スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ツッコミ!【第27回】田中氏の「往生」の誤解

第27回が更新されました。
 ↓↓↓
【第27回】田中氏の「往生」の誤解
http://shinjin.info/2008/12/151142165.html

『成就文』の教えを知られない故の、悲しい誤解が続く。

◆平成19年12月4日のメール
貴社の一番の問題は、浄土真宗で「生まれる」といっても二通りの意味があることを理解しておらず、混同しておられることです。ここで「生」と「往生」は、ほぼ同じ意味と受け取って頂いて結構です。
一つ目の「生」は、ビデオの内容で言えば「不体失往生」であり、生きている時に「信楽をえる」ことを「生」と言います。十八願では、「至心信楽欲生我国」に当たります。
二つ目の「生」は、死んで真実報土に生まれることを言います。十八願では、「若不生者」に当たります。
同じ「生」の字を使っていても、意味は全く違います。

このように田中氏は、浄土真宗で「生まれる(=往生)」といっても「この世、信楽に生まれる(=不体失往生)」と「死後、真実報土に生まれる(=体失往生)」の二通りあり、全く違うものである。なのに、「この二つの往生を、チューリップ企画は混同している」とご忠告されている。
果たして、浄土真宗の「往生」を誤解しているのはどちらであろうか。二つの往生は、全く無関係の別物なのだろうか。

あ~ん?(苦笑)

>二つの往生は、全く無関係の別物なのだろうか。

田中さんは、
「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」
なんて、一言も言ってまへんで(苦笑)。

それなのに、この問題設定はおかしいですがな(苦笑)。

しかもこれを見てよ~。
↓ ↓ ↓

~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~
「関係」という言葉は、違うものをつなげる言葉です。違うものだからこそ「関係がある」と言えるのです。「若不生者」と極楽に生まれられるのは、「信楽をえた」人だけです。だから、不離の関係があるのです。しかし、「極楽に生まれる」ことと「信楽をえた」ことは、全く違います。
~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~

どうよ?(苦笑)

「信楽をえた」ことと「極楽に生まれる」ことが、
「不離の関係」であると断った上で、
両者が異なった概念であると主張してるんですよ~。

田中さんの主張を反論しやすい形に捏造して、
それに対する反論を行っても全く意味あらへんで(苦笑)。

もうみんなにバレバレやし、
インチキワラ人形論法は、
いい加減やめにしてくれへんかな~?(苦笑)


というわけで、

39,「信楽をえた」ことと「極楽に生まれる」ことが「不離の関係」であると断った上で、両者が異なった概念であるとしている田中氏の主張を、「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」であるかのように印象操作を行い、反論しやすい形に捏造した主張に対して反論するワラ人形論法を行っている。


「成就文」の「即得往生」についての善知識方のご教示を、重ねて頂いてきたが、この問題は根深く、善恵房証空でも間違えたところであるから、再往を述べねばならないだろう。
親鸞聖人は、「本願」と「成就文」の関係を、「横超とは即ち願成就」(教行信証信巻)と言われている。「弥陀の『本願文』三十六字は、イコール釈迦の『成就文』四十字の教えである」と断言されているお言葉である。
「成就文」は「本願文」総ての解説であるからこそ、「即ち(イコール)」と言われ、「一実円満の真教」と讃嘆され、「真宗是れなり」〝浄土真宗は『成就文』の教え以外にない〟と明言されているのである。

あ~ん?(苦笑)

とりあえず『教行信証』見てみよかな。
 ↓ ↓ ↓
●横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。『教行信証』信巻

ここに書かれている内容を簡単にまとめると、

【聖道門】【方便】「竪出」・・大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教
     【真実】「竪超」・・大乗真実の教
【浄土門】【方便】「横出」・・三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善
     【真実】「横超」・・願成就一実円満の真教、真宗

ということで、

【聖道門】【方便】である「竪出」、【聖道門】【真実】である「竪超」、
【浄土門】の中でも【方便】である「横出」、これらに対して、

【浄土門】【真実】である「横超」の教は、
阿弥陀仏の本願が成就してシステムが完成しているから、
そのシステムに乗じたら全ての衆生が救済されるということで、
「一実円満の真教」と言われていて、
それこそが「真宗これなり」ということを言ってるんでっせ~。


それをチ●ーリップ企画(=親●会)が解釈すると・・
 ↓ ↓ ↓
>「弥陀の『本願文』三十六字は、イコール釈迦の『成就文』四十字の教えである」と断言されているお言葉である。

・・苦笑・・

こりゃ『教行信証』を読んでないか、
読者を舐めてるかどっちかやね(苦笑)。

自分のドグマの都合に合わせて、
『教行信証』を変な所でカットして、
親鸞聖人が言っていない新しいドグマを作るの、
もうやめにしてくれまへんかね~?(苦笑)


田中さんの主張を捏造するにもヒドイけど、
親鸞聖人の言葉を捏造するのは、
ちょっとアカンでしょ?(苦笑)


というわけで、

40,ドグマの都合に合わせて『教行信証』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを親鸞聖人の言葉と詐称して使用している。



では、その「成就文」には、「若不生者」と弥陀が正覚の命を懸けていられる「生」を、どう解説されているのか。「『即得往生』と説かれている」と、親鸞聖人は鮮明にされ、弥陀の本願は「不体失往生」であることを生涯開顕なされている。主著の『教行信証』を始め、『愚禿鈔』『ご和讃』『尊号真像銘文』などのご著書も、かかる仏意の宣揚以外になかった。かの「体失不体失往生の諍論」も、「若不生者」を「死後だけのこと」とする善恵房の迷妄を打破し、「不体失往生」の弥陀の救いを発揮せんが為の、聖人決死の大法論であった。

あ~ん?(苦笑)

もうエエ加減にしてくれへんかな~(苦笑)。
これで四回連続の間違えやで~。

ちょっとアカンでしょ~(苦笑)。
 ↓ ↓ ↓

====読めや!====
繰り返しになるけど、
阿弥陀仏の本願の対象は「十方衆生」でっせ。
「十方衆生」が「信楽」になることを阿弥陀仏が誓い、
その誓いが成就しているなら、
「十方衆生」全てが「信楽」になって、
誰も迷いの世界に留まってないことになるんやで(苦笑)。


 参照→宿題4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。

そんでもって、親鸞聖人が、
「即得往生 住不退転」と「若不生者 不取正覚」を、
時間軸上別の時点に配置されていて、
この両者をイコールにするのが、
親鸞聖人の教えに抵触するっていうのも、
既に指摘済みでっせ(苦笑)。


 参照→宿題13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
====読めや!====

いい大人なんだから、
もうちょっと違う角度から誤魔化すとか、
別のアプローチを考えた方がいいんちゃう?

可哀相だし、アドバイスしといたるわ(苦笑)。



この親鸞聖人の教えを、覚如上人は『口伝抄』に、こう明示されている。
「真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす」
肝要も淵源も、これ以上大事なことはない表現だから、〝弥陀の本願の最も優れて尊く大切なのは、平生一念の「不体失往生」であると、釈迦や親鸞聖人は言われている〟ということである。

あ~ん?(苦笑)

またまた、ドグマの都合に合わせて、
『口伝鈔』をヘンテコな形でカットしましたな(苦笑)


●一 一念にてたりぬとしりて、多念をはげむべしといふ事。
 このこと、多念も一念もともに本願の文なり。いはゆる、「上尽一形下至一念」(礼讃・意)と等釈せらる、これその文なり。しかれども、「下至一念」は本願をたもつ往生決定の時剋なり、「上尽一形」は往生即得のうへの仏恩報謝のつとめなり。そのこころ、経釈顕然なるを、一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこころえみだす条、すこぶる経釈に違せるものか。さればいくたびも先達よりうけたまはり伝へしがごとくに、他力の信をば一念に即得往生ととりさだめて、そのときいのちをはらざらん機は、いのちあらんほどは念仏すべし。これすなはち「上尽一形」の釈にかなへり。
 しかるに世の人つねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこころうるか。これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆゑは如来の大悲、短命の根機を本としたまへり。もし多念をもつて本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもつて淵源とす。『口伝抄』


この文は、「如来の大悲、短命の根機を本としたまへり」だから、
「真宗の肝要」は「一念往生をもつて淵源」としていて、
「一念にてたりぬとしりて、多念をはげむべし」ということを言ってるだけで、


>〝弥陀の本願の最も優れて尊く大切なのは、平生一念の「不体失往生」であると、釈迦や親鸞聖人は言われている〟
 ↑
こ~んな意味は、この文からは出てきまへんで~(苦笑)。

いかにも文献に基づいて語っているように偽装しても、
ちょっと文献を読んだら、速攻でインチキばれまっせ(苦笑)。


というわけで、

41,ドグマの都合に合わせて『口伝鈔』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを覚如上人の言葉と詐称して使用している

どうせ、根拠に基づか(け)ないドグマなんだし、
さらに晒し者にされて傷口を広げるようなことは、
もうやめにしたらどうよ?(苦笑)



では、なぜ弥陀は、「信楽に生まれさせる(=不体失往生)」に命を懸けていられるのか。それは、「この世、信楽に生まれ」さえすれば、「死んで極楽に生まれられる(=体失往生)」と決定するからである。すなわち「信楽」とは、「極楽に生まれられる」身のことであり、「往生一定の決定心」をいうのである。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!

>では、なぜ弥陀は、「信楽に生まれさせる(=不体失往生)」に命を懸けていられるのか。
 ↑
この問題設定に対して、
これが全く解答になっていないことは、
 ↓

>それは、「この世、信楽に生まれ」さえすれば、「死んで極楽に生まれられる(=体失往生)」と決定するからである。

これまでこのブログを読んでくれたお友達には、
もう完全にバレバレなんでっせ(苦笑)。

先ほど上にも書いて四回連続になったけど、
【宿題4】は、ちゃんと復習しといてな(苦笑)。



この密接不離な「不体失往生」と「体失往生」を、田中氏は完全に切り離し、「同じ『生』の字を使っていても、意味は全く違う」という理解だから、混乱されるのも当然だろう。しかも、その自説に合わせて「本願文」を無理に解釈しようとするから、「至心信楽」と「若不生者」を分断するという、先の珍しき領解になるのである。これでは、「弥陀の本願文」総てを「若不生者の誓」と言われた親鸞聖人とは、明らかに異なる。
かかる田中氏の誤解の根本は、真宗の肝要・至極である「成就文」の曲解にあることを、繰り返し銘記しておきたい。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!

あのさ~。

もうエエ加減わかってほしいんだけど、
田中さんの主張を捏造して批判するだけじゃ
とてもともて誤魔化しきれないぐらい、
チ●ーリップ企画(=親●会)ドグマのヘンテコさは、
みんなに知れわたっておりますねん。



★諸仏世尊つねにこの言を説きたまはく、二つの白法あり、よく衆生を救く。
一つには慚、二つには愧なり。
慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。
慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。
慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。
無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。

(苦笑ちゃん訳)
諸仏世尊はいつも言ってはるで!二つの清らかな法があって、衆生を救うのや!
一つ目は「慚」で、二つ目は「愧」や!
「慚」は自分が二度と罪を作らないこと!「愧」は人に罪を作らせないこと!
「慚」は自分自身の罪を恥じること!「愧」は人に罪を告白して恥じること!
「慚」は人に対して恥じること!「愧」は天に対して恥じること!
これを「慚愧」と言うんやで!
「慚愧」がない奴は人間ちゃう!そんな奴は畜生や!

 ↑
あつかましいから、この言葉を読んでも何も感じまへんか?
いつまで晒し者になるつもりですかいな?(苦笑)


あと、一応もう一度言っとくけど、
「無慚無愧を痛切に告白」と
「無慚無愧に居直る」は
全然ちゃうものやからね(苦笑)。
スポンサーサイト

comment

Secre

No title

高◎先生は 入院されている と聞きましたが

これだけ しっかりとした?? 文章をお書きになられるのだから

お元気なのでしょうね・・・・・

あっ 違いました  書いているのは山田さん でしたね。

それにしても、 今まで これと まったく同じ内容を ひたすら

聞いてきましたので、 まったく慣れっこになって、おかしい とか

矛盾 とか 感じる感覚さえ なくなっていました。


でも・・・ 苦笑さん!  わっかりやすいですよ^^

目から うろこ がいっぱいですね。

ちゅー◎ップ企画は
真実を検証する! とか 立派なことを言ってながら、
自分の都合の悪いとこは無視。 都合のいいように改ざん という
手口が よくわかります。

そういえば、昔から 親△会の討論大会は いかに黒を 白にして
いいくるめるか
ということだったと思いますが、勝つため、打ち負かすための
討論でしたね。

言い訳と自己主張しかない真実検証?
は がっかりと信頼失墜のなにものでもない気がしました。

No title

>やめたらいいのにさん
入院ということで、ちょっと心配してたんですが、
こんだけあつかましい文章が書けるなら、心配いらんでしょう。
某所で書かれていたように、時間稼ぎの仮病でしょうかね~。

こんだけ親鸞聖人や覚如上人の言葉をズタズタに寸断して、
インチキドグマを捏造するっていうのは、
並の講師では、ちょっと真似できないと思いますよ~。
ましてやアニメ製作会社の営業担当の方がするわけないですわ(苦笑)。

チ●ーリップ企画が誤魔化しのために全力で取り組むのは、
見ているこっちとしては、苦笑するしかないんですが、
ツッコミいれながら、読者の皆様に、
親●会のバイアスのかかっていない純粋な親鸞聖人の教を、
わかりやすくお話して啓蒙する機会が得れて、
とてもよかったと思いますよ(笑)。

こんな機会でもなければ、私の真宗講議は聞けませんよ(笑)。
ホンマニ、がっかりと信用失墜を積み重ねながら、
真実開顕のためのサンプルになっている、
チ●ーリップ企画(=親●会)には、
感謝せなアカンかもしれませんね~(笑)。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。