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ツッコミ!!【第31回】「若不生者」に疑い晴れるのは平生

第31回が更新されました。
 ↓
【第31回】「若不生者」に疑い晴れるのは平生


親鸞聖人が『尊号真像銘文』に「信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり」と仰せの通り、弥陀の本願にツユチリほどの疑いも無くなった心を「信楽」という。
本願を信ずる心(信楽)が生まれたとは、本願三十六文字すべてに疑い晴れたことであり、本願の一部を疑って、残りを信ずることは無いと前回、明らかにした。

あ~ん?(苦笑)

これは前に教えてあげたことなんだけど、
阿弥陀仏の本願に疑いが晴れた親鸞聖人が、

●しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。『教行信証』行巻

と仰っておられるように、「阿弥陀仏の本願」っていうのは、

「すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す」

と、自分の力では仏になれない僕ちゃん逹を、
極楽浄土に往生させて最終的に成仏させてくれる、
阿弥陀仏が構築したシステム全体のことなんでっせ~。

その証拠に、

●「二には深心」と。「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。『観経疏』

と善導大師も仰っておられますわね。

だから、

★弥陀の本願にツユチリほどの疑いも無くなった心=「信楽」

というのは、まあいいんだけど、

★本願を信じる心(信楽)が生まれたこと=本願三十六文字すべてに疑い晴れたこと

というのは、

阿弥陀仏の本願を、

●設我得佛 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法『無量寿経』
 ↑
この「三十六文字」に限定したかのような言い方で、
全く根拠に基づか(け)ない独自のドグマであるのはもちろん、
上記の善導大師の『観経疏』の記述や
親鸞聖人の『教行信証』の記述にも、
明らかに抵触しちゃうトンデモヘンテコドグマなのよね(苦笑)。



というわけで、

53,【本願を信じる心(信楽)が生まれたこと=本願三十六文字すべてに疑い晴れたこと】というチ●ーリップ企画(=親●会)の解釈は、阿弥陀仏の本願を「設我得佛 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」だけに限定したかのような解釈である。この解釈は全く根拠に基づか(け)ない独自のドグマである。

54,【本願を信じる心(信楽)が生まれたこと=本願三十六文字すべてに疑い晴れたこと】というチ●ーリップ企画(=親●会)の解釈は、阿弥陀仏の本願を「設我得佛 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」だけに限定したかのような解釈である。この解釈は全く根拠に基づか(け)ない独自のドグマであるが、「かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず」という善導大師の『観経疏』所説の「二種深信」の記述に抵触する。

55,【本願を信じる心(信楽)が生まれたこと=本願三十六文字すべてに疑い晴れたこと】というチ●ーリップ企画(=親●会)の解釈は、阿弥陀仏の本願を「設我得佛 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」だけに限定したかのような解釈である。この解釈は全く根拠に基づか(け)ない独自のドグマであるが、「阿弥陀仏の本願」によって「すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す」ことを明かにしている親鸞聖人の『教行信証』の記述にも抵触する。



あと、ついでだから言っておくけど、

親●会では、

●設我得佛 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法『無量寿経』

の「三十六文字」が、

●どんな人も 必ず助ける 絶対の幸福に

の「十六文字」に言い換えて教えられているようですが、
これも根拠に基づか(け)ない、独自のドグマであることは、
既に指摘されてて、これも紹介済みですな(苦笑)。
 ↓

===「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違う===

701 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 22:16:43 ID:iBZWtYDV
>>698
なるほど。ということは、十八願を

どんな人も 必ず助ける 絶対の幸福に

と言い換えるのは間違い、ということ?

702 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 22:29:04 ID:SSHL9SRG
>>701
> なるほど。ということは、十八願を
>
> どんな人も 必ず助ける 絶対の幸福に
>
> と言い換えるのは間違い、ということ?


「どんな人も 信楽すれば 必ず助ける 絶対の幸福(正定聚という意味なら)に」なら、いいんじゃないの?


問題は、必ず信楽になれると言ってよいか。

> 分相の18願は、「信楽を与える」という約束

と、ちび丸に合わせて、このように書いたが、聖教には、「阿弥陀仏のお力で信楽になれる」としか書かれていない。


これを、「どんな人でも かならず信楽にする」と書き換えて良いか?

どこかに親鸞聖人が「必ず信楽にする約束」と書かれていれば分かり易いが、今のところ私は、見つけていない。

間違い無いのは、「阿弥陀仏のお力で信楽になれる」。これだけ。


誰か、「どんな人も、必ず信楽にさせると 約束されている」と書かれている根拠があれば教えてください。

それが見つかれば、「どんな人も 必ず助ける 絶対の幸福に」もOKだと思う。

703 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 22:39:13 ID:NEkveLHU
なるほど。
弥陀の十八願はそういう約束だったのか。

704 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 22:50:55 ID:T0XwJH3K
どんな人でもっていうのは、十方衆生のことだとは聞いたな。

705 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 22:52:38 ID:SSHL9SRG

アニメは高森氏の製作では無いと言い出す人がいそうだから、
高森氏の著作から、間違いを指摘する。


もとよりこれは阿弥陀佛の本願に「十方の衆生を信楽の一心に救わずば吾れ正覚を取らじ」と約束なされた通りになった相であるから、まさに本願に相応したわけである。【会報2集・信の一念5】


「十方の衆生が、信楽の一心を得たのに、浄土往生せずば吾れ正覚を取らじ」と書くのが正しい。

現益で解釈しても、

「十方の衆生が、信楽の一心を得たのに、正定聚に救わずば吾れ正覚を取らじ」と書くのが正しい。

と書くのが限界。


「信楽の一心に救う」というのは、18願が全然分かってないから、こんな表現になる。




706 :神も仏も名無しさん:2008/09/06(土) 22:54:34 ID:SSHL9SRG

> 「十方の衆生が、信楽の一心を得たのに、正定聚に救わずば吾れ正覚を取らじ」と書くのが正しい。

失礼。

「と書くのが正しい」は余計。

===「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違う===

というわけで、

56,親●会では、「設我得佛 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」の「三十六文字」が、「どんな人も 必ず助ける 絶対の幸福に」の「十六文字」に言い換えて教えられているようだが、これも根拠に基づか(け)ない、独自のドグマである。しかもこのことは既に指摘済みである。




いっつも、こ~んな感じで、
まず根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを提示し、
そのヘンテコドグマに基づいてヘンテコ解説をし、
そのヘンテコ解説と矛盾するということで、
田中さんの主張を批判して勝手に勝利宣言するのが、
チ●ーリップ企画(=親●会)の
インチキ法論の定石なわけですが、



この苦笑ちゃんが、
前提となるヘンテコドグマにツッコミを入れて、
ヘンテコさ加減を晒し者にしてしまった後で、
↓こういう書き込みを見ると・・

それなのに田中氏は、「信楽に生まれる」にあたるのは「至心信楽欲生我国」だけと限定し、あとの「若不生者不取正覚」は「浄土に生まれる」ことだと主張される。

◆平成19年12月22日のメール
「信楽」が「生まれる」のは、「若不生者の誓」の「至心信楽欲生我国」の部分に当たります。「若不生者不取正覚」に当たるのは、「浄土に生まれる」です。

もし、田中氏が言われるように、「若不生者」は〝死後、浄土に生まれることだけ〟とすれば、「若不生者」の誓いまことかどうか、死んでみなければハッキリしない。「信楽」に生まれても、本願の一部に疑心が残ることになる。

こんな自己矛盾が生じたのも、一実円満の真教『成就文』を誤読したからであろう。
『成就文』では「若不生者不取正覚」の真意を「即得往生住不退転」と解説され、死んだ後ではない、平生の一念に不退転の心(信楽)に生まれる「不体失往生」だと説示されている。
田中氏が繰り返された『「若不生者不取正覚」に当たるのは、「浄土に生まれる」です』という説明は、どこにもない。
「信楽」に必ず生まれさせてみせると、弥陀が不体失往生に命を懸けられたお言葉が「若不生者」だから、誓願通り信楽に生まれたとき、「若不生者」の誓いまことだったと、三十六文字と一体になるのである。

はいはい(苦笑)。

さ~てツッコミた~いむ~♪
どんなツッコミが入か、
読者のみんなには予想が出来てるかもよ(笑)。


読んでなかったみたいだから、改めて教えてあげたのに、
まだ読んでなかったのね(苦笑)。
 ↓↓↓

あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。
 ↓
<チューリップ企画山田さんの主張>
http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/2008_628_1057_8158.html
★『若不生者不取正覚』が不体失往生の根拠だと仰った、親鸞聖人の文章がありますか。
勿論、ある。
親鸞聖人のお言葉は、
『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
本願を信受するは、前念命終なり。(即ち正定聚の数に入る。)
即得往生は、後念即生なり。(即時に必定に入る。又必定の菩薩と名くる也)』
★貴方は「若不生者不取正覚」と「即得往生住不退転」はイコールだと仰るのですか。
イコールでなければ「一実・円満の真教」と言われるはずがないじゃありませんか。
親鸞聖人のお言葉は、
『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
本願を信受するは、前念命終なり。(即ち正定聚の数に入る。)
即得往生は、後念即生なり。(即時に必定に入る。又必定の菩薩と名くる也)』



しかも、速攻でボコボコにされてるし(笑)。
 ↓
<田中さんのボコボコ攻撃>
>『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
>即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
 
 
 この返答で、貴方の主張には、結局、根拠が無いことが、明白になりました。
 
----------------------------------------------------------
 
★「本願を信受する」とは、「本願に疑いが晴れる」ということです。
 
 
 尊号真像銘文には、以下のように記述されています。
 
『信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり。この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。』
 
 
 つまり、「本願を信受する」=「至心信楽をえる」ということです。
 
 貴方の根拠は、「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、「若不生者」については触れられていません。
 
 
 さらに、尊号真像銘文は、以下のように続きます。
 
『「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』
 
 
 至心信楽をえた人、イコール「即得往生」した人が、死んで極楽浄土に生まれるのが、「若不生者」の「生」だと断定されています。
 
 当然、「即得往生」=「若不生者」は成り立ちません。
 
 
 貴方が主張するように、「即得往生」=「若不生者」であるならば、「若不生者」は「生きている間のみ」ということになり、上記の親鸞聖人の記述は間違いということになります。
 
 
 つまり、貴方の提示された根拠では、「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈することは出来ません。
あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。

そんでもってこれが、前回のツッコミね。
 ↓↓↓

 宿題51,チ●ーリップ企画(=親●会)が主張するように「即得往生」=「若不生者」であるならば、「若不生者」は「生きている間のみ」ということになるが、これは親鸞聖人の『尊号真像銘文』の記述に反するヘンテコドグマである。ということが既に田中氏に指摘されている。

 宿題52,捏造した田中氏の主張に反論することによって、親●会独自のドグマを親鸞聖人の教えであると印象付けようとしている。またチ●ーリップ企画(=親●会)の主張が、田中氏にボコボコに論破されていることを誤魔化そうとしている。


今回のチ●ーリップ企画の書き込みは、
田中さんや僕ちゃんのツッコミを読んでたら、
絶対にありえない書き込みなわけだけど、
自分にとって都合の悪い発言はなかったことにして、
厚かましく書いちゃうわけですな~(苦笑)。


というわけで、

57,自分にとって都合の悪い田中氏や苦笑のツッコミも無視しながら、矛盾していない田中氏の主張に矛盾があるかのように虚偽の主張を行っている。



「信楽が生まれること」と「若不生者」を分断する田中氏の主張を、引き続き『成就文』に基づいて検証しよう。

はいはい(苦笑)。

めんどくさいけど、
ボコボコにツッコミいれてあげるよ



こんなことをしてたら、
チ●ーリップ企画(=親●会)ドグマの
ヘンテコさが明らかになり、
インチキ論法の醜悪さも明かになりますが、
これじゃあ誰も納得しまへんし、
呆れられるだけだけどね(苦笑)。




追記(2009.01.05.18:36)

これは既に述べたことだけど、極楽浄土に往生した人が成仏できるのは、
必至滅度の願(第十一願)が成就してるからだよ~。

 ↓↓↓
★本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願(第十八願)を因とす。
等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願(第十一願)成就なり。
『教行信証』行巻「正信偈」

★「本願名号正定業」といふは、第十七の願のこころなり。十方の諸仏にわが名をほめられんと誓ひましまして、すでにその願成就したまへるすがたは、すなはちいまの本願の名号の体なり。これすなはち、われらが往生をとぐべき行体なりとしるべし。
 「至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」といふは、第十八の真実の信心をうればすなはち正定聚に住す、そのうへに等正覚にいたり大涅槃を証することは、第十一の願の必至滅度の願成就したまふがゆゑなり。これを平生業成とは申すなり。されば正定聚といふは不退の位なり、これはこの土の益なり。滅度といふは涅槃の位なり、これはかの土の益なりとしるべし。『和讃』(高僧和讃・二〇)にいはく、「願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ すなはち大悲をおこすなり これを回向となづけたり」といへり。これをもつてこころうべし。『正信偈大意』



わかりやすく図にしてあげてるんだから、ちゃんと理解してね

                                  第十一の願の
=前念(因) 介在時間0  =後念(果)              必至滅度の願
「信受本願」【←即の時→】「即得往生、住不退転」「若不生者 不取正覚」成就
    ↓           ↓            ↓       ↓
  真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・→極楽浄土へ往生→成 仏
    |           |           |      |
  十八願の真実の       |           |     等正覚にいたり
   信心をうればすなはち正定聚に住す        |     大涅槃を証する
           (この土の益)          |     (かの土の益)
      ↓       ↓              ↓      ↓ 
    【時間的に同時の「時分」】          【一念須臾のあひだ】


まあ、チ●ーリップ企画(=親●会)の解釈は、
親鸞聖人や蓮如上人とは全然違うんだけどね(苦笑)。
 ↓

 宿題28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。

 宿題29,「往生」と「成仏」の間に時間を介在しないとしても、両者は全く別の概念である。したがって、【十一願の「必至滅度の願」が成就しているから極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できる】ということが、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張が正しいことの根拠とはならない。
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Secre

No title

>上記の善導大師の『観経疎』の記述や
>親鸞聖人の『教行信証』の記述にも、
>明らかに抵触しちゃうトンデモヘンテコドグマなのよね(苦笑)。

『観経疎』って『観経疏』の間違いですか?
直しておいてはどうでしょう?

No title

>しんぱくしょうさん
お~!失礼しました!
訂正しておきます!!

No title

> もし、田中氏が言われるように、「若不生者」は〝死後、浄土に生まれることだけ〟とすれば、「若不生者」の誓いまことかどうか、死んでみなければハッキリしない。「信楽」に生まれても、本願の一部に疑心が残ることになる。

死んだ後のことは、死んでみなければ分からないから、「死後浄土に生まれさせる」という誓いに、疑いが晴れるはずがない、との主張ですね。



>(5)『次にこの度、「生きている時」に「死んで極楽に生まれられる」という未来のことに疑いが晴れるのです、とおっしゃっていますが、まだ死んでもいないのに今、そんなにハッキリと後生未来のことが分かるのでしょうか。』と疑問になる他力信心があるのでしょうか?
>
> 貴方の(5)に対する回答
> 有りません。メンタルテストしただけのこと、無用なお気遣いはお構いなく。

ここで、山田氏は、死んでいない今、ハッキリと後生未来のことが分かると断言しています。
自己矛盾も甚だしいですね。

No title

>Fuuさん
システマチック思想体系を持ってなくて、その場の思いつきで書くから、
こういう矛盾がポコポコ出てくるんですよね(苦笑)。

その場の思いつきでコロコロ変わる教義に、
いっつも振り回される会員の方が本当にお気の毒ですよ。。

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No title

>2009-01-06 : : editさん
メールを返信しましたので、よろしくお願いします。

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No title

>2009-01-08 : : editさん
ご訪問ありがとうございます!
メールを送らせて頂きましたので、今後もよろしくお願いします!!
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

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