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昔から変わってないんだな~(苦笑)。

清森問答 親鸞会教義の相対化・77(投稿)より

 以下のものに関して私見を述べさせて頂きます。

★『法戦5』(浄土真宗親鸞会)pp.111-127.第5章
・相手浄土宗僧侶・伊藤信道
・邪義「体失不体失往生の諍論は歴史的事実ではない」
「善恵房証空は、『救いは死後』とは説いていない」

 伊藤氏は、アニメビデオ二巻における所謂「体失不体失往生の諍論」の場面に関して、以下の質問と抗議をされています。

~~以下引用~~
さて、これは、歴史上の事実かどうか、お尋ねします。また、これは真実かどうかお尋ねします。
おそらく、覚如の「口伝鈔」を用いられたのであろうと推測するのですが、このビデオを製作する根拠として、これが正しいものかどうか、検討されたのでしょうか?
続いて、証空上人が、救いは死後にあるということは、どこにも仰有ってられません。
「平生業成」「機法一体」など、重要な言葉は、いずれも証空上人の念仏思想から生まれたものでありますから、救いが死後などということは、絶対にありません。正しくないことを、このように一般に向かって伝えられることに、抗議いたします。
(pp.112-113)
~~以上引用~~

 私も清森問答で何度かこの話題を取り上げておりますが(注1)、この方の指摘は極めて妥当なものであり、アニメ制作者は誠実に対応する義務があると思います。

 しかし、親鸞聖人映画製作委員会の解答は以下のようなものでした。

~~以下引用~~
御抗議、確と受け取りました。
歴史上の事実であり、真実であることを、十分検討してあります。
証空上人が、どこに、いつ救われるとどのように、仰有っておられるか。
お手数ながら、根拠をご教示下さい。
(p.113)
~~以上引用~~

 このように、「歴史上の事実であり、真実である」根拠は全く示すことはなく、質問に対して質問で答えるという論点のすり替えを行っております。
 そして「生きて身をはちすの上にやどさずば念佛まうす甲斐やなからん」という証空上人の歌を紹介し、「不審ならば、西山上人の全集など資料を見て下さい」と更に抗議する伊藤氏の指摘を無視し、証空上人の言葉を一つも挙げないまま手紙のやり取りを行っております。
 そして手紙のやり取りは、以下の親鸞聖人映画製作委員会の返信で終わっております。

~~以下引用~~
気を見て森を見ず、森を見て山を見ず、と言われます。今、問題の山は、証空上人が、不体失往生を主張されたか、否かの歴史的事実なのです。
三世十方を貫く仏法の信奉者は、昔も今も変わらぬ事実を尊重します。証空上人が、不体失往生を説かなかったという歴史的事実は、八百年後の今日、不体失往生を説かない証空上人の信奉者によっても証明させている、これこそが最も重大な歴史的事実なのです。
証空上人が、全く完全にこれっぽっちも、不体失往生も体失往生も教えなかったとしたら、弥陀の本願を一切信ぜず、説きもしなかった人、それが証空上人となります。
無論、法然上人の弟子などと言えるものではありません。当然、親鸞聖人の破邪の対象になったのは必然です。くどく木にしがみつくと、ますます、森も見えず、山も見ることができませんよ。決して仏法者は、現象に囚われて、事の本質を見失ってはなりません。
証空上人の不体失往生を説かれた言葉があれば、お聞かせ下さい。
何年後でも結構です。
(pp.126-127)
~~以上引用~~

 この後、伊藤氏からの返信はないようですが、恐らく、あまりにも不誠実で会話が成立しない相手なので、呆れて返信するのをやめてしまったのだと思います。
 しかし、既に私が資料を挙げて論証しているように、証空上人が現世での救いをお説きになられていることは「歴史上の事実であり、真実である」ことであり、伊藤氏への対応が極めて不当なものであったことは明かです。

 なお、これは平成六年になされたやり取りで、この本が出版されたのは平成九年です。十年以上たった現在でも、親鸞会という組織には自浄作用というものが全く働いておらず、チューリップ企画が更なる教義上の脱線を行っていることは、清森問答をご覧の皆様もよくご存じの通りです(注2)。


(注1)

以下のサイトを参照。

★親鸞会教義の相対化・1(質疑応答33)
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-35.html

これは、清森さんはご存知かもしれませんが、

聖光上人が親鸞聖人と同じ時期に法然上人の下にいなかったことは以前申しましたが、

体失・不体失往生の論争に関しても、
証空上人も、往生は平生に定まるという「即便往生」をお説きになられていますし、
ましてやアニメのような「念仏申していたら死後に往生できる」という主張は、
証空上人には全くありません。

もちろん、これは浄土真宗的には「伝統」なのかもしれませんが、今の時代に、つまらない宗我見に捉えられて縄張り争いするべきでないと思うし、
広く一般の人を相手に教えを説き広めていくというのであれば、まずはきちんとした事実に立つべきで、捏造した情報の上で、教えを説いていくようなことは、避けるべきなのではないかなと思いました。

そうしていかないと、きちんと文献に当たって確認された時に、信頼を著しく損なってしまうのではないかなと思います。


★親鸞会教義の相対化・26
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-85.html

私の友人が証空上人に言及したのは、アニメで証空上人が、


『皆さん。釈尊が、この世にお生まれになったのは、阿弥陀如来の本願1つを説かれるためでした。どんな人でも、念仏さえ称えれば、死ねば必ず極楽浄土に連れていくという、ありがたいお約束です。』


という台詞を話すことによって、何も知らない方がご覧になった時に、その方が証空上人を誤解しないためです。

証空上人は、この世での救いを積極的にお説きになり、

生きて身をはちすの上にやどさずば念佛まうす甲斐やなからん

という歌を詠んでおられます。

しかもこれは、

問うて云く。
摂取の益をかうぶる事は、平生か臨終か、いかん。

答えて云く。
平生の時なり。そのゆえは、往生の心まことにて、わが身を疑う事なくて、来迎をまつ人は、これ三心具足の念仏申す人なり。
この三心具足しぬれば、必ず極楽にうまるという事は、観経の説なり。

かかる志ある人を阿弥陀仏は、八万四千の光明をはなちて、てらし給うなり。

平生の時、照しはじめて、最後まで捨て給わぬなり。
故に不捨の誓約と申すなり。
「念佛往生要義抄」(昭法全六八七頁)

というように、「摂取の益は平生の時である」と、仰っておられる法然上人から学ばれたものであり、

>親鸞聖人に指摘されるまで、「往生」と言えば、
>「体失往生」しか知らなかった善恵房証空と、
>そっくりではないかと驚く人もあるでしょう。
http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/2007_1224_1233_5999.html

というように、親鸞聖人から学ばれたものではありません。

更に証空上人は、

三心発る時即便往生す、此時正しく仏も成仏し衆生も往生す。
『定散料簡義』

と仰せっていますから、「念仏さえ称えれば」などという台詞は、極めて不当なものであると思います。

私の友人は、証空上人に対する誤解を危惧して指摘しただけで、どこかの誰かさんのような、くだらない宗我見や宗派根性は持っておりません。

正確に情報を検討しようともせず、自分のつくりあげた幻の世界の正義感で、つくりあげた敵や悪と戦おうとするような、行為は慎みたいものです。


ついでなのでお勧めの本を紹介しておきましょう。

★浅井成海著『浄土教入門』(本願寺出版)

浅井先生は浄土真宗のお寺のご住職ですが、その学問の立場は、なるべく宗派意識を取り払い、法然上人と親鸞聖人、そしてその他の法然上人のお弟子達の教学を、なるべく客観的に見ていこうとする立場を取ってます。

この本は法然上人・親鸞聖人・弁長上人・証空上人の教えが、念仏とか本願とか信心とか人間観とかテーマ別に整理されていて便利です。
証空上人について語るのであれば、せめてこの本一冊ぐらいは読んでください。


★親鸞会教義の相対化・30
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-97.html

A『念佛往生要義抄』の記述から、法然上人に関して以下のことが言える。

1)信前(光明に摂取される前)と信後(光明に摂取された後)の区別をしていた。
2)「往生の心まことにて、わが身を疑う事なくて、来迎をまつ人=三心具足の念仏申す人かどうかで、信前・信後を区別していた。

B『定散料簡義』の記述から、証空上人に関して以下のことが言える。

1)現世における救いである「即便往生」(=不体失往生?)を説いていた。
2)「即便往生」は、三心が発ることによって起きる。

貴方が、私の提示した資料をまともに読んでいないことは凄くよくわかりました。
次に論点スライドする時は、もう少し私の挙げた資料を読んでからにしてください。


(注2)

以下のサイトを参照。

★チューリップ企画サイト「徹底検証親鸞聖人の教え」
http://shinjin.info/

★苦笑の独り言ツッコミ!
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-category-3.html



(追記)

「浄土宗を立てたのが、法然上人でなく、証空上人であると、間違っています」とチューリップ企画製作のビデオが間違った記述をしていることを指摘しているビラを愛知県内で入手したことが、本書で書かれています。
十年以上も前に間違いを指摘されているにも関わらず、全く間違いを間違いと認識しておらず、最近、田中氏によって再度指摘を受けても全く間違いを改めない。
このような姿勢は、仏法者としても企業としても、極めて不当なものであると改めて感じました。

親鸞会教義の相対化・65参照
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-206.html


以上




親●会のやり方が、昔から全然変わってないのに
ちょっとビックリですわ(苦笑)。

おまけに、
「浄土宗を立てたのが、法然上人でなく、証空上人」
  ↑
これにも昔からツッコミ入れられていたのに、
恥じるどころか、自分逹の著書に公開するとは、
ちょっとビックラこきましたな(苦笑)。

これも宿題にしときますっせ。

 ↓↓↓
61,証空上人の教義を全く知らないまま、証空上人の思想を語っているため、浄土真宗(それも覚如上人~蓮如上人の系列)に限定された「伝承」と理解すべき法論を「歴史的事実」として、間違った情報をまき散らしてしまっている。

62,間違った情報を指摘してくれた相手に対して誠実に対応すべきにも関わらず、全く論証責任を果たさ(せ)ないままに間違った情報に基づいて相手の方を侮辱している。

63,「浄土宗を立てたのが、法然上人でなく、証空上人であると、間違っています」と十年以上も前に指摘されているにも関わらず、間違いを認めず恥知らずにも自分たちの著書にそれが指摘されたビラを紹介している。その間違いは未だに認めておらず、田中氏によって再び指摘されているが、全く間違いを改めようとしていない。
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Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

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賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
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