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ツッコミ!【第23回】現当二益の法門

第23回がアップされました。
 ↓↓↓
【第23回】現当二益の法門
http://shinjin.info/2008/11/231324161.html


『本願文』の「若不生者」の「生」が『成就文』の「即得往生」であり、親鸞聖人の「信受本願・前念命終、即得往生・後念即生」の現益であるとすれば、浄土真宗の教えは一益法門になるではないか、と田中氏は非難されている。


あ~ん?

これまで明かにしてきたように、

『本願文』の「若不生者」→当益(極楽浄土へ往生→成仏)
『成就文』の「即得往生」→現益(正定聚のくらいにさだまる)

というように、この二つは時間軸上異なった時点を扱ってます。
もちろんこの二つは密接な「関係」にあるわけやけど、
絶対にイーコールにはならへんわね(苦笑)。

まあ、これだけでも大間違いなんだけど、
チ●ーリップ企画(親鸞会)のドグマの最大の問題は、
当益にも現益にも絶対に必要な「条件」である「信楽」を、
勝手に現益ということにしちゃって、
阿弥陀仏の本願の内容を改変しちゃっていることですわ(苦笑)。

超優しい苦笑先生が、困ったちゃんな落第生にもわかるように、
ウルトラわかりやすい図で教えてあげたのに、
まだわかってないんかいな(苦笑)。


====エエ加減にせえよ!!====

=前念(因) 介在時間0  =後念(果)     
「信受本願」【←即の時→】「即得往生、住不退転」    「若不生者 不取正覚」
    ↓          ↓                ↓
  真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・・・→極楽浄土へ往生→成仏
      ↓       ↓ 
    【時間的に同時の「時分」】

====エエ加減にせえよ!!====

というわけで、

26,苦笑に詳細な解説をしてもらったにも関わらず、未だに「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を正確に理解していないため、田中氏が指摘する問題点の重大さが未だにわかっていない。


浄土真宗・親鸞聖人の教えは、現当二益の法門であることは周知の事実である。
「真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」    (教行信証)

『和讃』には、

「五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし」              (正像末和讃)

「真実信心うるひとは
すなわち定聚のかずにいる
不退の位にいりぬれば
かならず滅度にいたらしむ」              (浄土和讃)

親鸞、明らかに知らされた。現在、等覚の位にいる弥勒菩薩が仏覚を開くのは五十六億七千万年後であるけれど、「若不生者不取正覚」の弥陀の本願力によって、今生で他力金剛の信心(信楽)に生まれている者は、正定聚不退転の菩薩となり、肉体の命終と同時に無上の仏果を得るのである。

『浄土和讃』では、真実信心を獲た人は、正定聚不退転の身となる。正定聚不退転になっている人は、必ず死ねば浄土へ往き仏覚が得られるのである(滅度にいたらしむ)、と阿弥陀仏の救いに二益あることを鮮明に説かれている。

蓮如上人も、こう詳述される。
「一念発起のかたは正定聚なり、これは穢土の益なり。つぎに滅度は浄土にて得べき益にてあるなりと心得べきなり。されば二益なりと思うべきものなり」  (御文章)

「若不生者不取正覚」の誓いによって、一念発起のときに正定聚(信楽)に生まれるのである。これは此の娑婆世界でのことである。
正定聚不退転の身(信楽)に生まれた人が仏覚を開くのは、極楽浄土へ往ったときのことである。だから親鸞聖人の教えは二益法門であることを知らねばならない。

これらの文証でも明らかなように、浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々である。


だから何?(苦笑)

>「浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々」
  ↑
こんなことは、オタクのサイトを見ている人は、
み~んな知ってっちゅうねん(苦笑)。

あと、

>正定聚不退転の身(信楽)
  ↑
こういう風に、さりげなくヘンテコドグマを混入するのは、
もうそろそろやめてくれませんかね~(苦笑)。

まあ、

それなのに、『本願文』の「若不生者」の解説が『成就文』の「即得往生」であり、その「即得往生」が「信楽に生まれる」ことだとすると、『本願成就文』以外説かれなかった親鸞聖人の教えは現益のみの一益法門になるではないか、と思われる方があるかも知れぬ。

事実、田中氏も、それでは親鸞聖人や蓮如上人の現当二益の法門にはならない、とチューリップ企画の主張を繰り返し激しく非難され一方的に論戦を打ち切っていられる。

と自分で言っているように、
ヘンテコドグマを混入した部分を除けば、

「浄土真宗・親鸞聖人の教えは
現当二益の法門であることは明々白々」
であることを解説したさっきの部分は、
「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を理解していない
チ●ーリップ企画(親●会)ドグマのヘンテコさを、
頼みもしないのに自分で証明しちゃっているんだけどね(笑)。


というわけで、

27,「浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々」ことを解説することによって、「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を理解していないチ●ーリップ企画(親●会)ドグマの誤りを自ら証明している。ただし「正定聚不退転の身(信楽)」という記述は、論拠に基づか(け)ないドグマである。



だが、その非難は全くあたらないのである。第十八願「若不生者のちかい」は選択の本願であり、今生で信楽(正定聚不退転)に生まれている人が必ず往生し仏になれるのは、十一願の「必至滅度の願」が成就しているからであると、親鸞聖人は次のように仰っている。

「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」 (正信偈)
意味は、この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである、と断言されている。

阿弥陀仏の第十一願には、次のように誓われているから「必至滅度の願」と言われる。
「設我得仏 国中人天 不住定聚
必至滅度者 不取正覚」
分かり易くすると、こうなる。
「設ひ我仏を得んに、国の中の人天、
定聚にも住し、必ず滅度に至らずば、
正覚を取らじ」

この弥陀の『十一願』を、釈迦は『十一願成就文』に、こう解説されている。
「其れ衆生有りて、彼の国に生まるる者は、
皆悉く正定之聚に住す。所以は何ん、彼の
仏国の中には、諸の邪聚及び不定聚無けれ
ばなり」

親鸞聖人は、『本願成就文』の「即得往生住不退転」を根拠に、「国の中の人天」を「信心歓喜乃至一念で国の中の人天」(十八願の人)になるのだと断定し、「生彼國者」を 「彼の国に生まるる者は」と読まれたのだ。それは邪定聚(十九願の人)や不定聚(二十願の人)は、この娑婆にいるのであって彼の極楽浄土にはいないからである。

必至滅度の願 難思議往生
「謹んで真実證を顕はさば、則ち是れ、利他
円満の妙位、無上涅槃の極果なり」
「則ち是れ、『必至滅度の願』より出でたり、
亦『證大涅槃の願』と名くるなり」
(教行信証證巻)


\( ̄ー ̄#)なんでやねん!


十一願の「必至滅度の願」が成就しているから、
極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できるのは確かだけど、

>「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」 (正信偈)
 ↑
どのような回路でこれが、

>意味は、この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、
>必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである、
 ↑
こういう意味になるんですかいな(苦笑)。

「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という意味は、
どう考えても「正信偈」からは導き出せません。新たなドグマを捏造ですか?(苦笑)

どんだけ新しいドグマを捏造しても、
チ●ーリップ企画(=親●会)のドグマが、
正しいという根拠には全然なりまへんで(苦笑)。


というわけで、

28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。



更に言うと、「信楽」「現益」「当益」
それぞれが意味している概念をまるで理解していない、
チ●ーリップ企画(親●会)ドグマの間違は、


★本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願(第十八願)を因とす。
等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願(第十一願)成就なり。
『教行信証』行巻「正信偈」

親鸞聖人のこの言葉に対する、
蓮如上人の以下の解説からも証明できまっせ(苦笑)。

★「本願名号正定業」といふは、第十七の願のこころなり。十方の諸仏にわが名をほめられんと誓ひましまして、すでにその願成就したまへるすがたは、すなはちいまの本願の名号の体なり。これすなはち、われらが往生をとぐべき行体なりとしるべし。
 「至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」といふは、第十八の真実の信心をうればすなはち正定聚に住す、そのうへに等正覚にいたり大涅槃を証することは、第十一の願の必至滅度の願成就したまふがゆゑなり。これを平生業成とは申すなり。されば正定聚といふは不退の位なり、これはこの土の益なり。滅度といふは涅槃の位なり、これはかの土の益なりとしるべし。『和讃』(高僧和讃・二〇)にいはく、「願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ すなはち大悲をおこすなり これを回向となづけたり」といへり。これをもつてこころうべし。
『正信偈大意』


赤字に注目してや!

「第十八の真実の信心をうれば」→「すなはち正定聚に住す」
というように、明確に因果関係になっていて、
絶対にイコールじゃありまへん(苦笑)。

そんでもって、「すなはち正定聚に住す」になった人が、
最終的に「等正覚にいたり大涅槃を証する」(=成仏)になるのが、
「第十一の願の必至滅度の願成就したまふがゆゑなり」ということだけど、

「等正覚にいたり大涅槃を証する」(=成仏)前段階に、
「極楽浄土へ往生」があるわけで、
それが「若不生者 不取正覚」であることは、
よい子のみんなは、もうわかるよね?(苦笑)

親鸞聖人は「往生即成仏」を主張しておられるわけだけど、

★横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。『教行信証』信巻

「無上正真道を超証す」のは「大願清浄の報土」で、
「一念須臾のあひだに」
「すみやかに疾く無上正真道を超証す」とあるように、
「往生→成仏」の間に時間を介在しないわけだけど、
「往生=成仏」ということでは、決してありまへんで(苦笑)。


だから、

 信受本願      → 真実信心を得る
 即得往生、住不退転 → 正定聚のくらいにさだまる
 若不生者 不取正覚 → 極楽浄土へ往生
 必至滅度の願成就  → 成仏
 
これらは全部別の概念なんだから、
きちんと整理して理解しなきゃだめだよん(苦笑)。

僕ちゃんの印象としては、親●会っちゅうのは、
時間を介在しない因果関係を、
勝手にイコールにしちゃう傾向にあるけど、
「→」と「=」は違いますから、絶対に区別せなだめよ(苦笑)。



これもわかりやすく図にしてあげるから、ちゃんと理解してね

                                  第十一の願の
=前念(因) 介在時間0  =後念(果)              必至滅度の願
「信受本願」【←即の時→】「即得往生、住不退転」「若不生者 不取正覚」成就
    ↓           ↓            ↓       ↓
  真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・→極楽浄土へ往生→成 仏
    |           |           |      |
  十八願の真実の       |           |     等正覚にいたり
   信心をうればすなはち正定聚に住す        |     大涅槃を証する
           (この土の益)          |     (かの土の益)
      ↓       ↓              ↓      ↓ 
    【時間的に同時の「時分」】          【一念須臾のあひだ】


というわけで、

29,「往生」と「成仏」の間に時間を介在しないとしても、両者は全く別の概念である。したがって、【十一願の「必至滅度の願」が成就しているから極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できる】ということが、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張が正しいことの根拠とはならない。



最後に、

>『本願成就文』にも『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても、
(6月23日)


という発言がとんでもないマチガイなことを、
今回、自分でガッツリ証明してしまいましたね~(苦笑)。



>「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」 (正信偈)


「等覚を成り大涅槃を証する」って、
ガッツリ「死後のこと」ですやん(苦笑)。

それとも「正信偈」が『教行信証』に収録されてるの、
まさか知らなかったのでしょうかね~?(苦笑)


というわけで、

30,「等覚を成り大涅槃を証する」と、明らかに「死後のこと」が書かれている『教行信証』の一文を引用し、【『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても】という以前の自説が誤りであることを自ら証明していながら、自説の撤回も謝罪もない。あるいは「正信偈」が『教行信証』に収録されていることを知らないで引用している。


いつも言ってることだけど、
その場の思いつきで発言するから、
後になって困ることになるのよ(苦笑)。
発言には責任をもってちょんまげ(苦笑)。
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comment

Secre

初めて知りました。

情けないですが、第18願と第11願がこのような関係になっているとは、全く知りませんでした。

今まで、漠然と疑問に思っていたことが、分かった感じです。

確かに、親●会では、時間を介在しない因果関係を、勝手にイコールにしちゃう傾向があると

思います。自分もそれで問題ないと思い込んでました。

いや~、勉強になります。

No title

>なるほどさん
はっきり言って、「信楽=正定聚」とか「往生=成仏」とか、
親●会以外では絶対に考えられないヘンテコドグマで、
親●会でない所でまともに仏教を学んだことのある人なら、
笑っちゃうぐらいのトンデモ教学なんですよね(苦笑)。

でも、親●会ドグマを注入された人にこれを理解してもらうのには、
結構な手間暇がかかるもんなんだと思います。
やっぱ最初に注入されたものは引きずりますからね~。

それに、ちゃんと『教行信証』を読んでたら、
このマチガイはあり得ないわけですから、
いかに親●聖人のお書きになった文献を軽んじているかが、
よ~くわかりますよ(苦笑)。

チ●ーリップ企画(=親●会)が今後もマヌケな更新を続ける限り、
いろんな形で、親●会ドグマのマチガイがどんどん晒し者になりますから、
これからも楽しみにしていてください!!

No title

 いつも楽しく拝見しております。

 しかしながら、最近のチューリップ企画の脱線ぶりは酷いですね。


 2月27日のチューリップ企画のメールには、

>「弥陀の若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽」に「生まれさせ」「極楽浄土」に「生まれさせる」というのが、親鸞聖人の教えです。

 このように書いてありますが、前言撤回のようです。


「若不生者不取正覚」には「極楽浄土に生まれさせる」という意味は無い、というのが、結論のようです。


 そうなりますと、尊号真像銘文の

「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。

のお言葉も間違いということになりますね。


「不住定聚必至滅度者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。

 このように訂正しなければなりません。


 もし田中氏が議論を続けていたら、徹底的に突っ込まれたことでしょうが、返事が無いことをいいことに、好き放題、書いているのでしょう。


 親鸞会としては、このサイトは読ませたくないでしょうね。

 今後、一層の活躍を、期待しております。

No title

> Fuuさん
おお~!
そう言えばそんな発言ありましたよね!
「後出しジャンケンか!」と思ったもんです(笑)。

どうせ誰も読まないと思っているから、
前の発言との整合性とか完全無視なんでしょうね(苦笑)。

田中さんとのバトルは、何か言うとツッコマレルのがわかっているから、
論点スライド&逆質問ばっかで、膠着状態になってましたから、
嫌でも何か書かなきゃいけないこういう形になって、
徹底的に晒しものにされちゃうことになって良かったと思いますよ(笑)。

このサイトを無視するなら無視するばよかったのに、
それもできなくて、ショウモナイ誤魔化しをしようとするから、
ますますボロボロになっちゃってますしね~(苦笑)。
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

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