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ツッコミ!【第8回】『本願文』の「信楽」は、『成就文』の「信心歓喜」

第8回がアップされましたね。
 ↓↓↓
【第8回】『本願文』の「信楽」は、『成就文』の「信心歓喜」
http://shinjin.info/2008/09/050830143.html

チ●ーリップ企画の作戦が、
田中さんの説を都合のよい形に捏造して攻撃する一方、
【本願成就文=本願文】を主張しておいて、
そのままどさくさにまぎれて、
【「若不生者不取正覚」=「即得往生住不退転」】までも認めさせる作戦なのは、
完全にバレバレなわけですが、
そのための論の進め方が、なんともお粗末で苦笑いせざるを得ませんね(苦笑)。
↓↓↓

(1)は、「信楽」(信心歓喜)を獲るのは、阿弥陀仏が完成された『名号』を聞いて(頂いて)、であるということ。
(2)には、その「信楽」(信心歓喜)は「一念」で“獲られる”ということ。
(3)には、「信楽を獲て信心歓喜」するのは、全く阿弥陀仏のお力であるということである。

先ず(1)の、「信楽」(信心歓喜)を獲るのは、阿弥陀仏が完成された『名号』を聞いて(頂いて)であることから詳説しよう。
なぜ「名号」を聞けば(頂けば)「信楽を獲て」信心歓喜の身になれるのかと言えば、阿弥陀仏がすべての人を「信楽」(信心歓喜)にすると誓われた、自らの約束を果たす為に万人を「信楽」(信心歓喜)にする働きのある、南無阿弥陀仏の「名号」を成就(完成)されているからである。

親鸞聖人はそれを、次のように説かれている。
「故に知んぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑を除き証を獲しむる真理なり」
(教行信証)
「無碍光如来の名号と
かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまう」
(高僧和讃)

これは、阿弥陀仏の造られた南無阿弥陀仏の『名号』には、「無明長夜の闇を破する」働きと「衆生の志願を満足させる」お力があることを明らかにされたものである。



『高祖和讚』の「無明長夜の闇を破し衆生の志願をみてたまふ」という記述が、
「阿弥陀仏の本願力」ではなく、
「無礙光如来の名号」と「かの光明智相」をお説きになられたものであることは、
おそらく浄土宗の方に教えてもらったことであると思いますので、問題はありませんね。

でも、


>>なぜ「名号」を聞けば(頂けば)「信楽を獲て」信心歓喜の身になれるのかと言えば、阿弥陀仏がすべての人を「信楽」(信心歓喜)にすると誓われた、自らの約束を果たす為に万人を「信楽」(信心歓喜)にする働きのある、南無阿弥陀仏の「名号」を成就(完成)されているからである。

これって・・(苦笑)。

「阿弥陀仏がすべての人を「信楽」(信心歓喜)にすると誓われた」
という部分の根拠を論じているのに、
これを前提に論理を展開するのっておかしいんちゃいますかね(苦笑)。

そんでもって、
「他力」の解釈が狂って「十劫安心を肯定」
していることは、変わらないわけでござんすね(苦笑)。

かくて判明した(親鸞聖人の教えと親●会ドグマの)根本的相異点(後半)


次に「衆生の志願をみてたまう」とは、南無阿弥陀仏の『名号』には「すべての人を絶対の幸福・無碍の一道に生かし、出世の本懐を遂げさせたい」という弥陀の志願(望み)を凡夫(人間)の身に実現させる力があるから、「我々を絶対の幸福にして下さるのである」と親鸞聖人は仰っているのである。正に弥陀の本願成就の証言なのだ。


「衆生の志願をみてたまう」って・・。
衆生が志願するのを阿弥陀仏がみてたまう・・だよね?(苦笑)
そんでもって、名号&光明で衆生に働きかけてくれてるんだよ!

しかも親鸞会ドグマでは、「信楽=絶対の幸福」なもんだから、

>「我々を絶対の幸福にして下さるのである」と親鸞聖人は仰っている

とか言うと、ドグマを注入された人は、「コロッ」と印象操作に引っ張られてしまう(苦笑)。

ヘンテコドグマを優先して、なんでもかんでもそれの都合に合わせて読むから、
こんなおかしなことになるんだよね~(苦笑)。


この「衆生の志願を満足させる」ことを『本願文』では「楽」と言い、『成就文』では「歓喜」と表現されているのである。



そんでもって、この発言には根拠はなく、
親鸞聖人の『尊号真像銘文』と異なった解釈であることは、既に論証済みね(苦笑)。

============
親鸞会教義の相対化・31
阿弥陀仏が「十方の衆生を必ず信楽の心にしてみせる」と約束していないことは、改めて説明する必要もないと思います。

それからこの解釈は、どなたの解釈なのでしょうか?
寡聞にして、この解釈がどなたの説に基づくのかわかりませんが、少なくとも親鸞聖人の解釈と異なることだけは明かだと思います。(※)


※「至心信楽」といふは、「至心」は真実と申すなり、真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と申すなり。
煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆゑなり。「信楽」といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。この「至心信楽」は、すなはち十方の衆生をして、わが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽なり、凡夫自力のこころにはあらず。「欲生我国」といふは、他力の至心信楽のこころをもつて安楽浄土に生れんとおもへとなり。
『尊号真像銘文』
============
結論出てるやん!
31 :神も仏も名無しさん:2008/07/08(火) 14:22:19 ID:yFGdPQfg
『尊号真像銘文』から抜粋:

----------------------------------------------------------------------
この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を
信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。
----------------------------------------------------------------------
※「信楽に生まれさせる御ちかい」でなく、
「信楽【すべしとすすめたまえる】御ちかい」であることに注目!
============


以上、「其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に廻向せしめたまえり」の『成就文』の解説は、『本願文』の「信楽を獲る」について、「信楽」を「信心歓喜」と換言し、全く『名号』の「破闇満願」のお力によって「信楽を獲る」ことを開顕されて、しかもその「信楽」は「一念」であることを明言されている釈迦のお言葉であることを明らかにした。



今回も丁寧にツッコミを入れて晒しものにしましたけど、
資料から「明らかに」できる以上のことは「明らかに」にしちゃダメだよん(苦笑)。

自分で地中に埋めた土器を、あたかも自分が発見したかのように装った某アマチュア考古学者のように、自分逹の教義に都合のよいエピソードを、資料に基づくことなく捏造する行為や、
それを指摘された場合に、素直に誤りを認め反省し訂正することもなく、論点スライドしたり、見苦しいいい訳をしたり、人格攻撃をする行為は、
知的誠実さのかけらもなく人文科学の根底を揺るがすような、卑劣極まりない行為であり、
このような行為を更に繰り返すならば、人物や団体としての良識を疑われ、信用を失墜し、言語空間から抹殺されてしまうことになると思います。
そして、そのような行為を行う人物や団体のために、法然上人の流れを受け継ぐ浄土門の教えが、世間から見放されてしまうような事態になることは、絶対に回避しなければならないと思っております。

親鸞会教義の相対化・24

言われちゃってますよ(苦笑)。

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「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
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