スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ツッコミ番外編(1)2009.01.25.教学講議より

最近メル友になった方から、メールを頂きました。
 ↓↓

こんばんは。

昨日の教学講義より、T氏の発言録です。ぜひBlogで突っ込んで下さい(笑)

本願成就文はよく願成就と言われます。親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書かれたものの中に、よく願成就と出て来ます。これは本願成就文のことです。これがわからないと読めませんから、よく知ってもらいたいと思います。


阿弥陀仏の十一願の、「国中の人天」は、それだけではこの世か極楽の人かわからない。十一願成就文によって、現世この世の人、娑婆の人のことだとわかる。

十一願成就文より
彼の仏国には邪定聚、不定聚はいない、この世にしかいないのです。

怪しい発言だけですが、よろしくお願いします。



了解です!!ボコボコいきます!!(笑)
 ↓↓

> 本願成就文はよく願成就と言われます。親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書かれたものの中に、よく願成就と出て来ます。これは本願成就文のことです。これがわからないと読めませんから、よく知ってもらいたいと思います。

あ~ん?(苦笑)

>>横超(=弥陀の本願)=願成就(=願成就文)??
  ↑
これが、親●会でしか通容しない超局地的なドグマで、
これに基づく親●会ドグマには、


73,『教行信証』信巻において親鸞聖人が「横超」と仰っているのは、「本願力によって、仏のさとりを開くこと」という意味であり、「信楽にしてみせる」という意味がないことは明白である。

74,さらに「横超」(本願力によって、仏のさとりを開くこと)が、本願成就文とイコールだとすると、「本願成就文には、死後のことは一切説かれていない」という親●会ドグマが間違いということになってしまう。

75,したがって、【横超(=弥陀の本願)=願成就(=願成就文)】という主張は、親鸞聖人の教えとは全く関係のない、チ●ーリップ企画(=親●会)に限定されたヘンテコドグマである。
 ↑
こんだけの、問題が出てくるっちゅうことを、
学生さんが児●さんに教えてあげたわけですけど、
児●さんは、T先生に教えてないんかいな?(苦笑)。

ホンマニ親鸞聖人の教えに従う気があるなら、
T先生にもちゃんと教えてあげるっちゅうのが、
児●さんの役目じゃないかと思いますけどね?(苦笑)





> 阿弥陀仏の十一願の、「国中の人天」は、それだけではこの世か極楽の人かわからない。十一願成就文によって、現世この世の人、娑婆の人のことだとわかる。
>
> 十一願成就文より
> 彼の仏国には邪定聚、不定聚はいない、この世にしかいないのです。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!

へ~。

●それ衆生ありて、かの国に生るれば、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑんはいかん。かの仏国のうちにはもろもろの邪聚および不定聚なければなり。『無量寿経』第十一願成就の文

というように、「極楽には邪定聚が不定聚がいない」と成就文に書かれているから、

●たとひわれ仏を得たらんに、国のうちの人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。『無量寿経』第十一願、必至滅度の願文

この「国のうちの人」を「現世この世の人、娑婆の人のこと」と解釈しちゃうんだ~?

それちょっと、キツイんじゃね?(苦笑)

●浄土文類聚鈔
証といふは、すなはち利他円満の妙果なり。すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。また証大涅槃の願と名づけ、また往相証果の願と名づくべし。すなはちこれ清浄真実・至極畢竟無生なり。
無上涅槃の願(第十一願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ衆生ありてかの国に生ずるものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかん、かの仏国中には、もろもろの邪聚および不定聚なければなり」と。
 またのたまはく(同・上)、「ただ余方に因順するがゆゑに、人・天の名あり。顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたり」と。


釈尊は、極楽には「人・天」という名称はあるけど、
その「人・天」は、「顔貌端正にして超世希有なり」で、
「容色微妙にして、天にあらず人にあらず」で、
「みな自然虚無の身、無極の体を受けたり」と仰っていて、
親鸞聖人も、それを受けておられるわけやけど、

『無量寿経』も親鸞聖人の言葉も読んでないから、

「極楽には「邪定聚、不定聚」がいないのに、
 「人・天」とあるからこの世のことなんだ~!」

と思っちゃったんでしょうね~(苦笑)。



====エエ加減にせえや!!====
親鸞会教義の相対化・73より
一、聖教を拝見申すも、うかうかと拝みまうすはその詮なし。蓮如上人は、ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、心をとどむべきことなり。聖教は句面のごとくこころうべし。そのうへにて師伝口業はあるべきなり。私にして会釈することしかるべからざることなり。

(訳)
 聖教を拝読していても、注意せずにぼんやりと読んでいてはそのかいがない。蓮如上人は「もっぱら聖教を繰り返し繰り返し読みなさい」と仰せになられた。
 また百遍繰り返して読めば、その意味がおのずから理解できるということがあるから、それを心に留めておかなければならない。聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである。その上で師匠からの伝承や口伝えの解釈というものがあるのである。自分勝手な解釈をすることは決してしてはならないのである。
====エエ加減にせえや!!====

何度も言うけど、蓮如上人が、
「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」
「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」
と教えてくださっているんだから、
「浄土真宗」を名乗るなら、その通りにしてちょうだいね。

もしもそうでないなら、
「浄土真宗」とか詐称せんといてや(苦笑)。



追記1

メル友が以下の文を追記してくれたんだけど、
 ↓↓
>親鸞聖人は教行信証に、十一願成就文の 生まるれば を 生まるるに と書かれていて、 生まるる、は未だ生まれてないという事だから、国は娑婆になるというような事も出て来ていました。

これってどこに書いてあるんでしょうね~?
『教行信証』読んだんですけど、どこにも書いてないんですけど。。

知ってる人だれか教えて!!


追記2

メル友が更にメールくれました。
 ↓↓

苦笑さんへ

講義録を確認せず、慌ててメールしたため、少し訂正して送り直します。

親鸞聖人までは、彼の国に生まるれば、と読まれていた。

親鸞聖人は、彼の国に生まるる者は と読まれた。(法蔵館の真宗聖典、教行信証証巻には、こう出ていました)

生まるる は、文法上、未だ極楽に生まれていない、これから生まれる、という意味になるから、国中の人天の国は娑婆のことを指す。

というような内容でした。ただ、前回の文章は、約9割発言通り、今回の文章は、講義中の発言をまとめた形になります。(集中力が持たなかったためです)

今回と前回のメールは、一人でも多くの会員に目を覚ましてもらうため苦笑さんにツッコミをお願いしました。

前回の内容だと、私の言葉足らずで苦笑さんが付け込まれてしまうと思いまして、メールしましたので、追記の判断はおまかせします。



う~ん。

>生まるる は、文法上、未だ極楽に生まれていない、これから生まれる、という意味になるから、国中の人天の国は娑婆のことを指す。
 ↑
こんな文法ってあるの?
古典文法の専門家じゃないからあんまり自信ないけど、

「生まるる者」・・「生まるる」(ら行下二段活用「生まる」の連体形)+「者」(名詞=体言)

だよね?

それに、オイラの手元にある西本願寺の『浄土真宗聖典第二版』では、
「生まるれば」になってるんだよね~(p.308)。

まあ、『教行信証』の現物を見てないので断言はできないけど、
校訂本としては新しいものを使うのが定石なんじゃないかな。

いずれにしても、文法上も『浄土文類聚鈔』との関係から考えても、
この「法蔵館の真宗聖典の読み」を根拠にした、
T先生の解釈を支持することはできないと思いますな。


追記3

さっきわかったんだけど、親鸞聖人は『教行信証』の証巻で、

●「かの国の衆生、もし【まさに生れんもの】、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめん。なにをもつてのゆゑに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたはざるがゆゑなり」『如来会』(『無量寿経』の異訳)
 ↑
これを引用しているんだけど、

この「まさに生れんもの」の「生まれん」は、

「生まれ」(ら行下二段活用「生まる」の未然形)+「ん」(推量の助動詞「む」の連体形)+「者」(名詞=体言)

なわけで、「生まれるであろう者」と訳せるんだよね。

そして、その「まさに生まれるであろう者」は、
「まだ浄土に往生してない者」だけど「間違いなく浄土に往生する者」で、
浄土に往生したら、
「みなことごとく無上菩提を究竟し」「涅槃の処に到る」わけですわ。

そんでもって、「邪定聚および不定聚」は、
「かの因を建立せることを了知することあたはざる」
つまり、阿弥陀仏が浄土に往生するためのシステムを作ってくれたということを、
明らかに知ってないもんだから、
「間違いなく浄土に往生する者」じゃないっちゅうことなんですよ~。

というわけで、

★『無量寿経』十一願の【国のうちの人・天】は、極楽浄土で「自然虚無の身、無極の体を受けた」者
★『如来会』成就文の【まさに生れんもの】は、「まだ浄土に往生してない者」だけど「間違いなく浄土に往生する者」で、浄土に往生したら「みなことごとく無上菩提を究竟し」「涅槃の処に到る」者

ということになるんですね~。

ちなみに本●寺で出している『教行信証』の現代語訳でも、
ちゃんと、そんな感じに訳してます(p.332)。
流石やね~!

いや~勉強になった♪
T先生の解釈は違ってたみたいだけど(苦笑)。
スポンサーサイト

comment

Secre

No title

……。
T会長に教学的な誤りがあることを、私は最初から驚きもしません。たとえ信心がある人でも仏様じゃないんだから間違いがあって当然ですし、そもそも教学は学問なんですから卒業や完成がないとS会でも言うとおりじゃないでしょうか。

ところがですね、(S会における)善知識を仏のごとく崇めたてまつり、間違いがないと思っているんですよ。
信仰=T先生への信順度。
T先生に喜んでいただくのが宿善になって、助かる。
もはや仏法精神はおろか人間性も忘れ、自らの都合で追い出した人を誹謗中傷することに一生懸命。
S会の大本営発表のみがまこと。自分で確かめようとする気力も思考もない。

…変な話ですけど、「さるべき強縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」…これってT会長にあてはめてもそうだなあって。縁に縁が重なって、こうなっちゃったんでしょうね。煩悩そのままの人間には変わらないから得たものを今さら失うのは嫌ですし。

だから、やっぱり最終的に信じるのは人じゃないって思います。
S会の人も、知識だのみから抜け出して早く気付いていただきたいです。(…なんてのんきこと言ってる様子でもないのかな?内部は相当ひどいみたいですね)

苦笑(本物)さんもいつも御苦労様です。ご面倒とは思いますが、頑張ってくださいね。

No title

>hiさん
だんだん教学の間違いとか指摘しても、
誰もビックリしなくなってきましたよね~。

ただ、こういう作業を積み重ねながら
「T先生の言うことに間違いなし!」
という一番ゴッツイドグマを解体することが、
どっぷりはまっている人の目を覚まさせるのに必要だろうなと思います。

チ●ーリップ企画が、つぶれたテープレコーダみたいに、
あんまり同じようなことばっかり言ってるもんで、
ツッコミもマンネリでつまんなくなってきてますけど、
マンネリにならないように、常に新しいツッコミや切り口を考えながら、
読者を退屈させないようにやっていきたいですね~(笑)。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。