんな残念な組織になってしまっているのも確かですよね。

二代目にも実際会ったことがないのでなんとも言えませんが、
話を聞く限り、親●会の腐敗を進行させているような印象は受けていますし、
優秀な人材が流出している原因となっていることは確かでしょうね。
ただ、それに関しても高●先生に責任があることは間違いないと思いますよ。

あと十悪・五逆をも救う阿弥陀仏の本願は、
その人の善・悪というのは全く問題にしませんが、
阿弥陀仏に救って頂く身であるならば、
なるべく悪いことせんように、
善い人になれるようにするっていうのは、
とても大切なことであると思います。

「善知識が殺人犯であろうが関係ない、聞かなければいけない」
 ↑
こんなのは、全くもって造悪無碍であって、
「金集め人集め=善を励め!」というドグマとあわせて、
とんでもないことであって、オシオキせなアカンと思いますね(苦笑)。

参考

http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-167.html


>>>
本願の念仏には、一人立ちをせさせて、助をささぬなり。
助というは、智恵をも助にさし、持戒をも助にさし、道心をも助に
さし、慈悲をも助にさすなり。
善人は、善人ながら念仏し、悪人は、悪人ながら念仏して、
ただ生まれつきのままにて、念仏する人を、念仏に助ささぬと云うなり。

(訳)
阿弥陀仏の本願の行であるお念仏は、それだけで価値のあるものであり、
他の「助け」を必要としないものである。
「助け」というのは、智恵を念仏の助けにするとか、持戒を念仏の
助けにするとか、
覚りを求めることを念仏の助けにするとか、慈悲の心を念仏の助け
にすることなどをいう。
『勅伝』巻二十一、「つねに仰せられける御詞」(昭法全四九三頁)

善人は善人のままでお念仏申し、悪人は悪人のままでお念仏申して、
ただ生まれつきのままでお念仏申す人を、念仏に「助け」を必要と
しないというのである。
>>>

法然上人の言葉です。

念仏は、阿弥陀仏自身が願われた「本願」の行であり、 私達
が選んだのではなく、阿弥陀仏自身が選ばれた「選択」の行で
す。 だから阿弥陀仏の本願を信じて念仏申すならば、間違い
なく極楽浄土に往生することができます。

したがって、念仏はそれだけで間違いなく極楽浄土に往生すること
ができる行なので、それだけで十分な行であり、何か他の行を行っ
て、お念仏を助ける必要はありません。

だから、善人でなければお念仏申せないわけではなく、悪人でなけ
ればお念仏申せないわけでもありません。
善人にならなければお念仏申してはいけないということもなく、悪
人になれなければお念仏申してはいけないということでもありません。

善人は善人のままでお念仏申し、悪人は悪人のままでお念仏申す。
それがそのまま、阿弥陀仏の「本願」の行となり、阿弥陀仏が「選
択」した行となり、極楽浄土に往生することが間違いない、「正定
の業」となります。それが「助け」を必要としてない、お念仏の行です。

しかし、法然上人はその言葉に続いて、

>>>
さりながら、悪を改め、善人となりて、念仏せん人は、佛の御心に
叶うべし。

(訳)
そうは言っても、悪を改めて善人になってお念仏申す人は、仏の御
心に適うのである。
>>>

と仰っておられます。

 すべての悪をなさないこと、善きことを具えること、
 自らの心を清めること、これが仏陀たちの教えである。
(諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教)
(『ダンマパダ』183、『法句経』大正蔵経 vol.4, p.
567b)

とあるように、仏様が悪いことを勧めることはありません。「罪を
犯せ」と勧めるような仏様はどこにもおりません。

私達が悪を改め善人になってお念仏申したならば、仏様がお喜びに
なるに決まっており、できるだけ善人になろうと努力することが、
私達が仏様の御心に適うことです。

本願寺に不当な枠組みを当てはめて「善の勧めを否定した」と紅楳
先生を批判をされた高森先生であれば、このことは良くご存じであ
ると思います。

「悪を改め、善人となりて、念仏せん人は、佛の御心に叶うべし」
と仰っておられるのは、親鸞聖人の師匠である法然上人の言葉です。

「善に励みます」という言葉を使うと除名(=破門)されるような
団体の方が、はるかに「親鸞聖人のみ教えに反する」と思います。

No title

お返事ありがとうございます。
放置プレイ(笑)にされるかと思っていたので、嬉しいです。

 いやあ、そうですかあ。てっきり何らかの形で親鸞会と関わりのあった方かと思っていたので、
失礼しました。それでいてあのつっこみとは…驚きです。
 そうですよね…先生は軍人なのでなかなか謝るとかできないみたいですね…。
 人間ですから誤りなんてあっても当然で、会員だってそれで離れることはないしむしろ
信頼は深まると思うのですが、今や神格化しようとしてますますドツボにはまって
いくようです。私は絶対唯一の善知識とは聞いてなかったし、思ってもないし、
無条件服従なんて思考停止できなかったんで、幽霊会員となっています。

 法然上人のお言葉を通して教えていただきましたが、つっこみの時の苦笑さんとは別人の
ような(失礼)お優しさ、尊い念仏者様とお見受け致しました。

 私も、仏様に向かっていけば、悪を慎み善に励むようになるし、またそうでなければ
ならないと改めて思いました。

 このままでは親鸞会は「一盲衆盲を率いて…」状態になると思うので、どうかこれからも、
それでいいのか、と警鐘を鳴らしていただきたいのです。内部にはそのような機能は
ないようですので。どこかの国のような言論封殺ですから…。
 よろしくお願いします。ありがとうございました。

 

No title

>hiさん
KY(空気読め[ま]ない)論点スライド&嫌がらせコメント以外は、
放置プレーの刑にはしませんよ(笑)。

一 前々住上人仰せられ候ふ。「噛むとはしるとも、呑むとしらすな」といふことがあるぞ。妻子を帯し魚鳥を服し、罪障の身なりといひて、さのみ思ひのままにはあるまじきよし仰せられ候ふ。『蓮如上人御一代記聞書』no.79

蓮如上人が仰せになった。
「噛むとは知るとも、呑むとは知らすな」(物事をよく噛みしめて味わうことを教えるべきで、鵜呑みにすることを教えてはならない)という諺があるぞ!奥さんがいて魚や鳥を食べて罪深い身であるからと言って、そのようにやりたい放題したらアカンやないか!

という蓮如上人の有難い言葉がありますから、
高●先生や二代目の言うことに無条件服従している、
どっかの思考停止ロボコンなんかより、
教えられたことを鵜呑みにしないで、きちんと咀嚼し、自分の頭で考え、
幽霊会員になることを選んだhiさんの方が遥かに蓮如上人の教え従っていますよ。

どんだけ言語封殺を行って鎖国を強化しても、
かえってやましさがあることを強調するだけで、
ますます胡散臭い組織なんだということが知らされるだけですよね(苦笑)。


hiさんは、まだ親●会にとどまっているわけですよね?
それはやっぱし、これからなんかシュック療法みたいなのがあって、
親●会がよくなる可能性があるかもと思っているから、
幽霊会員になりながらもとどまっているんですよね?

まあ別に高●先生がどんだけの人で、親●会がどういう組織なのか、
正確に客観的に知った上で、
それでも高●先生を選び親●会に残ることを選んだ人は、
まあそれはそれでいいと思います。

でも現実から目を背けちゃんと知りもしないままで、
親●会に漠然と残っているっちゅうのは、あんまり感心できないという感じです。

別に私は本●寺や華●会の回し者ではありませんが、
(本●寺や華●会の人には、こんな活動するような暇な人はいないでしょうけどw)
いろんな所に顔を出して、自分の波長にあう所を見つけてみるのもいいかも知れません。

人間は一度に二つ道は歩けませんから、
自分の持てる限りのあらゆる知性を尽くしていろいろ見渡した上で、
最も自分に相応しい道を見つけることをお勧めします!!

追求

あ!
「幽霊会員」と言うチョイスは決して悪くはないと思います。
書籍とか問題集とかビデオとか親●会のアイテムは、
「鵜呑み」にしないで活用すれば、なかなか有効だと思いますしね。

ただそれを言うなら、私のように完全に外部で、
親●会を辞めた人や現役の人と知り合いになって、
そういうグッツを貸してもらって勉強するみたいなスタンスが、
お金も時間も労力もいらないから、1番「おいしい」かなと思いますね~。

親●会が要求するぐらい、お金も時間も労力も使うなら、
外部にいたら遥かに効率的に学問も求道もできると思いますよ。

マジで。

それが私の率直な印象ですね。

No title

苦笑さん、アドバイス、ありがとうございます。
 実は、もう見切りをつけようと思って、いろいろな本を読んだり、調べたりしている
ところなんですよ。…もう、立ち向かうこともできないんで、そのエネルギーが
あるなら、外にも目を向けようと…し始めたところです。

 今はこうして、インターネットで勉強することもできますし、ありがたいですね。 
 苦笑さんともお話したりすることができる訳ですし。これも何かの縁ですね。

 >人間は一度に二つ道は歩けませんから、
自分の持てる限りのあらゆる知性を尽くしていろいろ見渡した上で、
最も自分に相応しい道を見つけることをお勧めします!!

 そうですね!
 勇気をいただきました。思い切って自分の力で踏み出してみます。
 今までの感謝は忘れずに…。

 これからもよろしくお願いします。

>hiさん
それは、とてもよいことです。

私のやってることも、全くの徒労ではないようです。

よろしければ、また近況をお聞かせください!!
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

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