スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ツッコミ!!【第38回】「死後の往生を否定するのか」の疑難に答える

第38回が更新されました。
 ↓
【第38回】「死後の往生を否定するのか」の疑難に答える
http://shinjin.info/2009/02/100755176.html

田中氏は、「チューリップ企画は『死後の往生』を否定した」と以下のようにくり返し非難して幕引きを計られた。

◆平成20年6月23日のメール
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
☆「本願成就文」の教えはイコール「本願文」(6月19日)
チューリップ企画が、『「本願文」には、死後のことは一切説かれていない』と、死後の往生を否定したことは明白です。

当方は「死後の往生」を否定したことなど一度もない。それどころか、「現在の往生」した人だけが「死後の往生」を得るのだから、「現在の往生(不体失往生)」を急げ、と力説されている親鸞聖人の教えを、開顕してきたのである。120通のメールのやり取りをご覧になれば、明白であろう。

では、「本願文」総ての解説である「成就文」に、「死後のことが一切説かれていない」のなら、「死後の往生」は何処に誓われているのだろうか。
親鸞聖人はこの問いに、「十一願」とその「成就文」を挙げておられる。
「十一願」(必至滅度の願)には、
「設い我仏を得んに、国中の人天、定聚にも住し、必ず滅度に至らずば、正覚を取らじ」
と誓われている。その「成就文」には、
「其れ衆生有りて、彼の国に生まるる者は、皆悉く正定之聚に住す。所以は何ん、彼の仏国の中には、諸の邪聚及び不定聚無ければなり」
と説かれている。
十一願に「国中の人天」とあるのは、「この世で信の一念に国中の人天になる」と親鸞聖人は教えられる。

あ~ん?(苦笑)

前にレクチャーしてあげたことは、
ちゃんと押さえておかなダメだよん(苦笑)。

 ↓ ↓ ↓
●浄土文類聚鈔
証といふは、すなはち利他円満の妙果なり。すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。また証大涅槃の願と名づけ、また往相証果の願と名づくべし。すなはちこれ清浄真実・至極畢竟無生なり。
無上涅槃の願(第十一願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ衆生ありてかの国に生ずるものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかん、かの仏国中には、もろもろの邪聚および不定聚なければなり」と。
 またのたまはく(同・上)、「ただ余方に因順するがゆゑに、人・天の名あり。顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたり」と。


釈尊は、極楽には「人・天」という名称はあるけど、
その「人・天」は、「顔貌端正にして超世希有なり」で、
「容色微妙にして、天にあらず人にあらず」で、
「みな自然虚無の身、無極の体を受けたり」と仰っていて、
親鸞聖人もそれを受けておられます。

>十一願に「国中の人天」とあるのは、「この世で信の一念に国中の人天になる」と親鸞聖人は教えられる。
 ↑
こんなこと教えてません(苦笑)。


というわけで、

86,釈尊は、極楽には「人・天」という名称はあるが、その「人・天」は「顔貌端正にして超世希有なり」で「容色微妙にして、天にあらず人にあらず」で「みな自然虚無の身、無極の体を受けたり」と仰っていて(『無量寿経』)、親鸞聖人もその教えを受けておられる(『浄土文類聚鈔』)。
 しかし、チ●ーリップ企画は(=親●会)は、『無量寿経』も親鸞聖人の言葉も読んでないので、【十一願に「国中の人天」とあるのは、「この世で信の一念に国中の人天になる」と親鸞聖人は教えられる。】などと、親鸞聖人が教えられていないことを教えられたかのように虚偽の発言をしている。




これらを、あと三回ぐらい読んで勉強しておいて欲しいですね~(苦笑)。
 ↓
「プラサーダ」(信楽)と「住不退転」(正定聚)の関係
「どこに「死後」って書いてあるの?」→ちび●ボコボコ!!(再掲)

特に今日は、こいつを更に2回読んでおいてね。
よい子のみんなには、もう当たり前のことなんだけどね(苦笑)。
 ↓ ↓
ーーーーー エエこと書いてまっせ~ ーーーーー
396 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 21:53:42 ID:gLkvGm/1
そもそもなんで現益がでてくるのかと言えば、
信楽をえたら、摂取してはなさないからだよな
若不生者と誓ってるから。
だから、死後往生すると誓われたことについて
その前の段階として、往生するに定まった状態が生じてくるわけ。
これを正定聚の位に住すと言って、不退転に住すとも、即得往生とも言う。
当益がないと現益が出てこないのよ。

なのに親鸞会は、現益ということがないと当益がでてこないという顛倒した論理を唱えている。
アニメが得にそう。
生まれるということについて、
「死んだら助けるということはありえない」
だから、生まれるということは今世からのことであるっていうすり替えを行っている。

助けるっていう状態がなんなのかっていうと現世での小さな苦しみからの解放ではないよね
生死の苦しみからの解放なのに、
現世利益と同列に問題を論じるから、現益から当益への逆転が生まれる。
まるで、今世おもしろおかしく暮らせれば、来世も安泰だという思考をしている。
しかし、今が明るいからと言って、死も明るくなるとは限らない。

後生の一大事とは、流転への不安だし、死ぬことへの不安。
広義には、解決しなければ生きていても意味がないと思えるものの解決のことでもある。
そういう問題に対して、もし自分で解決することができない人が
来世の生が明るくなると誓ってくださる方に出会えば喜ぶ
来世極楽に生まれると信じて、死の問題を明るくするから、今世も明るくなる。
それは自明の論理であって証明はいらない。


399 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 22:49:36 ID:gLkvGm/1
当益がでてくれば、現益は必ずある。
二益と言われるから。
だから、逆説的に現益がない人間は、当益もないと判断できるわけ。
つまり、それはあなた、阿弥陀仏の死後往生を実は信じていないよ?と言われているわけです。
疑情が晴れないから、現益がでてこない。

しかし、現益欲しさに阿弥陀仏を拝んでる人がいればそれはちがう。
現益を解決すれば、死後がはっきりとするという人がいればそれはちがう。

「死んだら助ける」ということではない。
「死ぬまで助かるかどうか分からない」ということがないのです。
なぜなら、真実の信心は、破れることがないのだから
弥陀の言葉を疑うことがない、助かるに決まっているといただくからです。


402 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 00:30:27 ID:xF5TMITZ
至心信楽は現益ではないよ
信心うるから、現益、当益にあずかる

親鸞会の人は信心決定(=信心が一つに定まること=弥陀の真実信心をいただくこと)と
信心によって往生が決定すること(=正定聚に入ること=即得往生)
をごっちゃにしている人多いかもね。

なんせ人生の目的が信心決定だからねw
弥陀が聞いてくれと頭下げてるのに
財施すれば間に合うと思う心を捨てるには徹底的に財施するしかないという会の論理に動員されて
自分の信心をどうにかして、決定させようと日夜努力しているんだろうね。
そういう人には往生ということが分からなくてもしかたないかも
死後がハッキリすると言われ、信心決定したらそういう世界が開けるんだから
今は考えないでおこうと思っているんじゃないかしら
往生のぬけた信心をめざしているから、よく分からない信心というものにふりまわされているんじゃない?


409 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 02:29:17 ID:xF5TMITZ
まとめ

不体失往生て往生が決定している状態のことでしょ。ということは現益だよねぇ

なら、若不生者で現益「往生定まる位に生ぜずば」を誓われるのは
信楽を獲た衆生に対してのみということなら、問題はないことになるね。十劫安心にはならない。
でも、当益が前提でなければ現益もくずれる。
なぜなら、現益は、当益を約束された本願文を信じた人の心(信楽)が死を前にしても崩れないことを表しているから。
そういう意味では、当益に生まれるという意味でだけでうけとってても、現益がないとはならない。
祖師は本願文を死後だけの意味にしてて、成就文で現益を顕彰している。
宗学的に現益の根拠とするには弱いのでは?
でも異端でもない。

また若不生者で「信楽生ぜずば」と誓われるのは
信楽を獲た衆生に対して二度手間であり、意味不明。
さらに信楽を今えていない衆生がいれば正覚をえている事実に反している。
これこそ十劫安心と言える。
また、至心信楽には信楽をうけとりなさいという意味があると宗祖は説いてるので、
ここで信楽を与えると弥陀が約束していると言える。
でも、ちび丸の根拠によれば、三信生せずばという相伝があるらしいから、
これもひとりよがりの異端解釈とはいえなさそう。


410 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 02:30:41 ID:WAfdhZt6
>>396
> そもそもなんで現益がでてくるのかと言えば、
> 信楽をえたら、摂取してはなさないからだよな
> 若不生者と誓ってるから。
> だから、死後往生すると誓われたことについて
> その前の段階として、往生するに定まった状態が生じてくるわけ。
> これを正定聚の位に住すと言って、不退転に住すとも、即得往生とも言う。
> 当益がないと現益が出てこないのよ。

>>402
> 至心信楽は現益ではないよ
> 信心うるから、現益、当益にあずかる

以上2つの発言に激しく同意。

つまり、尊号真像銘文のお言葉の通り、本願文に誓われているのは、
「信心(信楽)を獲た人に当益を与える」が根本的な意味であり、そこから、
「信心を獲た時、現益(入正定聚)を獲る」という意味も派生し、実際、
尊号真像銘文で親鸞聖人はその意味も補って本願文を解釈されている。

411 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 02:44:50 ID:WAfdhZt6
>>410
では、その「信心(信楽)」を獲させることまでも、
第18願文に誓われているかというと「NO」である。
48願は全て十劫の昔に成就して、それ故、法蔵菩薩は阿弥陀仏と成られたのだから、
もし、信心を獲させることまでも第18願文に誓われているなら、
十劫の昔に十方衆生は信心獲得したはずであり、十劫安心を肯定することになってしまう。

以上のことを踏まえた上で、再度 >>231(私のカキコ)を読んで頂きたい。
これで完全に筋が通ります。

412 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 03:15:01 ID:WAfdhZt6
>>231より再掲
----------------------------------------------------------------------
この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を
信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。
----------------------------------------------------------------------
※「信楽に生まれさせる御ちかい」でなく、
「信楽【すべしとすすめたまえる】御ちかい」であることに注目!

ただし、上のお言葉の直後に親鸞聖人は
「凡夫自力のこころにはあらず。」と仰っています。
つまり、自力で起こす信心ではないが、第18願で「与える」と誓われたわけでもない
というのが実状です。
要するに「自力の信心」も「十劫安心」も共に間違いです。
では真実はどうかというと、それを明らかにされたのが善導大師の「両重の因縁」です。

http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/2008_625_0047_a8bd.html
------------------------------------
両重の因縁とは、

(因)名号(法体成就の機法一体)
(縁)光明(調熟の光明+破闇の光明)
(果)信心

(因)信心
(縁)名号(信念冥合の機法一体)
   +光明(摂護の光明)
(果)極楽往生

このような関係になっています。
------------------------------------
これは親鸞会の教学解説書にあった内容をどなたかが載せて下さったものですが、
これについては、全く問題ありません。

413 名前:神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 03:29:53 ID:WAfdhZt6
なお、名号は第17願で誓われ(その内容を第18願で誓われ)、
光明は第12願で誓われています。

48願がセットになっていて、それらが全て成就したことによって、
十方衆生を成仏まで導くシステムが完成したのです。
その内容を全て第18願に無理に収めようとするから話がおかしくなるのです。
ーーーーー エエこと書いてまっせ~ ーーーーー



そんでもって、以下が
ドグマに合わせて捏造されたドグマ~(苦笑)。
 ↓

その根拠は、「十八願成就文」の、
「即得往生住不退転」
である。聖人はこの「即」を、平生の聞信の一念だとされ、「時を隔てず処を隔てず即座に往生し正定聚に住するのだ」と教えていられる。
この「十八願成就文」に腰を据えて親鸞聖人は、十一願成就文の「生彼国者」を、「彼の国に生まるる者は」と読まれ、
「彼の国に生まるる者は、皆悉く正定之聚に住す」
の御文を、
「弥陀の浄土に生まるる者は、この娑婆世界で正定聚になっている者だけである」
と領解された。ゆえに「十一願」の「定聚」は「現生正定聚」である、と断定され、弥陀の「十一願」は、
「現生正定聚の人を、死後、必ず浄土で仏覚を開かせる」誓いである、と聖人は説示されたのである。

このように、「死後の往生」を誓われた十一願(必至滅度の願)意を、「十八願成就文」を依憑として鮮明にされ、現当二益の弥陀の救いを開顕された方が親鸞聖人であった。

親鸞聖人の教えは、「本願成就文」以外にないことが、いよいよ明らかに知られるではないか。

ははは(苦笑)。

宿題28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。
 ↑
こいつにツッコミを入れられたから、
微妙にドグマを修正して、
十一願に「極楽浄土に生まれさせる」意味を当てはめるのは、
流石にやめたみたいだけど、

【「若不生者不取正覚」には
「極楽浄土に生まれさせる」という意味は無い】

という、最近のドグマから考えると、
「極楽浄土に生まれさせる」のは、
結局、何の力によるんでしょうかね~(苦笑)。


というわけで、

87,「正信偈」の言葉を勝手に解釈して捏造したドグマにツッコミを入れられたので、微妙にドグマを修正して、十一願に「極楽浄土に生まれさせる」意味を当てはめるのをやめたが、【「若不生者不取正覚」には「極楽浄土に生まれさせる」という意味は無い】という最近のドグマから考えると、「極楽浄土に生まれさせる」のが何の力によるのかが不明である。



最後に、田中さんがツッコミいれた、
チ●ーリップ企画(=親●会)が
死後の往生を否定している根拠は、
今日、言い訳したものだけじゃありまへんで~。
まあ、言い訳になってない言い訳だったけど(笑)。

 ↓ ↓ ↓
~ ★「死後の往生」を否定するチューリップ企画 ~

★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆親鸞聖人の教えは、「本願成就文」以外にありません。(6月19日)
 
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
 
 
 
『親鸞聖人の教えは、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
 
☆「本願成就文」の教えはイコール「本願文」(6月19日)
 
 
 
『「本願文」には、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆『本願成就文』にも『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても、(6月23日)
 
 
『「教行信証」にも、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆不体失往生した人が、体失往生できないということは絶対にないのだから、不体失往生に阿弥陀如来は、「若不生者」と正覚を懸けられているのだよ、という親鸞聖人の教えです。(6月23日)
 
 
『阿弥陀如来は、「死後の往生」に正覚を懸けていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
~ ★「死後の往生」を否定するチューリップ企画 ~



ふう。。

ず~と根拠に基づか(け)ない
ヘンテコドグマの誤魔化しの話ばっかで、
ツッコミいれるのも、かなり飽き飽きなんだけど、

こんな話を毎回聞かされる教学教義や御法話は、
もっとウンザリなんやろうね~(苦笑)。

こんな話しか聞けないなら、オイラは楽勝でいかへんで(苦笑)。
スポンサーサイト

comment

Secre

No title

>こんな話を毎回聞かされる教学教義や御法話は、
>もっとウンザリなんやろうね~(苦笑)。

うんざりですよ。毎回毎回刷り込まされるかのようにこんな話ばかり。
肝心のところを質問してもはぐらかされるような回答が帰ってくるばかり。
教学講義の受講者はどんどん減ってます。
会場を見渡しても、死んだ目をして聞いている人が多いです。
私は立場上行きますけどね。

No title

まさに、うんざり。

浄土宗と浄土真宗との教えの違いを強調して、苦笑さんを意識している講義は
笑えますよ。私は間接的に聞いただけですけど。

それを、すごいと思って聞いている会員にもっと笑えますけどね。

No title

>ねこ丸さん
やっぱそうでしょうね~(苦笑)。
ちょっとでも面白くなるように、いろいろ工夫してツッコミ入れても、
こんだけマンネリだと飽き飽きなんですから、
ツッコミも入らないボケだけ、しかも毎回同じボケの話じゃ、
「誰が聞くねん!!」ってなりますよ。マジで(苦笑)。

まあ、このまま呆れた人がジワジワいなくなって、
静かにす~っとフェードアウトしてくれたらいいのかもしれませんね~。

No title

>現役幹部さん
「うんざり」はみんなの共通認識ですよね(笑)。

「親鸞聖人と親●会の違い」を「浄土宗と浄土真宗の違い」にすり替えるのが、
なんともかんとも親鸞会クオリティーですよね(苦笑)。

親鸞聖人&覚如上人&蓮如上人の教えに基づかないで、
怪しいドグマをまき散らしている「浄土真宗」じゃなく、
親鸞聖人&覚如上人&蓮如上人の教えに基づいて、
論を組み立てている「浄土宗」を、私なら迷わず選びますけどね~(苦笑)。

それにしても、その「御講義」とやらをぜひお聞かせ頂きたいものです。
どんだけ、ツッコミ入れることになるやろ(笑)。

私の知り合いには、会長は講議中でこういったけど、こう解釈した方が矛盾がないと思うんやけど…。
矛盾があると感じていて、しかも会長の説法内容に口出しし、けれど会長は正しい。

可哀相です。

No title

>2009-02-10 : URL : editさん
う~ん。
そういう人って口には出せないけど、結構沢山いると思いますね。。

ある親●会を退会された方が、
「高●先生が仰ることは間違いない!」という間違った認識を改めただけで、
親●会で聞いていて長年疑問に思っていたことが、
いとも簡単に矛盾なくスッキリ理解できるようになって、
すごいビックリしたと仰っていました。

私も全くその通りだろうなと思います。

「高●先生が仰ることは間違いない!」
 ↑
これが、長年注入されすり込まれていたドグマに過ぎないものであったことを、
知り合いの方にも、一日も早く気づいてほしいものです。。。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。