スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【ツッコミ依頼】教学講議(2009/06/28)にツッコミ!(5)仏教では「聞」と「信」は違う意味です。

昨日のつづき

【依頼者】

苦笑さん

こんばんは、昨日の続きです。


蓮如上人御一代記書の「至りて堅きは石なり、至りて柔らかなるは水なり。水よく石を穿つ。

途中省略します。

只仏法は聴聞に極まるものなり。」

のお言葉が根拠に出て来て、会長の話は続きました。



只仏法は聴聞に極まるこれは、親鸞聖人も教えておられますし、遡れば、お釈迦様の其の名号を聞いて、が根拠です。


聞く一つだ、「聞」の一字、聞くという一字でハッキリ教えられているんです。


正信偈でいうんなら親鸞聖人どこに仰っているか。

聞信如来弘誓願、ここに仰っています。

説明がありましたが、会長の特に怪しい発言が出てきました、以下です。

仏教では「聞」も「信」も同じ意味です。




【苦笑】

あ~ん?(苦笑)

仏教では「聞」と「信」は違う意味です。
(もちろん密接な関係はあるけどね)

 ↓ ↓ ↓

●サンスクリット文『無量寿経』願成就文

ye kecit sattvAs tasya 'mitAbhasya tathAgatasya nAmadheyaM
Sr.n.vanti,

SrutvA cAntaSa ekacittotpAdam apy adhyASayena prasAdasahagatam
utpAdayanti,

sarve te 'vaivarttikatAyAM saMtis.t.hante 'nuttarAyAH samyaksaMbodheH.

(訳)およそいかなる衆生であっても、彼のアミターバ如来の名前を聞き、そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、彼ら全ては、この上ない完全な正覚より後退しない境地にとどまるのである。


●『無量寿経』の願成就文

本願成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。 かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」と。
(『教行信証』信巻に引用された『無量寿経』の願成就文)


●『無量寿如来会』の願成就文

『無量寿如来会』(下)にのたまはく、[菩提流志訳]「他方の仏国の所有の有情、無量寿如来の名号を聞きてよく一念の浄信を発して歓喜せしめ、所有の善根回向したまへるを愛楽して、無量寿国に生ぜんと願ぜば、願に随ひてみな生れ、不退転乃至無上正等菩提を得んと。五無間、正法を誹謗し、および聖者を謗らんをば除く」と。
(『教行信証』信巻に引用された『無量寿如来会』の願成就文)


これを、親鸞聖人は【「聞」→「信心」】と解説されてます

●経に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。是を「聞」と曰うなり。「信心」と言うは本願力廻向の信心なり
『教行信証』信巻

「聞其名号」というは、本願の名号をきくとのたまえるなり。「きく」というは、本願をききて疑う心なきを聞というなり、また「きく」というは、信心をあらわす御法なり。「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。
『一念多念証文』


「信受本願(信楽を獲る)」【因】と 「即得往生(不体失往生)」【果】の関係と同じで、
親●会は時間を介在しない因果関係を勝手にイコールにする傾向があるのよね(苦笑)。

ちゃんと【「聞」→「信心」】なってるものは、
勝手に【「聞」=「信心」】にしちゃだ~め(苦笑)。



つづく
スポンサーサイト

comment

Secre

質問です

質問です。
「聞」と「信」とが違うとすると、以下の親鸞聖人のお言葉はどのように解釈したらよいのでしょうか。

「聞」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり
(尊号真像銘文)

またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。
(一念多念証文)

「聞」はきくといふ、信心をあらはす御のりなり。
(唯信鈔文意)

No title

>ぺんぺん草さん
なかなか、いい質問ですね。

今回、「仏教では」ということで、
私は、サンスクリット文や漢訳資料に基づき、
「通仏教の解釈」で、
「聞」(Sr.n.vanti、聞く)と「信」(prasAdasahagatam
utpAdayanti、浄信を発す)が単純なイコールではなく、
密接な因果関係にありながら、本来別物であることを指摘しました。

ぺんぺん草さんがあげられた親鸞聖人の言葉は、
そのことを十分にご存じの上で、
あえて大胆に解釈されたものではないかと思いますね。

私が挙げた本文に親鸞聖人の言葉は、
通仏教における「聞」と「信」の関係を、
親鸞聖人もご存じであることを証明するものですから、
漠然とイコールにしてしまった、誰かさんとは大違いだと思います。

質問です(2)

返答ありがとうございました。

> 私が挙げた本文に親鸞聖人の言葉は、
> 通仏教における「聞」と「信」の関係を、
> 親鸞聖人もご存じであることを証明するものですから、

ここについて質問します。

「きく」というは、本願をききて疑う心なきを聞というなり、
(乃至)
「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり
『一念多念証文』

と、「きく」も「信心」も同じように解説されています。
「聞」と「信」が同じ意味であることを言われているように思います。

記事で挙げられた聖人のお言葉から、どのようにして、
「聞」と「信」が因果関係にあると分かるのでしょうか。

次の質問に答える前に・・

>ぺんぺん草さん
次の質問に答える前に確認しておきますが、

★「通仏教」として、「聞」と「信」が単純にイコールでは結べない。

これに関しては「OK」ということで、いいですか?

通仏教では

> ★「通仏教」として、「聞」と「信」が単純にイコールでは結べない。
> ↑
> これに関しては「OK」ということで、いいですか?

いいえ。よく分かりません。
通仏教では、「聞」と「信」は因果関係にあるのですか?

わかりませんか。。

>ぺんぺん草さん
わかりませんか。。

それでは、以下の文において、

・彼のアミターバ如来の名前を聞き、
   ↓
そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、

というように、

1)「聞」と「信」に前後がある。
2)「聞」と「信」を入れ替えたら文章の意味が変わってしまう。
3)したがって、「聞」と「信」はイコールではない。

というのはOKですか?

* * * *
 
●サンスクリット文『無量寿経』願成就文

ye kecit sattvAs tasya 'mitAbhasya tathAgatasya nAmadheyaM
Sr.n.vanti,
SrutvA cAntaSa ekacittotpAdam apy adhyASayena prasAdasahagatam
utpAdayanti,
sarve te 'vaivarttikatAyAM saMtis.t.hante 'nuttarAyAH samyaksaMbodheH.

(訳)およそいかなる衆生であっても、彼のアミターバ如来の名前を聞き、そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、彼ら全ては、この上ない完全な正覚より後退しない境地にとどまるのである。

OKです

はい。イコールでないというのはOKです。
因果関係にある、というのが良く分かりません。

No title

>ぺんぺん草さん

・彼のアミターバ如来の名前を聞き、
   ↓
・そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、


1)「聞」と「信」に前後がある。
2)「聞」と「信」を入れ替えたら文章の意味が変わってしまう。
3)したがって、「聞」と「信」はイコールではない。

というのはOKということですが、

4)「聞」と「信」はイコールではないが、
 両者の間には「関係」があり、その「関係」は「無関係」ではない。

というのはOKですか?


* * * *
 
●サンスクリット文『無量寿経』願成就文

ye kecit sattvAs tasya 'mitAbhasya tathAgatasya nAmadheyaM
Sr.n.vanti,
SrutvA cAntaSa ekacittotpAdam apy adhyASayena prasAdasahagatam
utpAdayanti,
sarve te 'vaivarttikatAyAM saMtis.t.hante 'nuttarAyAH samyaksaMbodheH.

(訳)およそいかなる衆生であっても、彼のアミターバ如来の名前を聞き、そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、彼ら全ては、この上ない完全な正覚より後退しない境地にとどまるのである。

OKです(2)

はい。無関係でないというのはOKです。

No title

>ぺんぺん草さん

1)「聞」と「信」に前後がある。
2)「聞」と「信」を入れ替えたら文章の意味が変わってしまう。
3)したがって、「聞」と「信」はイコールではない。
4)「聞」と「信」はイコールではないが、
 両者の間には「関係」があり、その「関係」は「無関係」ではない。

がOKとのこと了解です。


それでは以下の、

・彼のアミターバ如来の名前を聞き、
   ↓
・そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、

において、

5)「アミターバ如来の名前を聞き」(「聞」)があったから、「浄らかな信を伴った心を起こす」(「信」)がある。
6)「アミターバ如来の名前を聞き」(「聞」)がなければ、「浄らかな信を伴った心を起こす」(「信」)はない。

というのはOKですか?

* * * *
 
●サンスクリット文『無量寿経』願成就文

ye kecit sattvAs tasya 'mitAbhasya tathAgatasya nAmadheyaM
Sr.n.vanti,
SrutvA cAntaSa ekacittotpAdam apy adhyASayena prasAdasahagatam
utpAdayanti,
sarve te 'vaivarttikatAyAM saMtis.t.hante 'nuttarAyAH samyaksaMbodheH.

(訳)およそいかなる衆生であっても、彼のアミターバ如来の名前を聞き、そして聞いてから、深い志によって、たとえ一度でも、浄らかな信を伴った心を起こすならば、彼ら全ては、この上ない完全な正覚より後退しない境地にとどまるのである。

よく分かりません

「聞」いて、「信」ずれば、と言われているだけなので、

5)「聞」があったから、「信」がある。
6)「聞」がなければ、「信」はない。

ということは言えないように思います。
そのまま読めば、聞いた上でさらに信じることが、必要なように解釈できます。

つまり、「聞」と「信」が因で、「この上ない完全な正覚より後退しない境地にとどまる」が果であるように読めます。一見、そう読める、というだけで、何もこれが正しいと言うわけではないですが。

No title

>ぺんぺん草さん
私は、「アミターバ如来の名前を聞く」(「聞」)ことがなければ、「浄らかな信を伴った心を起こす」(「信」)こともないと思いますが、

ぺんぺん草さんが、そのように思わないのであれば仕方ありませんね。


ぺんぺん草さんも、

1)「聞」と「信」に前後がある。
2)「聞」と「信」を入れ替えたら文章の意味が変わってしまう。
3)したがって、「聞」と「信」はイコールではない。
4)「聞」と「信」はイコールではないが、
 両者の間には「関係」があり、その「関係」は「無関係」ではない。

が「OK」になったわけですし、

私も別の仕事をしたいので、そろそろこのへんで終わりにしません?

了解です

了解しました。お付き合いくださり、ありがとうございました。

No title

>ぺんぺん草さん
ごめんなさいね。m(__)m

「やさしい浄土真宗の教え」が完結して、
親●会も消滅してツッコミ入れる相手もなくなったら、
この問題に関しても、マジで詳細にアタックしますね。

No title

>「聞其名号」というは、本願の名号をきくとのたまえるなり。きくというは、本願をききて疑う心なきを「聞」というなり。また、きくというは信心をあらわす御のりなり。「信心歓喜 乃至一念」というは、信心は如来の御ちかいをききて、疑う心のなきなり。【一念多念証文】



 この部分を根拠に、仏教で「聞」と「信」が同じだと言うのは、まずいと思います。

 これは「聞其名号」の解説です。「きく」というのは「名号をきく」のことです。「名号を」の部分が省略されています。

「きく」=「本願をききて疑う心なき」というのは、「ラジオをきく」ことではありませんよね。明らかに「名号をきく」という意味です。

 名号には、本願を信じさせる働きがありますので、名号をきく(=受持する)ことによって、本願を信じることができます。これが信心です。

 つまり「名号をきく」の「名号」の部分が信心に直結しているのであって、「きく」とは、その名号を受け取る一念のことを指していることになります。

 もし、「きく」の対象が、名号以外のもの(例えばラジオ)であれば、信心とは関係ありません。仏教では「聞其名号」以外にも「聞」という字はいくらでも出てきます。

 ですから仏教で、一般的に「聞」と「信」は違いますし、願成就文の説き方も「聞其名号」→「信心(歓喜)」と書かれていますから、「聞」=「信」ではなく、「聞」→「信心」と理解するのが、親鸞聖人の御心と拝察されます。

No title

>雑草さん
ナイス解説v-218
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。