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【ツッコミ依頼】教学講議(2009/06/28)にツッコミ!(ラスト)浄土真宗は、宿善ポイントをためないと救われない教えではありませ~ん!!

今回のシリーズのラストで~す。

【依頼者】

苦笑さん

こんにちは。続きです。


午後の休憩後からです。

至って堅きはという、固い石に、水で穴があく、そんな事は考えられない、だけれども、穴があいている石があるではないか。


そして蓮如上人の「如何に不信なりとも」の部分の話になりました。


不信の人とは、まだ方便が方便とわからない人、真仮を知らない人、これをいかに不信なりとも、と言われているんです。「聞其名号」の「聞」ときけない人も、ということです。

だから、蓮如上人も方便より真実、自力より他力にはいると言われているんです。

如何にまだ、強情我慢な石のような、すべてを撥ね付ける心を持っていても、どうすればいいって言われているのか?

「聴聞を心に入れて申さば」と言われています。

聴聞を心に入れてききなさい。

どうして聞けるのか?「御慈悲にて候間信をうべきなり」と言われています。

御慈悲とは、阿弥陀仏の慈悲、御慈悲によって信を獲られるんですよ。

阿弥陀仏のお慈悲とは何か?

この世界(縦の線の向こう)に出させてみせる。あの願いは18願ですよ。仏願とも言われていますけれど。

阿弥陀仏は48願をたてられているんですけれど、その中からただ一つ選びとられた目的の願、それが18願ですね。まず目的を明らかにせられたのが18願です。

その次に19の願を建てられ、20の願を建てられた。


この3つの願を衆生摂生の願と言われるんですね。

それで親鸞聖人は常に3願を教えておられるんですね。

その3つの願でも、まず18願にすべての人を絶対の幸福に助けると、約束されているんですね。


18願は「真」の世界、ここへ出してみせると約束されているのが18願なんですね。

死んだ方がましやと思うても生きなければならないのは、この世界に出る為なんです。

何の為に生まれてきたのか、何の為に生きているのか、まず目的をハッキリさせないといけない。

どんな手段があっつも、まず目的がわからなければならない。


阿弥陀仏が、オレが本願建てた目的は、すべての人を、十方諸仏が見捨てた極悪人を、絶対の幸福に助けるのが18願だ。

じゃあ、次にどうしたら絶対の幸福になれますか?と聞かれて勝手にお前行け、というんなら無責任ですよね。


諸仏の中の本師である阿弥陀仏がすべての人を絶対の幸福に救うといわれて、後はお前ら勝手にやれ。そんな目的出されて勝手に進めじゃぁ、どうしようもないでしょう。

そのお慈悲を蓮如上人あそこで、「如何に不信なりとも御慈悲にて候間」といわれているんです。あの「御慈悲」の中に、19願、20願となって現れとるんです。

阿弥陀仏のお慈悲わかってますか?阿弥陀仏のお慈悲があるから信が獲られるんです。


勝手にその道を行けといわれて、自力しか金輪際知らないものが他力世界に出ろといわれて、どうして出れますか?信を獲られるのは、阿弥陀仏のお慈悲によるんです。

そのお慈悲は何ですか?19願、20願となっているんです。


それで親鸞聖人は19願、20願を通って救われたと言われているんじゃないですか。教行信証には、3願転入以外説かれていないんです。


何で19願で善をやれと言われるのか?極悪人だとおっしゃっている阿弥陀仏が何で善をやれと仰るのか。

阿弥陀仏が本心で誓われている18願で、極悪人を救うと言われているから、あー悪いことやったら余計救ってくださるんだ、良いことせんでいいんや。2000畳いくと、良いことせーと余計に言うから行きたくないんや、という人もいる。そんな人どう思いますか?


私程悪いものいないんだ、といいながら腹底では全然思っていない。私は、そういう人には、極悪人と知らせる方法、他にあると思いますか?善を勧める他に、他に道ありますか?極悪人と知らせるのに、ある?ある?皆さん。そこがわかっていない。善を勧める他に、極悪人と知らせる方法ないんですよ。


仏願の生起を知らせる仕方は、善をやらせるしかないんです。一本道です。


阿弥陀仏が極悪人と十方衆生に知らせる方法、他にあるか、というんです。阿弥陀仏が19願建てられたのは本願の生起を知らせる為ですよ。20願を建てられたのも、本願の生起を知らせる為ですよ。目的は他にないんです。


19願、これは釈迦一代の教えです。20願、これは十方諸仏のお言葉、仏語ですよ。これは仏願の生起を知らせる為です。

それで、阿弥陀仏は勧めておられているんですよ。他に方法があれば、他(の願)を建てられているんですよ。

諸の善を真剣にやりなさい、これしか極悪人と知らせる方法ないんです。19願、20願は光に向かえという願でしょう。


教えに従わないというのは、19願20願に従わないからでしょう。

教えに従えば、外の雑縁さらになし、と親鸞聖人教えておられる。

「聞其名号」これは、1番話さなければならないことなんです。



最後はこんな風に終わりました。これで会長の誰でも参加出来た教学講義の内容は以上です。


よろしくお願いします。




【苦笑】

はいはい(苦笑)。

●一 「至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり、水よく石を穿つ、
心源もし徹しなば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」といへる古き詞あり。
いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、
御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。
ただ仏法は聴聞にきはまることなりと[云々]。
『蓮如上人御一代記聞書』(193)

(訳)
「極めて固いものは石であり、極めて柔らかいものは水である。
しかしその柔らかい水が石に穴をあけることができるのである。
もしも心の底を徹していったならば、仏の覚りすら、
どうして成就することができないことがあろうか(いや絶対に成就する)」
という古い言葉すらある。

どれほど信心のないものであっても、聴聞を心に入れていくならば、
阿弥陀仏の慈悲が我が身に伝えられていくのであるから、
必ず信心を得ることができるのである。
ただひたすらに仏法は聴聞することに尽きるのである。
 
繰り返しになるけど、この言葉は、

★他力の救いは一念
★阿弥陀仏の慈悲が時間をかけて浸透してくる人もいる

この二つが全然矛盾してないことを示したものやで。



宿善ポイントをためないと救われない教えなら、

★他力の救いは一念
  ↑
こっちの方の教えとは、どのように整合性を取ればいいんですかいな(苦笑)。



~~~高●顕徹著『会●』第二集「信の一念(一)」より~~~

 先ず時尅の一念については『教行信証』信巻下の巻頭に
「夫れ、真実の信楽を按ずるに信楽に一念あり。
 一念とは信楽開発の時尅の極促を顕わし、広大難思の慶心を彰すなり」即ち、真実の信仰には必ず一念がある。
 一念とは疑晴れて大満足の境地に開発したひとおもいをいい、盲者の開眼の一刹那地獄一定が極楽一定と転じた瞬間、煩悩具足が至徳具足と転じた一念、明来闇去闇去明来の一刹那、いままで閉塞していた心中が開発して信楽と晴れ亘った一念言説や思惟の及ぶところでない驚天動地、六種震動の一刹那をいう。
 しかし思慮分別を越えるといっても疑蓋無雑の信楽の開発する初起の信であるから無念無想なら開発とはいわれない。
 その自覚の初刹那を一念と説かれる。
 「本願一乗は頓極、頓速、円融、円満の教えなれば、絶対不二の教、一実真如の道なりとしるべし。
 専がなかの専なり、頓がなかの頓なり、真の中の真なり、円のなかの円なり」(『愚禿鈔』)頓ははやいこと、円は完全ということである。
 本願を信受した。
 とたんに完全に救われるということである。
 抜苦与楽、破闇満願は一念の信楽でたりるのだ。
 故にまた聖人は「極速円融の真詮」とも仰言って長い間かかって少しづつ諦得する信仰なら極速とはいわれないが聞即信の一念のはやわざだから極速といい、その一念で微盡の不足もなく大満足させられるから円融の真詮という。
 曇鸞大師は『論註』にこれを
「譬えば千歳の闇室に光若し暫らく至れば即ち明朗なるが如し。
 闇豈室になること千歳にして去らずと言うことを得ん耶」と教えている。
~~~高●顕徹著『会●』第二集「信の一念(一)」より~~~


~~~チ●ーリップ企画 【第12回】信楽は一念で獲得 より~~~
先ず、「時尅の一念」に就いてであるが、聖人はこう仰っている。

「夫れ、真実の信楽を按ずるに信楽に一念あり、一念とは信楽開発の時尅之極促を顕はし、広大難思の慶心を彰すなり」 (教行信証)

ここで親鸞聖人の仰せになっていることを、易しく言うと次のようなことだ。

「阿弥陀仏の本願の『信楽』を、釈迦は成就文に『信心歓喜せんこと乃至一念せん』と説かれているのは、本師本仏と仰ぐ弥陀の本願の最も尊く優れているのは、一念の救いである」と言われているのである。

「一念の救い」とは、先ず、弥陀の救いは極めて速いということ。「名号」を聞即信と頂き破闇満願し、広大難思の慶心の身に救われるのは、分秒にかからぬ速さである。
だから聖人は「極速円融の真詮」とも弥陀の救いを言い、聞即信の一念だから「極速」、一念で大満足させられるから「円融の真詮」と仰っている。

なぜ、弥陀の救いは、こんなに速いのか。覚如上人は『口伝抄』に、その訳をこう記される。

「如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。もし多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす」

平易に言うと、常に阿弥陀仏の救いの相手は、直前に死が迫っている無常迅速の人(十方衆生)だからである。もし三刹那かかる弥陀の救いだとすれば、一刹那後に死ぬ人を救うことはできないだろう。
だから阿弥陀仏の本願の最も優れて尊く大切なのは、「一念の救い」であり、「一念の救い」こそが、弥陀の本願の肝要であり至極の教えであると、釈迦や親鸞聖人は言われているのだと、覚如上人は仰っているのである。

中国の曇鸞大師という人は『浄土論註』に、
「譬えば、千歳の闇室に光もし暫く至れば、すなわち明朗なるが如し。闇あに室に在ること千歳にして去らず、と言うことを得んや」
と、例えで明来闇去 闇去明来、明かりが来たのが先か、闇が晴れたのが先か、弥陀の一念の救いの速さを教えていられる。
~~~チ●ーリップ企画 【第12回】信楽は一念で獲得 より~~~
 ↑ ↑ ↑
せっかく、昔は正しいこと【も】説いていたのに、
「宿善ポイントをためる」という「新教義」の導入で、
それも全く台無しになってしちゃいましたな(苦笑)。



浄土真宗は、宿善ポイントをためないと救われない教えではありませ~ん!!


宿善ポイントをためれない私達のために、阿弥陀仏が本願をお立てになられ、
「南無阿弥陀仏」のお念仏を与えてくださっているんやから、
 ↓

●善根なければ、此の念仏を修して、無上の功徳を得んとす。
余の善根多くば、たとひ念仏せずとも、頼む方も有るべし。
しかれば善導は、我が身をば、善根薄少なりと信じて、
本願をたのみ、念仏せよと、勧め給ヘリ。
経に、一たび名号を称ふるに、大利を得とす。
又すなわち、無上の功徳を得と、とけり。
いかにいわんや、念々相続せんをや。
しかれば善根なければとて、念仏往生を疑うべからず。
法然上人『念仏往生義』

※現代語訳は、Q&A(13)結局、「三願転入」を「全人類」に当てはめて教えるのは間違いなのか?参照


その「本願の生起本末」を「聞」しなきゃダメだよん(苦笑)。
 ↓

●経に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。是を「聞」と曰うなり。「信心」と言うは本願力廻向の信心なり
『教行信証』信巻

●「南无阿弥陀仏と申す六字の体はいかなる意ぞ」というに、「阿弥陀如来を一向にたのめば、仏その衆生をよく知ろしめして、救いたまえる御すがたを、この南无阿弥陀仏の六字に現したまうまり」と思うべきなり。
しかれば「この阿弥陀如来をば、いかがして信じまいらせて、後生の一大事をば助かるべきぞ」なれば、何の煩いもなく、もろもろの雑行、雑善をなげ棄てて、一心一向に弥陀如来をたのみまいらせて、二心なく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を、光明を放ちて、その光の中に摂め入れ置きたまうなり。
これを即ち、弥陀如来の摂取の光益にあずかるとは申すなり、また不捨の誓約ともこれを名くるなり。
『御文章』3帖4通



最後にもう一度・・

浄土真宗は、宿善ポイントをためないと救われない教えではありませ~ん!!


以上
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「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

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