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「どこに「死後」って書いてあるの?」→ちび●ボコボコ!!(再掲)

これもついでに再掲載しておきます。
「来週」はまだ来てないけど(苦笑)。


山田さんが「無視」し続けている『尊号真像銘文』に、
代わりにちび●さんが、コメントしてくれてました。

↓↓↓

379 名前:ちび丸:2008/07/11(金) 15:46:13 ID:nvyQRXVb
>まじめな話、ちび丸さんのせいでご縁の遠のいた学徒がいるのでいい加減にしてほしいです。

ではアンチ諸君に歓迎されてるということなので書き込みを続けます。

再掲
>『「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。
不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。
このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、
仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』

死後の報土往生は当然。誰も否定してない。
現益と当益の関係を聞いてるんだよ。

これのどこに「死後」って書いてあるの?
お答え願えますか?

これに関しては「書いてないから根拠にならない」ということで決定しました。
以後話しを蒸し返さないでください。

380 名前:ちび丸:2008/07/11(金) 15:49:21 ID:nvyQRXVb
「現益」をあげて「難思議往生」と言われているところは多い。

また『論』にいはく、「〈荘厳清浄功徳成就は、偈に
《観彼世界相 勝過三界道》とのたまへるがゆゑに〉と。これいかんぞ不思議なる
や。凡夫人の煩悩成就せるあつて、またかの浄土に生を得るに、三界の繋業
畢竟じて牽かず。すなはちこれ煩悩を断ぜずして涅槃の分を得。いづくんぞ
思議すべきや」。
 この阿弥陀如来の往相回向の選択本願をみたてまつるなり。これを難思
議往生と申す。これをこころえて、他力には義なきを義とすとしるべし。

如来の二種の回向によりて、真実の信楽をうる人は、かならず正定聚
の位に住するがゆゑに他力と申すなり。しかれば、『無量寿経優婆提舎願生
偈』にいはく、「いかんが回向したまへる。一切苦悩の衆生を捨てずし
て、心につねに作願すらく、回向を首として大悲心を成就することを得たま
へるがゆゑに」とのたまへり。
 これは『大無量寿経』の宗致としたまへり。これを難思議往生と申すなり。
(浄土三経往生文類)

現益をあげて難思議往生と言われていることも確認しておいてください。
ではまた来週。





総攻撃を受けてボコボコにされて、
「来週」は未だに来てませんけど(笑)。

↓↓↓

393 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 19:17:09 ID:7w5a+IHU
>>379

>これのどこに「死後」って書いてあるの

「死後」という語が書いてあるかどうかを尋ねるのはナンセンス。
だって与えられたご文には「死後」って語が出てこないのは明白なのだから。

要は、ちび丸氏は、「このご文は彼土滅度という意味に解することができるの?」
という意味で尋ねている、ということになる。

>『このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、
仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』

命題「(現在において)至心信楽をえたるひとが、わが浄土にもしうまれなかったならば
仏にならじとちかいたまえる」
 つまり、「人が至心信楽を獲る(現生正定聚)→わが浄土に生まれる(彼土滅度)」
という現当二益が説かれていると解すべき。

この浄土は彼土滅度、つまり当益(ちび丸氏のことばでいえば「死後」)
を意味すると理解するべきであって、両者を現益と理解することは文脈的に無理。


394 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 19:33:08 ID:7w5a+IHU
>>393
続き

「この身は今は歳きわまりて候えば、定めて先立ちて往生し候わんずれば、
浄土にて必ず必ず、待ちまいらせ候べし」(末灯鈔十二)

今はどうか知らないが、以前は、末灯鈔十二における「浄土」は彼土滅度のことを
意味すると、親鸞会では解釈していたはず。
因みに「定めて先立ちて往生し候わんずれば」は必至滅度の願を意識して書かれたのは
明白であり、彼土滅度の当益を意味する。

蓮如上人でいえば、「このこころは」以下は、ほとんど下記と同義になる。
「問うていわく、正定と滅度とは、一益とこころうべきか、また二益とこころうべきや。
答えていわく、一念発起のかたは正定聚なり。これは穢土の益なり。
つぎに滅度は浄土にてうべき益にてあるなりとこころうべきなり。されば二益なりとおもうべきものなり。 」
『御文章』二ノ四通

存覚師の『六要鈔』にも、
「問、定聚。滅度是二益歟、又一益歟。答、是二益也。」 とあり、
真宗では此土において滅度の果を証得するとは解しない。

396 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 21:53:42 ID:gLkvGm/1
そもそもなんで現益がでてくるのかと言えば、
信楽をえたら、摂取してはなさないからだよな
若不生者と誓ってるから。
だから、死後往生すると誓われたことについて
その前の段階として、往生するに定まった状態が生じてくるわけ。
これを正定聚の位に住すと言って、不退転に住すとも、即得往生とも言う。
当益がないと現益が出てこないのよ。

なのに親鸞会は、現益ということがないと当益がでてこないという顛倒した論理を唱えている。
アニメが得にそう。
生まれるということについて、
「死んだら助けるということはありえない」
だから、生まれるということは今世からのことであるっていうすり替えを行っている。

助けるっていう状態がなんなのかっていうと現世での小さな苦しみからの解放ではないよね
生死の苦しみからの解放なのに、
現世利益と同列に問題を論じるから、現益から当益への逆転が生まれる。
まるで、今世おもしろおかしく暮らせれば、来世も安泰だという思考をしている。
しかし、今が明るいからと言って、死も明るくなるとは限らない。

後生の一大事とは、流転への不安だし、死ぬことへの不安。
広義には、解決しなければ生きていても意味がないと思えるものの解決のことでもある。
そういう問題に対して、もし自分で解決することができない人が
来世の生が明るくなると誓ってくださる方に出会えば喜ぶ
来世極楽に生まれると信じて、死の問題を明るくするから、今世も明るくなる。
それは自明の論理であって証明はいらない。


399 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 22:49:36 ID:gLkvGm/1
当益がでてくれば、現益は必ずある。
二益と言われるから。
だから、逆説的に現益がない人間は、当益もないと判断できるわけ。
つまり、それはあなた、阿弥陀仏の死後往生を実は信じていないよ?と言われているわけです。
疑情が晴れないから、現益がでてこない。

しかし、現益欲しさに阿弥陀仏を拝んでる人がいればそれはちがう。
現益を解決すれば、死後がはっきりとするという人がいればそれはちがう。

「死んだら助ける」ということではない。
「死ぬまで助かるかどうか分からない」ということがないのです。
なぜなら、真実の信心は、破れることがないのだから
弥陀の言葉を疑うことがない、助かるに決まっているといただくからです。


402 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 00:30:27 ID:xF5TMITZ
至心信楽は現益ではないよ
信心うるから、現益、当益にあずかる

親鸞会の人は信心決定(=信心が一つに定まること=弥陀の真実信心をいただくこと)と
信心によって往生が決定すること(=正定聚に入ること=即得往生)
をごっちゃにしている人多いかもね。

なんせ人生の目的が信心決定だからねw
弥陀が聞いてくれと頭下げてるのに
財施すれば間に合うと思う心を捨てるには徹底的に財施するしかないという会の論理に動員されて
自分の信心をどうにかして、決定させようと日夜努力しているんだろうね。
そういう人には往生ということが分からなくてもしかたないかも
死後がハッキリすると言われ、信心決定したらそういう世界が開けるんだから
今は考えないでおこうと思っているんじゃないかしら
往生のぬけた信心をめざしているから、よく分からない信心というものにふりまわされているんじゃない?


409 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 02:29:17 ID:xF5TMITZ
まとめ

不体失往生て往生が決定している状態のことでしょ。ということは現益だよねぇ

なら、若不生者で現益「往生定まる位に生ぜずば」を誓われるのは
信楽を獲た衆生に対してのみということなら、問題はないことになるね。十劫安心にはならない。
でも、当益が前提でなければ現益もくずれる。
なぜなら、現益は、当益を約束された本願文を信じた人の心(信楽)が死を前にしても崩れないことを表しているから。
そういう意味では、当益に生まれるという意味でだけでうけとってても、現益がないとはならない。
祖師は本願文を死後だけの意味にしてて、成就文で現益を顕彰している。
宗学的に現益の根拠とするには弱いのでは?
でも異端でもない。

また若不生者で「信楽生ぜずば」と誓われるのは
信楽を獲た衆生に対して二度手間であり、意味不明。
さらに信楽を今えていない衆生がいれば正覚をえている事実に反している。
これこそ十劫安心と言える。
また、至心信楽には信楽をうけとりなさいという意味があると宗祖は説いてるので、
ここで信楽を与えると弥陀が約束していると言える。
でも、ちび丸の根拠によれば、三信生せずばという相伝があるらしいから、
これもひとりよがりの異端解釈とはいえなさそう。


410 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 02:30:41 ID:WAfdhZt6
>>396
> そもそもなんで現益がでてくるのかと言えば、
> 信楽をえたら、摂取してはなさないからだよな
> 若不生者と誓ってるから。
> だから、死後往生すると誓われたことについて
> その前の段階として、往生するに定まった状態が生じてくるわけ。
> これを正定聚の位に住すと言って、不退転に住すとも、即得往生とも言う。
> 当益がないと現益が出てこないのよ。

>>402
> 至心信楽は現益ではないよ
> 信心うるから、現益、当益にあずかる

以上2つの発言に激しく同意。

つまり、尊号真像銘文のお言葉の通り、本願文に誓われているのは、
「信心(信楽)を獲た人に当益を与える」が根本的な意味であり、そこから、
「信心を獲た時、現益(入正定聚)を獲る」という意味も派生し、実際、
尊号真像銘文で親鸞聖人はその意味も補って本願文を解釈されている。

411 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 02:44:50 ID:WAfdhZt6
>>410
では、その「信心(信楽)」を獲させることまでも、
第18願文に誓われているかというと「NO」である。
48願は全て十劫の昔に成就して、それ故、法蔵菩薩は阿弥陀仏と成られたのだから、
もし、信心を獲させることまでも第18願文に誓われているなら、
十劫の昔に十方衆生は信心獲得したはずであり、十劫安心を肯定することになってしまう。

以上のことを踏まえた上で、再度 >>231(私のカキコ)を読んで頂きたい。
これで完全に筋が通ります。

412 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 03:15:01 ID:WAfdhZt6
>>231より再掲
----------------------------------------------------------------------
この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を
信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。
----------------------------------------------------------------------
※「信楽に生まれさせる御ちかい」でなく、
「信楽【すべしとすすめたまえる】御ちかい」であることに注目!

ただし、上のお言葉の直後に親鸞聖人は
「凡夫自力のこころにはあらず。」と仰っています。
つまり、自力で起こす信心ではないが、第18願で「与える」と誓われたわけでもない
というのが実状です。
要するに「自力の信心」も「十劫安心」も共に間違いです。
では真実はどうかというと、それを明らかにされたのが善導大師の「両重の因縁」です。

http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/2008_625_0047_a8bd.html
------------------------------------
両重の因縁とは、

(因)名号(法体成就の機法一体)
(縁)光明(調熟の光明+破闇の光明)
(果)信心

(因)信心
(縁)名号(信念冥合の機法一体)
   +光明(摂護の光明)
(果)極楽往生

このような関係になっています。
------------------------------------
これは親鸞会の教学解説書にあった内容をどなたかが載せて下さったものですが、
これについては、全く問題ありません。

413 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 03:29:53 ID:WAfdhZt6
なお、名号は第17願で誓われ(その内容を第18願で誓われ)、
光明は第12願で誓われています。

48願がセットになっていて、それらが全て成就したことによって、
十方衆生を成仏まで導くシステムが完成したのです。
その内容を全て第18願に無理に収めようとするから話がおかしくなるのです。


415 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 04:03:55 ID:WAfdhZt6
>>380
ひょっとして、
「煩悩を断ぜずして涅槃の分を得」=難思議往生、
「正定聚の位に住する」=難思議往生、
と仰りたいのでしょうか?
あなたがイコールで結び付けたいと思っている言葉がたまたま近くにあるのは事実ですが、
かなり強引で無理のある解釈(要するに「思想先行型」)ではないでしょうか?

そもそも、『浄土三経往生文類』は、
「双樹林下往生」と「難思往生」がともに化土往生であることと対比して、
「難思議往生」の特長を明らかにされた文章ですから、
むしろ報土往生のことを言われているはずです。
三願転入のお言葉でも「難思議往生を【遂げんと欲す】」ですから、
親鸞聖人は「選択の願海に転入」した時点ではまだ「難思議往生」を遂げておられません。

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