スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Q&A(21)人間界<修羅界<畜生界<地獄界と衆生の数が増えるのか?

Q。
親●会理論で、

人間界<<<修羅界<<<畜生界<<<地獄界

という風に衆生の数が増えると聞きますが、
これに関してお釈迦様はどのように言われているのでしょうか?


A。
その「親●会理論」が、何に基づく説か存じませんが、
『涅槃経』に基づく以下ものであれば、既にツッコミが入っております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
教学聖典(2)

問(1)地獄へ堕つる者は多く、人間に生まれる者は極めて少ないことを教えられた経文と根拠を示せ。

答(1)

○地獄に堕ちる者は十方世界の土の如く、
 人間に生れる者は爪の上の土の如し
 (涅槃経)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


※高森先生の親鸞会教学を検証する 「高森先生ほどの方が、涅槃経を読まれたことがなかったのでしょうか」 
※苦笑の独り言 『涅槃経』なんて読んでるわけないじゃん(苦笑)。

~~以下引用~~

(涅槃経巻第三十三・迦葉菩薩品第十二の一)

爾の時に世尊、地の少土を取りて之を爪上に置き、迦葉に告げて言はく、
「是の土多きや、十方世界の地の土多きや。」
迦葉菩薩、佛に白して言さく、
「世尊、爪上の土は十方の所有の土に比せざるなり。」
「善男子、人の身を捨てて還て人身を得、三悪の身を捨てて人身を受くるを得、
諸根完具して中國に生れ、正信を具足して能く道を修習し、道を修習し已りて能く解脱を得、
解脱を得已りて能く涅槃に入る有るは、爪上の土の如く、
人身を捨て已りて三悪の身を得、三悪の身を捨てて三悪の身を得、
諸根具せず、辺地に生じ、邪倒の見を信じ、邪道を修習し、解脱、常・楽・涅槃を得ざるは、
十方界の所有の地土の如し。
善男子、禁戒を護持して精勤して惰らず、四重を犯さず、五逆を作さず、僧祇物を用ひず、
一闡提と作らず、善根を断ぜずして、是の如き等の涅槃の経典を信ずるは、爪上の土の如し。
毀戒懈怠、四重禁を犯し、五逆罪作り、僧祇物を用ひ、一闡提と作り、諸の善根を断じ、
是の経を信ぜざるは、十方界の所有の地土の如し。
善男子、如来は善く衆生の是の如き上・中・下根を知りたまふ。
是の故に佛は知根力を具すと称す。」

(口語訳)

その時に釈尊が大地の少しの砂を取って、これを爪の上に置いて、迦葉菩薩に告げて、
「この土が多いか、十方世界の地の土が多いか」と言った。
迦葉菩薩は釈尊に「世尊よ、爪の上の土の少なさは十方にある土の多さに比べられません」と申し上げた。
「善男子よ、人が死んだ後、再び人身を得、あるいは三悪道の身で死んだ後、人身を受けることを得て、
もろもろの感覚器官が完全に具わって、仏法の中心地に生まれ、正しい信心を具足して、
道を習得し、道を習得しおわって、なかでも正しい道を修行し、正しい道を修行しおわって解脱を得て、
解脱を得おわって涅槃に入ることは爪上の土のように少ないのである。
人が死んで後、三悪道の身を得、あるいは三悪道の身で死んだ後、再び三悪道の身を得て、
もろもろの感覚器官が具わらず、仏法の中心地から遠い辺地に生まれ、邪(よこしま)で傾倒した思想を信じ、
邪な道を修得し、解脱を得ず常楽の涅槃を得ないことは十方世界にある地上の土のように多いのである。
善男子よ、戒律を護り、精進し、四重の罪を犯さず、五逆罪を犯さず、教団に属する財物・物資を勝手に使わず、
闡提とならず、善根を断たずに、経典を信じる者は、爪の上の土のようなものである。
懈怠であり、四重の罪を犯し、五逆罪を犯し、教団の財物を用い、闡提となり、善根を断じて、
経典を信じない者は、十方世界の土のようなものである。
善男子よ、如来はよく衆生にこのように上・中・下があることを知っている。
だからこそ仏は知根力を具えていると言うのだ」

~~以上引用~~

●解脱を得おわって涅槃に入る→爪上の土のように少ない
○解脱を得ず常楽の涅槃を得ない→十方世界にある地上の土のように多い

●戒律を護り、精進し、四重の罪を犯さず、五逆罪を犯さず、教団に属する財物・物資を勝手に使わず、闡提とならず、善根を断たずに、経典を信じる者→爪上の土のように少ない
○懈怠であり、四重の罪を犯し、五逆罪を犯し、教団の財物を用い、闡提となり、善根を断じて、経典を信じない者→十方世界の土のように多い

ということは「釈尊の言葉」と言えますが、
親●会の教えのように、

・地獄に堕ちる者→十方世界の土のように多い
・人間に生れる者→爪の上の土のように少ない

を「釈尊の言葉」と言うことはできません(苦笑)。



一応、元・浄土真宗親●会西学友部関西ブロック所属学友部員君が挙げてくれてた、
『往生要集』の記述に基づいて、

●ゆゑに『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、
「人趣に生るるものは爪の上の土のごとし。 三途に堕つるものは十方の土のごとし」と。
(『往生要集 巻上』)

「源信僧都が受け取った釈尊の教え」として、

 人間界<<<三途(地獄+餓鬼+畜生)

ということは可能ですが、これにしても親●会の教えとは異なりますね。
親●会は、どちらの『涅槃経』に基づいて教えを説いているんでしょうかね(苦笑)。



まあ、「一切衆生必墮無間」が親●会ドグマであり、

★時間の経過とともに「地獄」の衆生の人数のみ増加する!!

というのが、親●会における当然の論理的帰結でござりますから、
「地獄」の衆生の人数が、他に比べて圧倒的に多くなきゃ困るんですよ。

親●会ではね(苦笑)。
スポンサーサイト

comment

Secre

ほんまやわ~

苦笑さんのおっしゃる通りですね~。

早速ありがとうございます。
以前答えられていたとは、気付きませんでした。
親鸞会は、嘘大袈裟紛らわしいことを教える団体ですね。

No title

>元親鸞会西学友部員さん
今回の件に関しても、結局はあらかじめ脳内にあるドグマに合わせて資料を読む、
「思想先行」以外の何者でもないんですよね。

だから、ぶっちゃけ親●会にとっては、
親●会ドグマと一致しているかどうかが重要なわけで、
釈尊が何を言ってるかなんてどうでもいいんですよ(苦笑)。

というか、親●会における「涅槃経」の記述は、
『涅槃経』にも『往生要集』にも存在してませんけどね(苦笑)。

No title

>名無し質問者さん
このブログでは、いろんなことを取り扱ってますから、
前に述べたことの繰り返しになるような質問でもOKよ。


>>親鸞会は、嘘大袈裟紛らわしいことを教える団体ですね。

ははは(笑)。
ジ●ロ(公●広告機構)に相談せなあきませんね(笑)。

質問お願いします。

苦笑いさん、質問お願いします。親○会さんドグマの『一切衆生必墮無間』ですが、『衆生』の仏教での本来の意味は『生きとし生けるものすべて』ですから、『一切衆生必墮無間』はおかしいのではないでしょうか?この言葉どおりなら『六道』や『極楽浄土』は存在せず、『無間地獄』だけの世界観になってしまうと思います。もし、これからも親○会さんがこのドグマにこだわるなら、今後は『一切凡夫必墮無間』または『一切人間必墮無間』がまだ意味が通ずると思います。そうじゃないと親○会ドグマだけでは、『無間地獄』だけの世界観になって、『六道』や『極楽浄土』は存在せず、浄土真宗どころか仏教でもない高森○徹教になってしまうと思います。苦笑いさんはどのように考察されますか?

No title

>元会員さん
お待たせしました!
以下のQ&Aで解答しましたので、よろしくお願いします。
 ↓
Q&A(22)「衆生」の意味と親●会ドグマの関係
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-412.html
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。