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祝「あんちくしょう」登場!!

このサイトにも遂に、
「あんちくしょう」(アンチ苦笑)登場!!
↓ ↓ ↓
恥知らずは人間ちゃう!!コメント覧

いや~。
この親父ギャグを言いたくて言いたくて、
首を長くして待ってたのよ~(笑)

放置プレーでもいいんだけど、今回は特別に、
タコ殴りにして あ・げ・る


一言

>あつかましいから何も感じないか?(苦笑)

おまえもなー(ちょと古いか?)

当然、このつっこみは想定内だろうね、ニガワライさん。

あ~ん?

2ちゃんねるに張り付いてるネット対策員ではないんで、
こんな2ちゃんねるなツッコミは知りませんがな~(苦笑)。←うそ(笑)


無慚無愧を痛切に告白されている、親鸞聖人の教えを仰ぐ者として、
すすんで晒されに出ているニガワライさんに、一応の敬意。

あ~ん?

この言葉は、父王を殺害したという
自らの罪の重さに苦悩する阿闍世に対し、
釈尊在世当時のインドの名医である
耆婆(ジーヴァカ)が言った言葉で、
自らの罪に苦悩する阿闍世には慚愧がある、
という文脈で書かれた言葉でっせ(苦笑)。


 そのときに大医あり、名づけて耆婆といふ。王のところに往至してまうしてまうさく、〈大王、いづくんぞ眠ることを得んや、いなや〉と。王、偈をもつて答へていはまく、{乃至}〈耆婆、われいま病重し。正法の王において悪逆害を興す。一切の良医・妙薬・呪術・善巧瞻病の治することあたはざるところなり。なにをもつてのゆゑに、わが父法王、法のごとく国を治む、実に辜咎なし。横に逆害を加す、魚の陸に処するがごとし。{乃至}
われ昔かつて智者の説きていひしことを聞きき。《身口意業、もし清浄ならずは、まさに知るべし、この人かならず地獄に堕せん》と。われまたかくのごとし。いかんぞまさに安穏に眠ることを得べきや。いまわれまた無上の大医なし、法薬を演説せんに、わが病苦を除きてんや〉と。耆婆答へていはく、〈善いかな善いかな、王罪をなすといへども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり。大王、諸仏世尊つねにこの言を説きたまはく、二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慚、二つには愧なり。慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慚愧あるがゆゑに、すなはちよく父母・師長を恭敬す。慚愧あるがゆゑに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。善きかな大王、つぶさに慚愧あり。


そんでもって、
阿闍世はこのように言われても納得できないから、
釈尊に教えを受けるですがね~(苦笑)。

親鸞聖人が「無慚無愧を痛切に告白されている」
のはその通りだけど、
それは阿弥陀仏の光明に照らされ、
自身の内面を深く見つめさせられた上での告白であって、
あつかもしくも「無慚無愧」に居直る
「畜生」な輩とは全然ちゃいますわ(苦笑)




しかしながら、未熟な信仰で法語を振り回す姿に、「子供にカミソリ」の諺を思い浮かべるのは、私だけではないだろう。
頭のよい人だろうから、論理はしっかりしてるけど、頭(=智恵)でいったら、釈迦や、弥陀には
かなわない。48願をよくよく眺めて、「若不生者」の「生」の意味を知りましょう。

仏法は、自分のわからないことを、教えて頂いて、わからないながらに受け入れて確かめてい
く道。わからないから、受け入れない、という態度では、信仰は進まない。

あ~ん?

一、聖教を拝見申すも、うかうかと拝みまうすはその詮なし。蓮如上人は、ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、心をとどむべきことなり。聖教は句面のごとくこころうべし。そのうへにて師伝口業はあるべきなり。私にして会釈することしかるべからざることなり。

(訳)
 聖教を拝読していても、注意せずにぼんやりと読んでいてはそのかいがない。蓮如上人は「もっぱら聖教を繰り返し繰り返し読みなさい」と仰せになられた。
 また百遍繰り返して読めば、その意味がおのずから理解できるということがあるから、それを心に留めておかなければならない。聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである。その上で師匠からの伝承や口伝えの解釈というものがあるのである。自分勝手な解釈をすることは決してしてはならないのである。


蓮如上人の言葉を無視してもらっちゃ困りますな~(苦笑)。

私達凡夫はどこまで言っても「聖意難則」だから、
言葉に言い表せない阿弥陀仏の本願をギリギリの言葉を用いて言語化した、
釈尊・七高祖・親鸞聖人・覚如上人・蓮如上人といった、
善知識方の教えに基づいて、阿弥陀仏の本願を解釈せなあきまへん。

それなのに、それらを完全に無視した勝手な解釈をしておいて、
何が「仏法」だと言うんでしょうかね(苦笑)。

ヘンテコドグマを、
「教えて頂いて」「わからないながらに受け入れて」
「進む」「信仰」は、
ヘンテコドグマに基づくヘンテコ信仰ですがな(苦笑)。


「子供」と見下す人の「カミソリ」に斬りつけされても、
全く反論できないヘンテコ信仰の教祖に、
三十七項目の宿題にちゃっちゃと解答するよう、
あんさんから伝えておいておくれやす(苦笑)。


〇森さんも、上〇さんも、〇生さんも、嶋〇さんも、わかるところまでで止まったままなのだね。
到底わかるはずのないこの世の宝を、受け取ってくれよと立ち尽くめの弥陀の願心。わからないから、受け入れない、とはあまりに勿体無い、ね。

あ~ん?

=====清森問答 親鸞会教義の相対化・30=====
>合点だけで喜んでいる学者さんには、到底分らない苦しみです。
>頭の理解だけで腹底が、ちっとも見えていない人には、いくら言っておわからない苦しみです。
>信仰が、学者さんより進んでいればこその悩みとお見受けします。

「学者さん」がどなたを指すのかはわかりませんが、貴方は自分と同じ思考回路を持っているかどうかで、「学者さん」の信心が貴方やkkhate(=kkk)さんより「進んでいない」と断定するのでしょうか?

ちなみに法然上人は、

人の心は外に現るる事なければその邪正定難しといえども、『経』には三心を具して往生すと見へてそうろうめり。
この心を具せざるが故に念仏すれども往生を得ざるなり。
(中略)
この心の発りたる事は我が身に知るべし。人は知るべからず。
『十二箇条の問答』の第六問答、浄土宗聖典4巻p.444

と仰っておられます。


往生のために必要な信心は三心ですが、人の心は外に現れるものではなく、この三心が具わっているかどうかは、本人だけがわかることであって第三者にはわからない。

というのが、法然上人の教えられるところであります。

 貴方が、思考停止の有無や、思考停止に至らないことを嘆くかどうかを基準に、「学者さん」の信心が貴方やkkhate(=kkk)さんより「進んでいない」と断定するのは勝手ですが、それは、法然上人の言葉に反することになりますね。


ちなみに私は、

●本人がプラサーダ(浄らかな信)を伴った心を起こしたかどうか?
=本人が三心を具足したことを自覚したかどうか?

によってしか、信心を判定することはできないと思っています。

 一方「思考停止しているかどうか?」は、その人の言動から、ある程度推測することが可能なのではないかと思います。


===================================
※参考 思考停止とは(はてなダイアリー)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%D7%B9%CD%C4%E4%BB%DF

【意味】
 考えるのをやめること。あるいは、あることに対する判断を放棄して、既成の判断を無批判に受け入れること。

「短絡的な反応」「脊髄反射」「固定観念に基づく判断の枠組みを超えていない」「状況の変化にもかかわらず、以前の方針をそのまま当てはめる」状態を指し、議論において極めて批判的に用いられる。

【使われる場面】
 基本的に、きちんと論証する手間を省いて「自分は正しく、相手は間違っている」ということを簡潔に訴えるために使われる手抜きのための用語。「相手の異論は絶対、間違いであるのに対して、自分は絶対、正論である。つまり自分や相手が、一般常識と世間から見て論理的で無く矛盾した発言をしているのに、ただ感情的に正論と、物事をきちんと判断できない人達を指す時に使用する」
 簡単に言えば「ダメ。ゼッタイ」「絶対、儲かる」「絶対、崇拝しろ」と主張したい人が使う。

 また、左翼・右翼・保守・革新・革命・ネットワークビジネス・法令順守などの立場からの発言ばかりだ、とレッテルを貼って反対意見を馬鹿にするためにも駆使される。

 この言葉を使うこと自体、往々にして、相手の発言を読み取らずに「反~何とか」というレッテルを貼るだけに終わってしまう。すなわち「思考停止」という絶対主義の論理である。
=====清森問答 親鸞会教義の相対化・30=====

阿弥陀仏と本人にしかわからない信心を、
思考停止の有無で判定するのは、
親鸞聖人の師匠である法然上人の教えに抵触するけど、
その教えは誰の教えやねん?(苦笑)

親●会内にしか通容しないドグマを、
親●会外部の人に勝手に適応せんといてや(苦笑)。




記念すべき初「あんちくしょう」だったけど、
脊髄反射な書き込みじゃ、
ボコボコのタコ殴の刑やね(苦笑)。
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comment

Secre

No title

>仏法は、自分のわからないことを、教えて頂いて、わからないながらに受け入れて確かめてい
く道。わからないから、受け入れない、という態度では、信仰は進まない。


●鸞会のよく使う捨てゼリフですよね。まるでバ●の一つ覚えのように・・・

論理的な反論が出来ないとなると、すぐに人を見下すような、超上から目線の偉そうな発言。
もう見飽きましたよ。その展開・・・って感じです。

善知識が教えられてないことを、教えられて、分からないながらに受け入れていったら、それは
単なる迷信であり、アホな思い込みだとそろそろ気付いた方がいいですよね。

小学生でも分かりそうなことです。

マインド・コントロールって怖いですね。

No title

>唖然さん
記念すべき初「あんちくしょう」なので可愛がってあげましたが、
クラクラするぐらい学習能力のない人達だなと思いますよね(苦笑)。

天然なのか確信犯なのかわかんないけど、
あんなとほほな書き込みで、苦笑さんに一矢報いることができると思ったのなら、
ものすごい深刻な思考停止だと思いますよ。マジで(苦笑)。

でも、ロボコン初号機に続き、二号機・三号機が現れるかもしれないから、
ちょっと楽しみだな~♪(笑)

まあ、何体登場しても速攻で迎撃すると思うけど(笑)。

No title

>>仏法は、自分のわからないことを、教えて頂いて、わからないながらに受け入れて確かめてい く道。わからないから、受け入れない、という態度では、信仰は進まない。

ひえ~~っ
これが、例の思考停止ってやつです。分からないのに受け入れる、何も考えず上の指示に従っていれば宿善厚くなって救われるという思考です。善知識だのみの異安心です。
>〇森さんも、上〇さんも、〇生さんも、嶋〇さんも、
なんて、こんなとこでこれらの人の名前を出すところあたりがいかにも親鸞会の人です!って感じですけど。

高森先生が泣いておられますよ~「わからないながらに」なんて、この人分かっておられないのでしょうか…
私は、仏法はかちっかちっと分かる、聞けば合点のいく教え、と聞かせていただいてきましたが。
余計なお世話ですけど、早く合点まで進まれたら、どうですかね…って思います。ご本人は当然もうそうなっておられるおつもりでしょうが。
もちろん、合点からは、最後の信の一念突破は、理屈や道理ではできるものではないですけどね…
きゃ~~
こんな事書いて、攻撃されたらこわいんで、苦笑いさん、その時はまた反撃よろしくね。

でも、親鸞会も、こんな方ばかりではありません。例の方のように、素晴らしい方もいるんですよね。奇跡的ですけど。

No title

> hiさん
思考停止とプラサーダの違いがわかってないと思ってましたが、
これだけ酷いと、流石にどうかなと思いますよね(苦笑)。
「信じればわかる」なんちゅうのは、論証責任の放棄であって、
全くもってプラサーダとは遠いもんです。

ポンコツロボコンが何機攻めてきても、全然平気なんでご安心下さい。
だって思考パターンがみんな一緒だし、今まで打つ込んできたミサイルを、
パターンにあわせて発射したら、楽勝で粉砕できるんだもん(笑)。

このようなトンデモ組織に、まともな素晴らしい人がいるというのは、
全くもってすごい奇跡であり、
そんな人は大事にしなけりゃあかんと思いますが、
こんだけトンデモな組織だと、
まともな人がまともなことを安心してできるのかと、
ちょっと本気で心配になってしまいますよね。。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

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