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ツッコミ!!【第34回】「若不生者」の『成就文』による解釈

第34回が更新されました。
 ↓ ↓ ↓
【第34回】「若不生者」の『成就文』による解釈

今日も、復習からいくよん。
まず、この三つを三回ずつ読んでね♪
 ↓ ↓ ↓

★「若不生者」の「生」は、「極楽に生まれる」じゃなきゃだめ!!
★「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違う
★「プラサーダ」(信楽)と「住不退転」(正定聚)の関係

特に今日は、これを更にもう一回読んでおいてね~♪
 ↓

▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
653 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:00:34 ID:eu09B6u2
>『「若不生者」の「生」は、「死んでから後に極楽に生まれること」』
> これと
>『「若不生者」の「生」は、「死んでから後に必ず
> 極楽に生まれられると生きている今疑いが晴れること」』
> この2つには区別が立つというのが本稿での主張です。

> 後者の表現の場合、この「生」は極楽ではなく、

いや、あくまで「生」を「極楽に生まれる」と解釈するからこそ、
前者から後者の意味が派生するのです。

>「死んでから後に必ず極楽に生まれられると生きている今疑いが晴れること」とは
> 法の深信で、機の深信の同時に立たない二種一具の深信はないのだから、
> 正にこれこそが、「信楽」の一心の相状を顕すのです。

そもそも「信楽を獲た人は」という大前提があるのを忘れています。
この人の主張によれば、本願の内容は
「信楽を獲た人を信楽に生まれさせる」
となります。これでは同義語反復であって、何も誓われていないのと同じことになります。

本願の内容はあくまで
「信楽を獲た人を極楽に生まれさせる」
です。(親鸞聖人自身が、あちこちで何度も仰っていますから間違いありません。)
そして、この意味から
「信楽を獲た人は極楽往生が確定する」
という意味が派生し、さらに「極楽往生が確定する」ことを「不体失往生」と定義することにより、
「信楽を獲た人は、その一念で不体失往生する」
という意味も出てきます。(実際、成就文はそういう内容になっています。)
ですから、本願文を深読みすれば、ここまでの意味を導くのはセ-フです。


656 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:13:05 ID:eu09B6u2
>>653の続き

しかし、「信楽を獲ること」と「不体失往生」とは一念同時ですが、
あくまでも因果関係にあるのであって、同じ意味ではありません。
つまり、「信楽を獲る」と同時に、その結果として「不体失往生」するのです。
それを初めから「不体失往生」=「信楽を獲る」だとしてしまったら、
「信楽を獲た人を信楽に生まれさせる」
という同義語反復になってしまいます。
ところが「信楽を獲た人を」という大前提を意図的に省くことによって
「(十方衆生を)信楽に生まれさせる」というのが本願だという主張を導いてしまったわけです。

私はこの論法の誤謬を見抜きました。



658 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:28:21 ID:eu09B6u2
>>656の続き

「信受本願 前念命終
即得往生 後念即生」(愚禿抄)

「前念は後念のために因となる」(教行信証行巻、p.283)

このことから、
「信受本願(信楽を獲る)」が【因】で、
「即得往生(不体失往生)」が【果】であることが、鮮やかに分かります。

仏教では、「因果同時」「因果倶時」というのはよくあることです。

なお、田中氏は「即得往生」に該当する箇所を本願文では「至心信楽」だと言いましたが、
それは時間的に同じ部分はそこしかないという意味で言ったのだと拝察します。
実際、田中氏は、「即得往生」と「至心信楽」が「同じ意味だ」という言い方はどこにもしていません。



698 名前:神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 23:49:14 ID:eu09B6u2

法論の参考までに。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/23kgaku.html
703 名前:神も仏も名無しさん:2008/06/28(土) 07:32:25 ID:EFeh3d8c
>>698

このことからまず、「若不生者」が当益なのは昔から当然とされていることが分かります。
(だいたい、「至心信楽欲生【我国】の者を生まれさせる」なのだから、
普通に読めば「【我国】に生まれさせる」なのは当然だし、
実際、親鸞聖人がそのように当然な解釈をされたお言葉が複数存在するのですから論ずるまでもありません。
「親鸞学徒」ならば、親鸞聖人のお言葉を、書かれている通りに素直に読むべきなのに、
山田氏は何をごちゃごちゃ捏ねくり回してるんだかと思います。)

それと、伝統的には「即得往生」も当益と解釈されていたことが分かります。
これも「願生【彼国】即得往生」ですから普通に読めば「往生【彼国】」です。
ですから、伝統的には「若不生者」も「即得往生」もともに【当益として】対応していました。
(ちなみにこの場合、「即」は「異時即」です。)

ところが親鸞聖人が初めて「即得往生」を現益に読み替えられたのです。
ただしこれにも2通りあって、聞信の一念で即、「往生彼国の保障を得る」というのが1つめの読み替えです。
つまり、往生そのものは当益だがその保障を得るのは現世においてだからということで、
「即得往生」全体としては現益だという解釈です。
2つめの読み替えはもっと大胆に、「往生」そのものを「心は浄土に遊ぶなり」の意味に解釈するものです。

いずれにしても、親鸞聖人は「即得往生」を現益と解釈されました。

705 名前:神も仏も名無しさん:2008/06/28(土) 08:30:11 ID:EFeh3d8c
>>703の続き

山田氏も田中氏も親鸞聖人の解釈に従う立場のようですから、
「即得往生」は現益であるという認識で一致しています。
この点は何も問題ありません。
ところが、親鸞聖人が「即得往生」を現益に読み替えた以上、
(少なくとも直接的には)「若不生者」との対応関係が失われました。
それなのに、読み替え前に成立していた対応関係を拡大解釈して、読み替え後にも成り立つと思い込み、
それによって「若不生者」までもが現益だというように話を展開するつもりのようです。
これは全くの本末転倒です!

あるいは対応関係をそのまま利用するのではなく、
「即得往生」を現益に読み替えた方法論をうまく真似することによって、
「若不生者」までも現益に読み替えようと試みるかもしれません。
しかし、「即得往生」を現益に読み替えることができたのは、
本願で当益が誓われ、それが成就したという前提の上でのことです。
もし本願で当益が誓われていなければ、
「往生彼国の保障を得る」こともありえませんし、
「心は浄土に遊ぶなり」もありえません。(未来が明るくなってこそ現在が明るくなるのですから。)
ですから、もし「若不生者」までも現益に読み替えてしまったら、全ての土台が崩れ、
当益はもちろん現益もなくなり、全くの「無益」になってしまうのです。
ゆえに、「若不生者」の現益への読み替えは絶対に不可能です!

まあ、本願文の本来の意味を踏まえた上で(つまり土台を崩さずに)、
あくまで【仮想的に】成就文と同じように【味わう】ことによって、
「若不生者」を現益に解釈するというのならギリギリセーフかもしれません。
ただしその場合でも、【信楽を獲れば】という前提条件は除去できません。
(つまり、「信楽を獲れば、不体失往生する」という解釈でなければなりません。)

ところがさらにこれを「不体失往生」=「信楽を獲る」と誤解し、
「十方衆生を信楽に生まれさせる」というのが本願だと主張するのであれば、
それはもう、むちゃくちゃな解釈になってしまいます。

706 名前:神も仏も名無しさん:2008/06/28(土) 08:56:45 ID:EFeh3d8c
>>705の続き

法蔵菩薩は「本願が成就しなければ正覚を取らない」と言われ、十劫の昔に阿弥陀仏と成られました。
ですから、十劫の昔に本願が成就したのは間違いありません。
つまり、お約束は既に果たされたのです。
ですから、お約束の内容が、もし「十方衆生を信楽に生まれさせる」であるならば、
十方衆生は十劫の昔に信心獲得していなければなりません。
しかし、これは事実に反します。

そこでこの矛盾をごまかすために、親鸞会では、
「法蔵菩薩は十劫の昔に成仏されたが、本願はまだ成就していない」ということにして、
「不取正覚」を「一旦取った正覚を捨てる」というように解釈するのです。
根本的な誤りのしわ寄せが、こんなところにも表れているのです!

間違いを認めて訂正すれば、全てがストレートに解釈できてスッキリするのにねぇ…。
本願に関してこんな歪んだ解釈をする人の話で本当に救われるんでしょうかね?
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △


それでは、以上を踏まえて見てみましょう♪
 ↓ ↓ ↓

「若不生者」は「極楽に生まれさせる」ことだけであり、死後に限ると、田中氏は一貫して主張される。

◆平成20年1月8日のメール
親鸞聖人は、「若不生者」の「生」を「極楽浄土に生まれる」という解釈以外されていないのは明らかです。

いくら「明らかです」と言い張ろうと、『成就文』に根拠がなければ、聖人の教えにならない。
親鸞聖人は本願を一実・円満の真教『成就文』に忠実に解釈されたのだから、聖人が「若不生者」をどう解釈されたか知るには、『成就文』の正しい理解が必須である。

その『成就文』には現在の救いのみ説示され、死後のことは一切、説かれていない。だから聖人が「若不生者」は「死後、極楽に生まれること」だけと解釈されたご文など、あるはずがないのだ。
聖人のお言葉は、「若不生者」は死後に限るという田中氏の誤りを正されたものばかりである。

あ~ん?(苦笑)

~2008 1/8(火) 20:18 田中さんのメール~
 話を戻しますが、貴方は、私が「不体失往生」を否定しているかのような書き方ばかりされますね。

 私は最初から、この世で「信楽」に「生まれた」者だけが、死んで「極楽浄土」に「生まれる」ことが出来ると主張し続けております。

 そのことを、親鸞聖人は

「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。

 このように記述されています。他にも、何箇所も「若不生者の生は、極楽浄土に生まれることだ」と書かれています。

 逆に、貴方のように「若不生者の生は、信楽に生まれることだ」と書かれているところは一箇所もありません。


 親鸞聖人は、「若不生者」の「生」を「極楽浄土に生まれる」という解釈以外されていないのは明らかです。

 もし、「極楽浄土に生まれる」という意味だけしかない、ということに異論があるのであれば、親鸞聖人の御言葉を示してください。

 私は何回も根拠を示していますが、貴社からは、いまだに一つの根拠も出てきません。

~2008 1/8(火) 20:18 田中さんのメール~

チ●ーリップ企画(=親●会)のヘンテコドグマが、
親鸞聖人の言葉に抵触することが、
田中さんにバッツリ指摘されているわけですが、
都合の悪い親鸞聖人の言葉はキッチリカットですか?(苦笑)


もう、反論しやすい形に捏造した意見にしか、
反論することもできないんやね(苦笑)。


というわけで、

69,チ●ーリップ企画(=親●会)のヘンテコドグマが、親鸞聖人の言葉に抵触することが田中氏によって既に指摘されていることは明かである。(2008 1/8(火) 20:18 田中さんのメール)

70,しかしチ●ーリップ企画(=親●会)は、根拠となる親鸞聖人の言葉の部分を削除することによって、田中氏の主張を反論しやすい形に捏造し、捏造した意見に反論することによって、反論ができているかのような印象操作を行っている。



『成就文』には「若不生者」の真意を「即得往生住不退転」と解説され、弥陀が「必ず生まれさせてみせる」と命を懸けられたのは、「生きている時、信楽に生まれる」不体失往生であることを明示されている。
だから親鸞聖人は『愚禿鈔』で、「若不生者」の「生」は、『成就文』の「即得往生」であり、信楽の心に生まれることだと細説されていることは、すでに述べた。

『信受本願 前念命終 即得往生 後念即生』(愚禿鈔)

弥陀に救われた一念に迷いの心が死ぬ(前念命終)と同時に、「即得往生」と信楽の心にする(後念即生)。ここでも聖人は、「若不生者」と命を懸けられたのは、心が死んで生まれる現在の往生(即得往生)だと明言されている。まさしく『成就文』に合致した聖人のお言葉である。

なお、田中氏は平成20年6月28日のメールで、この『愚禿鈔』のお言葉は『「若不生者」については触れられていません』とも主張されているが、「信受本願」とは弥陀の本願まことだったと、本願三十六文字にツユチリほどの疑心もなくなり、本願と私が一つになったことである。「若不生者」を抜いた本願の一部に疑い晴れたことでは決してない。
本願と一体になった一念に、心の臨終と誕生の同時体験をさせられたと仰有っているのだから、本願のこの部分には「触れられていません」などという理屈が通るはずがなかろう。
「触れられていない」どころか、「若不生者」は「死後、極楽に生まれる」意味しかないという、現代もある根深い謬見を正されたお言葉なのである。

あ~ん?(苦笑)

~ 2008 6/28(土) 20:40 田中さんのメール ~
★ 貴方が「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈されたことに、親鸞聖人の根拠が有るのか。無いのか。
 
 
 これ1つを、繰り返し、繰り返し、質問してきました。今回、この質問に対して、ようやく以下の返答を頂きました。
 
 
>『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
>即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
 
 
 この返答で、貴方の主張には、結局、根拠が無いことが、明白になりました。
 
----------------------------------------------------------
 
★「本願を信受する」とは、「本願に疑いが晴れる」ということです。
 
 
 尊号真像銘文には、以下のように記述されています。
 
『信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり。この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。』
 
 
 つまり、「本願を信受する」=「至心信楽をえる」ということです。
 
 貴方の根拠は、「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、
「若不生者」については触れられていません。
 
 
 さらに、尊号真像銘文は、以下のように続きます。
 
『「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』
 
 
 至心信楽をえた人、イコール「即得往生」した人が、死んで極楽浄土に生まれるのが、「若不生者」の「生」だと断定されています。
 
 当然、「即得往生」=「若不生者」は成り立ちません。
 
 
 貴方が主張するように、「即得往生」=「若不生者」であるならば、「若不生者」は「生きている間のみ」ということになり、上記の親鸞聖人の記述は間違いということになります。
 
 
 つまり、貴方の提示された根拠では、「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈することは出来ません。

~ 2008 6/28(土) 20:40 田中さんのメール ~

あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。
 ↑
ですっごい前に晒し者にされているわけだけど、
チ●ーリップ企画(=親●会)が挙げた唯一の根拠は、
速攻でボコボコにされちゃっているんでっせ~(苦笑)。


いくら都合が悪いからって、
ボコボコにされた記事を捏造するとは、
呆れてものが言えませんな(苦笑)。


というわけで、

71,チ●ーリップ企画(=親●会)のヘンテコドグマの根拠としてあげた親鸞聖人の言葉が、全く根拠になっていないことは、既に田中氏によって証明されている。(2008 6/28(土) 20:40 田中さんのメール)

72,しかしチ●ーリップ企画(=親●会)は、根拠となる親鸞聖人の言葉の部分も田中氏の解説もほとんど全て削除することによって、田中氏の主張を反論しやすい形に捏造し、捏造した意見に反論することによって、反論ができているかのような印象操作を行っている


もう、いつまでもやってたらいいですよ。
ず~と笑いものにしたるから(苦笑)。

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Secre

チューリップ企画関係者へ質問

今まで随所で議論されている、下記内容について(親鸞会流に言えば、全人類が浮かぶか沈むか瀬戸際の内容、又いつでも どこでも変わらぬ真諦門の かなめ中の要)簡潔に明快に回答してもらいたい。

[質問]
~だから、聖人が「若不生者」は「死後、極楽に生れること」だけと解釈されたご文など、あるはずがないのだ。
とチューリップ企画が断定しているが、

『尊号真像銘文本』巻頭あたり、
~この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり~

~このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり~

をどう解釈しているのか?
尊号真像銘文は、確実な文証で、これに異論ならもはや親鸞学徒とは言えなくなるね~。


親鸞会ではいつも、人に分かり易いことばで、且つ聖人のお言葉の論拠を文証をあげて説明せよと言っている。
ところがチューリップ企画の文章は、冗長で難解、焦点がどこにあるのかつかみにくい。文証も尊号・・など都合悪いのは、引用しない。

『尊号真像銘文』の言葉は、今ように言えば、親鸞聖人のデジタルなお言葉。
前述のお言葉を、他に解釈しようが無い。(今まで散々議論されている内容の繰り返しですよ)

以上から  < 「死後、極楽に生まれること」だけと解釈されたご文などあるはずがないのだ >の貴社根拠を、尊号真像銘文の解釈をも含め、文証で示してもらいたい。


・・・チューリップ企画関係者が、苦笑氏のコーナーを、直近で見ている事を願いつつ・・・   

No title

>もと かいいんさん
おそらく、「無視」でしょうね(苦笑)。

頼みをしないのに過剰反応していたことから、
絶対このサイトを見てると思いますが、
さすがにこんだけ反論できなくなると、もうどうしようもないので、
「無視」するっきゃないでしょうね~(苦笑)。

そもそも、『尊号真像銘文』を読んだ時点で結論は明らかだったわけですが、
ぐちゃぐちゃ見苦しいいい訳している間に、
親●会ちゅうのがどんだけ不誠実で、
そこで説かれている教義がどんだけ底の浅いものであるかが、
ものすごい鮮明になりましたから、まあよかったと思います。

まあ、さすがに私も見放した感じですね(苦笑)。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

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