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ツッコミ!【第9回】名号のお働き

第9回がアップされました。
 ↓↓↓
【第9回】名号のお働き
http://shinjin.info/2008/09/111419144.html

前回チューリップ企画は、

以上、「其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に廻向せしめたまえり」の『成就文』の解説は、『本願文』の「信楽を獲る」について、「信楽」を「信心歓喜」と換言し、全く『名号』の「破闇満願」のお力によって「信楽を獲る」ことを開顕されて、しかもその「信楽」は「一念」であることを明言されている釈迦のお言葉であることを明らかにした。



ということで、いろいろ「明かにした」はずだったんですが、僕のツッコミで、
明かになってないことまで「明らかにした(と嘘ついている)」
ことがバレバレになったので、更にしつこく書く必要になってしまったみたいですね(苦笑)。

今回もヘンテコなことをいろいろ言ってるので、チクチクツッコミいれちゃいますよん!

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。(御文章)

「南無阿弥陀仏」といえば、わずか六字だから、そんなに凄い力があるとは誰も思えないだろう。だが、この六字の中には、私たちを最高無上の幸せにする絶大な働きがあるのだ。その広くて大きなことは、天の際限のないようなものである、と蓮如上人は教示されている。

無上甚深の功徳が収まっている名号だから、親鸞聖人は「功徳の大宝海」と絶讃され、「本願の名号は正定の業なり」と道破なされている。



ここまではオッケーです。全部がヘンテコな発言じゃなくて、
まともな発言の中にヘンテコドグマをブレンドして、
あたかも全部がまともな発言であるかのように偽装するのが、
巧みに偽装をする人の常套手段です。
消費者は、油断しているとこういうのに、騙されちゃうってのは最近よくある話ですね(苦笑)。

さて、問題はこの後です。


「本願の名号」とは、本願に基づいて造られた名号ということである。阿弥陀仏が名号を造られた目的は、すべての人を「信楽」(破闇満願)にすると誓われた本願を果たす為だ。万人を信楽にせずばおかぬという本願を設計図として完成したのが名号であるから、「本願の名号」といわれている。

「正定の業」とは、「正定聚不退転にする働き」と言うことである。「正定聚不退転」とは、何か。さとりといっても五十二の位があり、最高のさとりを「仏」とか「無上覚」といわれる。正定聚不退転とは、五十一段目の、もう一段で「無上覚」の「仏覚」になれる位をいう。正定聚不退転の身になれば、永久に変わらない幸せな人になる。この正定聚不退転になった心を、『本願文』では「信楽」といわれ、『成就文』では「信心歓喜」と教えられているのである。

「本願の名号は正定の業なり」とは、弥陀の名号には、私たちを「正定聚不退転」(信楽)の身にする働きがある、との明言だ。



この文を見て「まとも」だと思う人は、騙されやすい人なので要注意(笑)。

弥陀仏が名号を造られた目的は、すべての人を「信楽」(破闇満願)にすると誓われた本願を果たす為だ。


どか~ん!
この発言の根拠は何でしょうかね?(苦笑)
「すべての人を「信楽」(破闇満願)にすると誓われた本願」
という「解釈」の根拠を聞いているのに、
それを前提にするというのは、おかしいでしょ(苦笑)。

前回ツッコミいれたのに、全然反省してませんね。全く(苦笑)。

あと、この根拠なしの怪しい解釈は、


 問うていはく、一切諸仏、三身おなじく証し、悲智果円にしてまた無二なるべし。方にしたがひて一仏を礼念し課称せんに、また生ずることを得べし。なんがゆゑぞ、ひとへに西方を嘆じてもつぱら礼念等を勧むる、なんの義かあるやと。
 答へていはく、諸仏の所証は平等にしてこれ一なれども、もし願行をもつて来し取むるに因縁なきにあらず。しかるに弥陀世尊、もと深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。ただ信心をして求念せしむれば、上一形を尽し、下十声・一声等に至るまで、仏願力をもつて往生を得易し。
『教行信証』行巻


阿弥陀仏が法蔵菩薩であった因位の時の深重の誓願を成就して、
光明と名号によって十方を導いて摂め取るから、
それを信じて念仏申せば、阿弥陀仏の本願力によって極楽浄土に往生できる。という、
親鸞聖人の主著である『教行信証』とは異なる教義のようですね(苦笑)。

むしろ喩えるなら、名号が薬で、薬を飲ませようとする働きが光明であり、
名号という薬と、飮ませようとする働きである光明が十劫の昔に出来上がったわけですが、
光明を無視して、
その薬を飲ませる働きまで薬の中にあるかのような記述をするのはおかしい。
ということができますね(苦笑)。



「正定の業」とは、「正定聚不退転にする働き」と言うことである。


どか~ん!
はい!法然上人や親鸞聖人の発言に抵触するドグマ発見!

====以下引用====
1)それ速やかに生死を離れんと思わば、
二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣(さしお)きて、選びて、
淨土門に入(い)れ。

(訳)
速やかに輪廻を繰り返す迷いの世界から離れようと思うならば、二種の優れた法門の中で、しばらく聖道門をとどめておいて、浄土門を選んでそれに入りなさい。

2)浄土門に入(い)らんと思わば、正雑二行の中に、しばらく諸々の雑行を抛(なげす)てて、選びて正行に帰すべし。

(訳)
浄土門に入ろうと思うのであれば、正行と雑行の二行の中で、しばらくさまざまな雑行をなげうって、正行を選んでそれに帰しなさい。

3)正行を修せんと思わば、
正助二業の中に、なお助業を傍(かたわら)にして、選びて正定を專(もっぱら)にすべし。

正定の業というは、すなはち、これ佛の御名(みな)を称するなり。
名を称すれば必ず生まるることを得(う)。
佛の本願によるが故に。
『勅伝』巻十八、「選択集」第十六章(昭法全三四七頁)

(訳)
正行を行おうと思うならば、
正定の業と助業の中で、さらに助業をわきにおいて、正定の業を選んで專らに行うべきである。

正定の業とは、すなわち阿弥陀仏の名号を称えることである。
阿弥陀仏の名号を称えれば、必ず極楽浄土に往生することができる。
それは、阿弥陀仏の本願によるからである。
>>>>

 これは、法然上人の唯一の著書である『選択集』最後の十六章に書かれた言葉であり、この文はその中でも実践的結論と言える部分です。

 この文は親鸞聖人も主著『教行信証』の行文類に引用され、

>>>>
あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。
大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。
(浄土真宗聖典pp.185-186)
>>>>

とコメントされております。
親鸞会教義の相対化・50


====以上引用====

「正定の業というは、すなはち、これ佛の御名を称するなり。」であって、
「名を称すれば必ず生まるることを得」だから、「正定の業」なんですよ(苦笑)。

せめて法然上人の主著『選択集』と親鸞聖人の主著『教行信証』ぐらいは読んで、
術語の用例を確認してから発言してほしかったですね(苦笑)。



この正定聚不退転になった心を、『本願文』では「信楽」といわれ、『成就文』では「信心歓喜」と教えられているのである。


どか~ん!
清森問答やこのブログや某大型掲示板を読んでるはずなんですから、
今更こんなマヌケな発言してもらっちゃ困りますね(苦笑)。

「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違う

みんな少しずつ学習して賢くなってますから、
おいてきぼりにならないように、きちんと勉強しないとだめですよ~。


====以下引用====
656 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:13:05 ID:eu09B6u2
>>653の続き

しかし、「信楽を獲ること」と「不体失往生」とは一念同時ですが、
あくまでも因果関係にあるのであって、同じ意味ではありません。
つまり、「信楽を獲る」と同時に、その結果として「不体失往生」するのです。
それを初めから「不体失往生」=「信楽を獲る」だとしてしまったら、
「信楽を獲た人を信楽に生まれさせる」
という同義語反復になってしまいます。
ところが「信楽を獲た人を」という大前提を意図的に省くことによって
「(十方衆生を)信楽に生まれさせる」というのが本願だという主張を導いてしまったわけです。

私はこの論法の誤謬を見抜きました。



658 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:28:21 ID:eu09B6u2
>>656の続き

「信受本願 前念命終
即得往生 後念即生」(愚禿抄)


「前念は後念のために因となる」(教行信証行巻、p.283)

このことから、
「信受本願(信楽を獲る)」が【因】で、
「即得往生(不体失往生)」が【果】であることが、鮮やかに分かります。

仏教では、「因果同時」「因果倶時」というのはよくあることです。

====以上引用====

チューリップ企画の山田さんも、これ読んで出直して来てくださいね



というわけで♪

×阿弥陀仏が、すべての人を「信楽」にすると誓われた本願を果たす為に造られたのが「名号」だから、「名号」には万人を「信楽」にする働きがあるのは、むしろ当然であろう。

阿弥陀仏が、すべての人を「信楽」にすると誓われたのが本願である
という親鸞会ドグマを認めさせるために
「名号」には万人を「信楽」にする働きがある
という新たなドグマを捏造したくなるというのは、むしろ当然であろう。

ですね(苦笑)。

「怪しいドグマを認めさせるために、更に怪しいドグマを捏造」
という、負のスパイラルみたいなの、
そろそろもういい加減やめにしたらどうです?(苦笑)




追記(2008.9.12)

『尊号真像銘文』に以下の記述がありました。

「選応専正定」といふは、選びて正定の業をふたごころなく修すべしとなり。「正定之業者即是称仏名」といふは、正定の業因はすなはちこれ仏名をとなふるなり正定の因といふは、かならず無上涅槃のさとりをひらくたねと申すなり。 「称名必得生依仏本願故」といふは、御名を称するはかならず安楽浄土に往生を得るなり、仏の本願によるがゆゑなりとのたまへり。

阿弥陀仏の本願があるから「正定の業因=仏名をとなふる」ことによって、
「安楽浄土に往生を得る」ことができ、そこで仏覚を得ることができるから、
「正定の因=かならず無上涅槃のさとりをひらくたね」となるのよね。


「信楽=正定聚=絶対の幸福」というドグマにそまっているから、
親鸞聖人の書かれた文献を読んでも目にはいらないんだよね(苦笑)。

「信楽」「往生」「成仏」・・これ全部違う概念です。
「絶対の幸福」という「それらしい言葉」で混乱させられちゃだめだよん(苦笑)。
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「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

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その時の気分しだいだけどね(笑)。

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