スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

やさしい浄土真宗の教え §5 何の力によって信心を得るか?

§5 何の力によって信心を得るか?

ここまでレクチャーしてきたように、
衆生が極楽浄土に往生し、最終的に成仏するためのシステムを
阿弥陀仏が作ってくださったわけやけど、
衆生がそのシステムに乗じなきゃ、
その阿弥陀仏のシステムは作動することができまへん。(注1)

そんでもって、このシステムの乗ずるのに必要なのが、
「信心」(=信楽、プラサーダ)だっちゅうことは、
よい子のみんなは、わかっているよね?(注2)

それなのに、どっかの親●会ドグマは、
本願の解釈を、

 阿弥陀仏が信心を与えてくれる=衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓っている

なんてことにしちゃっているから、

事実上、所謂「十劫安心」を肯定しちゃうことになるんですわ(苦笑)。(注3)

これがどんだけヘンテコドグマかっちゅうことは、
これまでのツッコミを読んでくれたお友達は、
よ~わかってくれてると思います(苦笑)。(注4)


それでは、私達が何の力によって信心を得るか?

これは、ちょっと話が長くなりそうだし来週につ・づ・く♪



【今日のまとめ】
 1、阿弥陀仏の作ってくれたシステムに乗じなければ衆生は救われない。
 2、阿弥陀仏の作ってくれたシステムに必要なのは、「信心」(=信楽、プラサーダ)である。
 3、本願の解釈を「衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓っている」としたら、事実上「十劫安心」を肯定することになる。



※次回、「何の力によって信心を得るか?」をレクチャーするで!!



――――――――――――――――――――――――――――――――――
注1 以下のエピソードが、このことを端的に表しているであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ある時、一休禅師が蓮如上人に歌を送った。


 阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり
 たのむ衆生を のみぞたすくる 

(訳)
 阿弥陀仏には、本当の慈悲がないのではないか?
 阿弥陀仏をたのむ衆生だけを救うと言っているではないか!


これに対し、蓮如上人は以下のような歌を返されたそうである。


 阿弥陀には 隔つる心はなけれども
 蓋ある水に 月は宿らじ

(訳)
 阿弥陀仏には、衆生を別け隔てするような心はないが、
 蓋をしてしまった水面に月を写すことができないように、
 阿弥陀仏の本願を疑い阿弥陀仏の救いを拒む人を、
 阿弥陀仏は救うことができないのである!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


注2 以下の親鸞聖人の言葉を参照。

●しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。『教行信証』信巻

 これは、「仏願の生起本末」を衆生が「聞きて疑心あることなし」になれば、「本願力回向の信心」を獲得するので、極楽浄土に往生することが確定するということである。
 逆に言えば、衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなければ、「本願力回向の信心」を獲得することができず、極楽浄土に往生することも確定しないということである。

 そして、

●「易往而無人」といふは、「易往」はゆきやすしとなり、本願力に乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ、ゆきやすきなり。
「無人」といふはひとなしといふ、人なしといふは真実信心の人はありがたきゆゑに実報土に生るる人まれなりとなり。『尊号真像銘文』

 とあるように、阿弥陀仏が信心を与えようと様々な形で働きかけているにも関わらず、衆生がそれを受け取らないために、残念ながら極楽浄土に往生できない人が出てくるのである。


注3 以下のCさんのツッコミが素晴らしい。

かくて判明した(親鸞聖人の教えと親●会ドグマの)根本的相異点(後半) より

もし、名号を与えようとする働きが名号自体に込められていて、
そのことが本願文に誓われているのなら、
本願が成就した時点、すなわち名号が完成した時点(十劫の昔)で、
十方衆生にその名号が与えられ、十方衆生は信楽を獲て、
十方衆生はとっくの昔に浄土往生を遂げているはずです。
つまり、山田氏の主張は十劫安心そのものになるんですよ。
「名号という薬が完成したこととその薬を飲んだこととは違う」
という説明で親鸞会は十劫安心を破邪していますが、
もし「薬を飲ませること」まで本願に誓われているのなら、
本願が成就した時点で十方衆生は救われているはずなのですから、
十劫安心を肯定することになるんですよ。
これは重大な誤りです!


注4 ツッコミ!参照
スポンサーサイト

comment

Secre

No title

われら凡夫が往生するための手立てとして名号はすでに成就されております。
阿弥陀仏はそれを与えんと日夜ご苦労なさっているますが、
しかし大事なことは(名号という薬を飲むことを)強制はされていないということだと私は思います。
聖道の法門が自分の肌に合うという人はそれをすれば良いし、
あるいはキリストの教えが救いになっている方もいるでしょう。
何をたのみとするかは全く衆生の側にゆだねられている、
あくまで自分の意志でもって各々が信じる物を選び、その選んだ結果を引き受けていく。
それが「選択(せんじゃく)」というものではないかと個人的に考えております。
まったくの乱筆で以て失礼いたしました。
南無阿弥陀仏

No title

>章さん
必要な人がいるから、そのような教えが存在します。

成仏したくなくて、天国に行きたい人(他宗教の人)とか、
極楽浄土に往生したくない人とか、自分でこの世で成仏したいと思う人(他宗の人)とか、
極楽浄土に往生したいけど、そのために念仏以外の行をしたいと思う人(往生浄土を求める異解異修の人)もいるから、
そういう人のために、そういう人にあった教えを説く人ちゅうものやっぱ必要だし、
それはそれで意味があるから、存在してるんだと思います。

そういうことに関しても、親●会ドグマの解釈はおかしいんですよね。

このことに関しては、三願転入との関係で詳しく解説する予定でおります。
(§16ぐらいになると思いますw)


あと一点、

>何をたのみとするかは全く衆生の側にゆだねられている、
>あくまで自分の意志でもって各々が信じる物を選び、その選んだ結果を引き受けていく。
>それが「選択(せんじゃく)」というものではないかと個人的に考えております。

とのことですが、
法然上人~親鸞聖人の系列にある浄土門において、
「選択」というテクニカルタームは、
あくまでも釈迦・弥陀・諸仏という仏の「選択」であって、
衆生の価値判断でなされたものではありません。

阿弥陀仏の本願を信じて念仏申す生き方は、
仏の価値判断に基づいた生き方であるから、
間違いなく極楽浄土に往生することが確定した生き方(正定之業)となります。

「選択」という言葉を、浄土門を語る際に使用する場合は、
そのようなコンテキストで使用頂けたらと思います。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。