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ツッコミ!【第35回】「信楽」になる「本願文」の根拠

第35回が更新されました。
 ↓ ↓ ↓
【第35回】「信楽」になる「本願文」の根拠

今日も復習からいくよ~。
まずは、以下の記事を各自三回づつ読んでね。
 ↓↓↓

★「信楽の身」になるための働き
★阿弥陀仏のマニフェストが四十八項目あるって知ってる??

特に今回はこれが大事だから、これは更に二回読んでね。
 ↓↓↓

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
355 :神も仏も名無しさん[]:2008/04/12(土) 12:39:48 ID:YYE+p5fC
>>350
現益も本願力(願力自然)でいただくのは、その通りです。
「現益をいただく」=「名号をいただく」です。
名号を与える働きが「光明」です。
光明無量を誓われたのが第十二願です。
ですから、「第十二願力によって名号が与えられ、現益が獲られる」という言い方もできます。
また、「三願転入で、第十八願の世界=当益が確約された世界=現益が獲られる」
という言い方もできます。(この場合、第十九願力と第二十願力で現益をいただく、
ということになります。)
つまり、「本願力」=「四十八願全体の力」と考えるのが自然であり、
なにも「第十八願力」に限ったことではありませんし、まして
「本願力」=「若不生者の念力」などど勝手な造語と結び付けるのは単なるこじつけです。
「本願力」=「四十八願全体の力」という意味で言うなら、
現益も当益も本願力でいただくというのは、まさしくその通りです。


376 :神も仏も名無しさん[]:2008/04/12(土) 13:44:11 ID:YYE+p5fC
第十八願が四十八願の一番のメインであるのは確かですが、
本願力(阿弥陀仏のお力)を「第十八願力」に限定し、さらにそれを
「若不生者の願力」と勝手に言い換え、それを根拠に
「若不生者には現益の意味もある」と主張したい気持ちはよく分かりますが、
かなり論理に飛躍があり、やはり「初めに結論ありき」の「こじつけ」でしかないと感じます。
もっと明確に「若不生者には現益の意味もある」と仰った親鸞聖人のお言葉を
出してみなさいよ。明確に当益で解釈されたお言葉は複数あるのに、
それと同じくらい明確に現益で解釈されたお言葉が一つも出せないというのは
やっぱりおかしいですよ。

あと、素朴な疑問ですが、「若不生者」の「生」に
「信楽に生まれる」と「報土に生まれる」の2つの意味がもしあるなら、
それを補った上で、本願文をどのように書き下して読むのですか?

602 :神も仏も名無しさん[]:2008/04/18(金) 21:09:37 ID:HA1V4xsT
本願文は「…欲生我国(乃至十念)若不生者…」ですから、
普通に読めば「若不生【我国】者」のはずです。つまり当益です。
成就文も「…願生彼国 即得往生…」ですから、
普通に読めば「即得往生【彼国】」のはずであり、「往生」の部分はやはり当益です。
この意味で、本願文と成就文はちゃんと対応していますよ。
しかし、当益を約束する本願が成就した結果、
名号を頂いた平生の一念ですぐに「彼国に往生できるという確約(保障)」が「得られる」のですから、
それはもう「往生したも同然」という意味で、
そのことを親鸞聖人が大胆に「不体失往生」と名付けたのではないでしょうか?
つまり、「当益を得ることが保障された状態になること」が現益なのですから、
当益と現益とは相反するものではありません。
(もちろん親鸞聖人は「背師自立」ではありません。)
おそらくこのような背景があって、親鸞聖人は「即得往生」を現益で解釈されたのだろうと
拝察されます。
しかし、その親鸞聖人が「若不生者」までも現益に読み替えられたお言葉は見つかりません。
(理由はともかく、この事実をまずは謙虚に厳粛に受け止めるべきです。)
成就文は本願が成就したという前提がある故に現益に読み替えることが可能だったのでしょうが、
もし本願の「若不生者」までも現益に読み替えてしまったら、
究極の目的である当益がどこにも誓われていないことになり、その結果、
「現益」もなくなり、「無益」になってしまうんです。
「現当ニ益」の教えの「本」は本願であることを忘れてはなりません。


605 :神も仏も名無しさん[]:2008/04/18(金) 21:28:18 ID:HA1V4xsT
(602のつづき)
ただし、本願が成就したという前提の上で、成就文の立場から再び本願文を眺めれば、
「若不生者」も現益で「味わう」ことができるのかもしれません。
実際、大沼氏はそのように味わいました。
しかし、それはあくまで当益が本義であることを十分に踏まえた上でのことです。
ところが、高森氏は、その大沼氏の「味わい」を本義だと思い込み、
逆に、当益で解釈するのを「間違いだ」と主張し、
アニメでも親鸞聖人自身にそう言わせています。
これでは本末転倒でしょう。
「大沼氏のパクリ損ない」と言われる所以です。
(もっとも、田中氏から、親鸞聖人が当益で解釈された根拠を突き付けられた結果、
当益で解釈するのを「間違いだ」という主張は撤回し、
「現益と当益の2通りの意味がある」という主張に修正しましたが…。)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

結局、高●先生個人の「味わい」を硬直してドグマ化するから、
「味わい」に合わせて聖教を、
「初めに結論ありき」の「こじつけ」で、
強引に読まなアカンようになるのよね(苦笑)。


とりあえず、何をぐちゃぐちゃ言っても、

★本願文=本願成就文
★「若不生者 不取正覚」=「即得往生、住不退転」
★「信楽」=「正定聚・不退転」

これらの主張は根拠に基づか(け)ない、
親●会でしか通じないヘンテコドグマですわね(苦笑)。



さて、以上を踏まえてこいつを読んでやってくださいね~。
 ↓

この論戦の争点は、一貫している。
私達を「信楽」にするのは、「何の力」か、ただ一つである。

あ~ん?(苦笑)

【第1回】論戦の発端

共に明らかにせんとしたのは唯一つ、偏に、弥陀の本願の「若不生者不取正覚」の正意であり、親鸞聖人の真の教えに外ならない。

 ↑
このように言ってたのはどこの誰でしたかね(苦笑)。

ぶっちゃけ、ボロボロなことがわかっているから、
論点スライドしようとしてるんだよね?(苦笑)

その魂胆は、田中さんにも見破られていたわけだけど、
 ↓

~~2008 7/1(火) 23:19 田中さんのメール~~
 信楽をえさせるのは、何方のどんなお力かとお尋ねですが、阿弥陀仏の調熟・破闇光明の働きです。
 
 この程度のことも、ご存知ないのでしょうか?
 
 本題と関係ないことを、質問しないで頂きたく思います。
~~2008 7/1(火) 23:19 田中さんのメール~~

ほとぼりが冷めたと思っているわけ?(苦笑)
全く呆れたもんですな(苦笑)。


というわけで、

76,流石にこのままだと法論に敗北することがわかってきたので、それまで【共に明らかにせんとしたのは唯一つ、偏に、弥陀の本願の「若不生者不取正覚」の正意であり、親鸞聖人の真の教えに外ならない。】と言っていたのに、【この論戦の争点は、一貫している。
私達を「信楽」にするのは、「何の力」か、ただ一つである。】と露骨な論点スライドを行っている。


77,そのような論点スライドが不当なことは既に田中氏によって指摘されている。しかし田中氏からの反論がないことをいいことに、平気で露骨な論点スライドを行っている。


それについての田中氏の見解は、こうである。

◆平成20年1月14日のメール
私達が信楽に生まれるのは、「弥陀の本願力」によるものだということに異論はありません。

「信楽が生まれる」のは「弥陀の本願力」によることを、認めておられる。
ところが、同じ田中氏が、次のようにも言われるのである。

◆平成20年2月2日のメール
「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」、「いつ生まれるのか」ということは、本願文には明示されておりません。

「信楽が生まれる」根拠は、「弥陀の本願文にない」、との断言である。
こうも言われている。

◆平成20年2月8日のメール
(「信楽」は「どうして生まれるのか」「なんの力で生まれるのか」「いつ生まれるのか」、)私は「本願文での根拠」は知りません。

本願の肝要をお尋ねしているのに、「本願文での根拠は知りません」。

これが田中氏の、「本願」の領解なのである。

「信楽にする」と誓われていない本願に、どうして我々を「信楽にする」力があろうか。
「根拠を知らない」田中氏が、どうして「『信楽が生まれる』のは『弥陀の本願力』による」と、明言できたのだろうか。

先の「平成20年2月2日のメール」では、

だからこそ、釈迦が本願成就文で説明されたのです。

と、田中氏は続けられる。では尋ねたい。
弥陀が「本願文」に誓われていないことを、釈迦は「成就文」に説かれた、とでも言われるのだろうか。釈迦が説かれたことは、「本願文」に「根拠のない」ことなのだろうか。そんな「成就文」を、親鸞聖人が「横超とは即ち願成就」とか、「一実円満の真教真宗」と仰る筈がないではないか。

この点を糾したのが、当方の次の質問である。
◇平成20年6月29日
貴方は、平成20年2月2日のメールで、
『「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」、「本願文」には明示されておりません』
と言われています。
「本願文に明示されていない」と言うことは、弥陀が説かれていないと言うことですか。弥陀が説かれてないことを、釈迦は説かれたのですか。

これも、未だにお答え頂いていない。
「本願文」と「成就文」の関係を、正しく知られないからであろう。

弥陀が「本願文」に「若不生者」と明示されている「生」の願意を、「死後ではない、現在、信楽に生まれさせる」「不体失往生」と、鮮明に説かれたのが、釈迦の「成就文」であり、親鸞聖人なのである。

はいはい(苦笑)。

★本願文=本願成就文
★「若不生者 不取正覚」=「即得往生、住不退転」
★「信楽」=「正定聚・不退転」

これらの主張が、根拠に基づか(け)ない、
親●会でしか通じない「ヘンテコドグマ」なことが、
よいこのみんなにはバレバレなわけですが、

こんな「ヘンテコドグマ」を前提に、
何をぐちゃぐちゃ言ってもらっても、
そんなのは「ヘンテコ解説」以外の何者でもありまへんで(苦笑)。



論点スライド目的の記事にツッコムのは、
流石にめんどくさ過ぎるから、
もう繰り返さないけど、
今日の復習を読んでもらったら、
論点スライドしてもヘンテコドグマなのが
本当によ~わかりますわ(苦笑)。


というわけで、

78,【本願文=本願成就文】【「若不生者 不取正覚」=「即得往生、住不退転」】【「信楽」=「正定聚・不退転」】という「ヘンテコドグマ」を前提に、「ヘンテコ解説」をおこなっているので、論点スライドした内容まで「ヘンテコドグマ」である。



はあ・・めんどくせえ(苦笑)。
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No title

>2009-01-27 : : editさん
あたたかいお言葉、ありがとうございます!

これからも頑張って、「憎らしいぐらい強い!」と言われた、
北●湖関のようになりたいです。←ちょっと古いw
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苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
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※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

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