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念仏より諸行を強調しちゃダメよ!!―自称デカ丸(実際はちび丸)の「断章取義」にツッコミ

清森問答 親鸞会教義の相対化・80(投稿)より

 前回、私が書いた文章を読まれた自称デカ丸(ご本人も認められているように、実際はちび丸)氏が、以下の記事をお書きになっておりました。


※前回の私の文章
親鸞会教義の相対化・79(投稿)
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-280.html

※自称デカ丸(実際はちび丸)氏の記事
法然上人の善のすすめ(これが断章主義?)
http://blogs.yahoo.co.jp/ikiruimiwositte/23340202.html



====以下、自称デカ丸(実際はちび丸)氏の記事からの引用====
「法然上人の善のすすめ」を書きましたところ
『善にもすすむべき事』というお言葉だけでは断章主義であるとのお叱りを受けました。
理由はわかりませんが、一緒にあげた御文はあえて無視されたようですので再掲しておきます。
どのお言葉も全文をアップはできませんので御不審な方は原書をお読みください。
====以上、自称デカ丸(実際はちび丸)氏の記事からの引用====

 とのことですので、以下、自称デカ丸(実際はちび丸)氏が挙げた文章にコメントを加えさせて頂きます。


※自称デカ丸(実際はちび丸)氏が挙げた文章は、読みにくい改行を消去した以外は原則そのまま掲載しております。


【1】

「いかなるとがをもきらわねばとて、法にまかせてふるまうべきにはあらず。
されば善導も「不善の三業をば真実心の中にすつべし、善の三業をば真実心の中になすべし」
とこそは釈し給ひたれ。
又「善業にあらざるをば、うやまでこれをとほざかれ、又随喜せざれ」なんど釈し給ひたれば、心のおよばん程はつみをもおそれ、『善にもすすむべき事』とこそは心えられたれ。」(浄土宗略抄)


★コメント★

 この引用では、この文章がいかなるコンテキスト(文脈)で語られたものであるかがわからないために、この文章の持つ意味を誤って受け取る可能性があります。
 既に述べたことなので繰り返しませんが、前回の私の文章をもう一度読んで頂きたいものです。

親鸞会教義の相対化・79(投稿)
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-280.html



【2】
「持戒の行は仏の本願にあらぬ行なれば、たへたらんにしたがいてたもち候べく候。孝養の行も仏の本願にあらず。たへんにしたがいて、つとめさせおはしますべく候。」
(熊谷直実入道蓮生へつかわすお返事)


★コメント★

●また女犯とそうろうは不婬戒の亊にこそそうろうなり。また御君逹どもの勘当とそうろうは不瞋恚戒の亊にこそそうろうなれ。されば持戒の行は仏の本願にあらぬ行なれば、堪えたらんに随いて持たせたまうべくそうろう。孝養の行も仏の本願にあらず、堪へんに随いて勤めさせおはしますべくそうろう。『熊谷入道へ遣わす御返事』(浄土宗聖典vol.4p.544)

(訳)
 女犯というのは不邪婬戒に該当する亊をしてしまうということである。また御子息たちを勘当するというのは不瞋恚戒に該当することをしてしまうということである。
 だから持戒の行は阿弥陀仏の本願でない行なので、自分の能力でできる限り守るべきであろう。孝養の行も阿弥陀仏の本願の行ではないので、自分の能力でできる限り勤めるべきであろう。

・持戒の行=阿弥陀仏の本願でない行→自分の能力でできる限り守るべき
・孝養の行=阿弥陀仏の本願でない行→自分の能力でできる限り勤めるべき

という意味ですね。

それはそれでいいのですが、この文章の直前に書かれている部分がもっと重要です。


●念仏の行はかの仏の本願の行にてそうろう。持戒誦経誦呪理観等の行はかの仏の本願にあらぬ行にてそうらえば、極楽を欣わん人はまず必ず本願の念仏の行を勤めての上に、もし異行をも念仏にし加えそうらわんと思いそうらわんと思いそうらわば、さも仕りそうろう。
 またただ本願の念仏ばかりにてもそうろうべき。念仏をつかまつりそうらわで、ただ異行ばかりをして極楽を欣いそうろう人は、極楽へも、え生まれそうらわぬ(※)亊にてそうろう由、善導和尚の仰せられてそうらえば、但念仏が決定往生の業にてはそうろうなり。善導和尚は阿弥陀仏の化身にておわしましそうらえば、それこそは一定にてそうらえと申しそうろうにそうろう。

※「え生まれそうらわぬ」・・生まれることができない
「え」・・下に打ち消しの表現を伴って不可能の意味を表す

(訳)
 念仏の行は阿弥陀仏の本願の行である。持戒・誦経・誦呪・理観等の行は阿弥陀仏の本願の行でない行であるから、極楽へ往生することを欣求する人は、まず必ず本願の行である念仏の行を勤めた上で、もしもそれ以外の行もして念仏に付け加えようと思うのであれば、それもよいであろう。また、ただ本願の念仏の行だけであってもよいであろう。
 念仏を申さないで、ただ念仏以外の行だけをして極楽へ往生することを欣求する人は、極楽へ生まれることができない、という理由は善導和尚が仰っておられることであるから、但念仏が決定往生(間違いなく極楽浄土に往生することができる)の業なのである。
 善導和尚は阿弥陀仏の化身なのであるから、その方が仰ったことは間違いないと申している。


「持戒の行」「孝養の行」が、「阿弥陀仏の本願でない行」であり、自分の能力でできる限り守り勤めるものであるのに対して、極楽浄土へ往生することを欣求する人にとって「念仏」が最優先に行わなければならないことであることは明かです。

 法然上人が極楽浄土へ往生することを欣求する人に最優先で「念仏」を勧められたことが、自称デカ丸(実際はちび丸)氏にとって都合が悪いのかどうかは不明ですが、この引用でもコンテキスト(文脈)を無視した「断章主義」が行われていると私は思います。

 ちなみにこのお手紙は、嵯峨清涼寺に法然上人の真筆が残されております。文献学的な見地からもこの資料の持つ意義は非常に高いものとなっております。



【3】

念仏の行者四修の法を行用すべき文。
善導の『往生礼讃』にいはく、「また四修の法を勧行す。何者をか四となす。
一には恭敬修。乃至。
教とは『弥陀経』等を五色の袋に盛れて、みづから読み他を教へよ。(選択集)


★コメント★

これに関しては、以下の記事を読んで頂けば十分だと思います。

ツッコミ番外編(3)名義詐称野郎にツッコミ!
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-169.html

~~上記から引用~~
四修の解釈は第一に善導大師の『往生礼讚』に従うべきだと思うけど、

恭敬修・・阿弥陀仏および聖衆を恭敬礼拝する
無余修・・專ら阿弥陀仏の名を称え、仏および聖衆等を想い礼讚して他の行を交えない
無間修・・恭敬礼拝・称名等を絶え間なく行う
煩悩を交えないようして、罪を造るごとに懺悔して間を置かない
長時修・・上の三つを、一生涯続ける
~~上記から引用~~

これも『選択集』のコンテキストを無視した「断章取義」であると言わざるを得ませんね。



【4】

いま『観経』の定散二善を説きたまふことは、
ただ韋提および仏滅後の五濁・五苦等の一切凡夫のために、
証して〈生ずることを得〉とのたまふ。(観経疏)


★コメント★

『観無量寿経』において、釈尊は定散二善を述べた終わった後、流通分において阿難に、

●汝好く是の語を持て、是の語を持てとは、即ち是れ無量寿仏の名を持てとなり。

(訳)
あなたはこの語をよくたもちなさい。
「この語をたもて」というのは、無量寿仏の名号をたもてということである。

と仰っています。


 そして、善導大師『観経疏』において、この言葉を以下のように解釈され、その解釈を法然上人は『選択集』(第12章)に引用され継承されています。


●「仏告阿難汝好持是語」より以下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通せしめたまふことを明かす。上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。

(訳)
「仏告阿難汝好持是語」より以下は、まさしく釈尊が阿弥陀仏の名号を授けて、遥か後の代まで伝えようとしていることを明らかにしているのである。
 確かにこの『観無量寿経』では、ここまで、精神統一をした状態で極楽浄土を観察する善行(定善)や、心が散乱した状態で行う様々な善行(散善)の利益を説いてきたが、阿弥陀仏の本願を念頭に置くならば、釈尊が、この『観無量寿経』をお説きになったのは意図は、衆生に専ら阿弥陀仏の名号を称えさせることにあったのである。
(『観経疏』散善義)


 素朴な疑問ですが、自称デカ丸(実際はちび丸)氏は、本当に『観経疏』読んでいるのでしょうか?
 もしも読んだ上で、『観経疏』のこの箇所を意図的に挙げないというのであれば、やはりこれも『観経疏』が伝えようとしている内容を故意に歪曲している「断章取義」と言わざるを得ません。



 以上、自称デカ丸(実際はちび丸)氏の記事に若干のコメントを加えさせて頂きました。

 自称デカ丸(実際はちび丸)氏が挙げた資料の「原典」が、皆一様に最も強調して勧めているのが「念仏」であることは明かです。
 それを、自称デカ丸(実際はちび丸)氏は「断章取義」し「原典」のコンテキストから離れた意味を導き出そうとしました。

 私見ですが、今回のように、親鸞会関係者の挙げる「論拠」は露骨な「断章取義」が行われている危険があります。
 自称デカ丸(実際はちび丸)氏自身も「御不審な方は原書をお読みください」と仰っておられますので、親鸞会関係者の言葉は安易に信用しないで、各自が必ず「原典」に当たって再確認していく必要があるでしょう。


以上



ちび●さんのナイスボケのおかげで、
いろんなことがわかって良かったね♪



追記

今回も、ちび●さんに報告しました。

苦笑(本人) 削除
2009/2/14(土) 午前 11:55
ご無沙汰しております。先日はありがとうございました。

念仏より諸行を強調しちゃダメよ!!―自称デカ丸(実際はちび丸)の「断章取義」にツッコミ
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-191.html

ちび丸さんのナイスボケのおかげで、いろんなことがわかって良かったです。
感謝しています。ありがとうございました。

苦笑拝



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