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「親鸞会は『後生の一大事を知る』どころか正反対の解釈ですよ」だそうです。

高森先生の親鸞会教学を検証する
親鸞会は「後生の一大事を知る」どころか正反対の解釈ですよ より



教学聖典(1)

問(44)吸う息吐く息と触れ合っているのが「後生の一大事」だ、と教えられている『教行信証』のお言葉を記せ。

答(44)

○呼吸の頃すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず。
この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。願わくは深く無常を念じて、徒に後悔を貽すことなかれ。



ついにでました、「後生の一大事」!

うん、これを特に検証したかったんですよ。
親鸞会の教えでもっとも重大でクリティカルな問題だから。
ここ一つで親鸞会に束縛されている人も多いと聞きますから。

で、「人身を失いぬれば万劫にも復らぬ」ことが「後生の一大事」だとおっしゃるわけですか?

ところで高森先生、この後生の一大事について、かつて本願寺と論争されましたね。
で、私は親鸞会の講師から、本願寺は後生の一大事を説いていないとか聞かされたんですが。

ちなみに、私の手元に、その本願寺の司教が出版した、親鸞会に対する論文があります。
そこでは、後生の一大事について、経典や善知識方のお聖教の根拠を出して、述べられておりますよ。

その中の後生の一大事に関する部分を、一部引用させて頂きましょう。

親鸞会の会員さんには(都合が悪いから)隠されている論文です。

※ちなみにこの論文を書いた紅楳英顕先生からは、引用の許可をちゃんと得ています。
(大沼さんからの引用を隠してる高森先生とは違います)

紅楳英顕さんは、ご自身も信心決定されて、教学力もあり、大変ご立派な方です。
親鸞会の人は、知らないだけですね。
どうして会った事も無い人を、あれだけ批判できるんでしょうか?


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『派外からの異説について』(紅楳英顕氏・著)

(P36~)

 二、後生の一大事の問題

次に、後生の一大事の問題についてであるが、これについて、高森親鸞会は、

後生の一大事とは何か。人間は必ず一度は死なねばならない。では人間は死んだらどうなるのか。
釈尊は必堕無間と、四十五年間叫びつづけられた。「一切の人は死んだら必ず無間地獄におち
八万劫年の間大苦悩をうけねばならない」これを後生の一大事という。(『顕正新聞』第205号)

仏法を聞く目的は後生の一大事の解決に極まる…一大事というは取り返しのつかないことを言うが、
それは無間地獄に堕在するということである。曽無一善・一生造悪が我々の実相であるから、
因果の道理に順じて、必ず無間地獄へ堕ちる、これを経典には必堕無間と説かれている。(『白道燃ゆ』137頁)

親鸞聖人や蓮如上人が不惜身命の覚悟で教示下された生死の一大事とは、どんなことかといいますと、
これは後生の一大事ともいわれていますように、総ての人間はやがて死んでゆきますが、
一息切れると同時に無間地獄へ堕ちて、八万劫年苦しみ続けねばならぬという大事件をいうのです。
(『こんなことが知りたい1』6頁)

等と主張している。後生の一大事を「必ず無間地獄に堕ちる」という意に取り切り、しかも、
これによって恐怖心をあおり「非泣悶絶」の苦しみを経ねばならぬという、いわゆる機責めの傾向がうかがえるのである。
これに対して、私は疑義を呈し、論文で「後生の一大事ということは、往生浄土(極楽)の一大事、
あるいは往生浄土(極楽)出来るかどうかの一大事、という程度の意味」であるとの見解を示したわけである。
『本願寺の体質を問う』では、こうした私の見解に対する反論非難が行われているのであるが、これについても、
前の宿善論と同様、宗祖聖人や蓮如上人の上ではっきりした文証を挙げての反論ではないから、
私は反論とは認められないと考えている。
「後生」とは、文字通りの意味は「今生」に対する「後生」であろうから、必ずしも往生の意味だけではない。
しかし、論文や、高森親鸞会に対する返信(八月三日)で述べたように、『大経』に、

 後生無量寿仏国

とあって、後生の一大事の「後生」という語は、この「後に無量寿仏国に生まれる」が出拠と考えられる。
蓮如上人も、

されば、死出の山路のすえ三塗の大河を唯一人こそ行きなんずれ、これによりて、ただ深く願うべきは後生なり、
またたのむべきは弥陀如来なり。(『御文章』1の11)
しかれば阿弥陀如来を何とようにたのみ、後生をばねがふべきぞというに…(『御文章』5の10)

等と教示されているように「後生」を往生浄土の意味で語られているのである。
また「一大事」についてであるが、「一大事」とか「大事」とかは、本来「転迷開悟」「生死出離」について
いわれるものである。したがって『法華経』出世本懐の文には、

 一大事因縁(『大正大蔵経』)

とあり、『称讃浄土経』には、

 利益安楽の大事因縁

とある。また、法然上人は、

往生程の大事をはげみて念仏申さん身をば、いかにもいかにもはぐくみたすくべし(『和語灯録』)

といわれ、宗祖聖人は、

 往生極楽の大事(『拾遺真蹟御消息』)

と仰せられており、さらに覚如上人も、

往生ほどの一大事をば如来にまかせたてまつり…(『口伝抄』)
往生ほどの一大事凡夫のはからうべきことにはあらず…(『執持抄』)

等と述べられている。いずれも「一大事(大事)」を往生にかけて語られている。
さらに蓮如上人も、

もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり。(『御文章』1の11)
この他力の信心ということをくはしくしらずば、今度の一大事の往生極楽はまことにもてかなふべからず。(『御文章』2の10)
いそぎてもいそぎてもねがうべきものは後生善所の一大事にすぎたるはなし。(帖外御文章50)

等と示されている。往生にかけて「一大事」を語っておられるのである。
高森親鸞会は、後に至って、後生の一大事に二つがあるといいだし、信後の後生の一大事は「往生浄土(極楽)の
一大事」のことであるが、信前の後生の一大事は「必ず無間地獄に堕ちる」ということであると、
あくまでも自説に固執するのである。

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…と、まあここまで紅楳先生に教えていただきましたので、
私から言うことはもはや何もないでしょう。

仏教は後生の一大事を知るところから始まる、と言いながら、
後生の一大事の意味さえ知らない親鸞会の会長、幹部、講師たち…
そんなむちゃくちゃな教義を教え続けて50年とか、
自慢できるどころか、恥さらし以外の何者でもないですよ。




・・だそうです。

高●先生&親●会講師君!
何か反論できることあります?

というか、親●会講師諸君は、
紅●先生の論文を読んだことないんちゃう?

オイラのダチの元講師さんは、みんな読んだことなくて、
オイラに借りてはじめて読まはったんやけど、
みんな「目から鱗」状態やったで(苦笑)。
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苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

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