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ツッコミ!【第20回】なぜ若不生者と誓われたのか

第20回がアップされました。
 ↓↓↓
【第20回】なぜ若不生者と誓われたのか
http://shinjin.info/2008/11/061012158.html

もう二度と更新しないのかと思ってたよ(笑)。

釈迦の『成就文』によって、弥陀の「若不生者」の「生」は「死んで極楽へ生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことであることが明らかになった。


あ~ん(苦笑)。

前回までに明らかになったのは、
認知バイアスが掛かっていて
親鸞聖人の言葉をまともに読ま(め)ず、

論証責任を果たさ(せ)ないまま
ヘンテコドグマをまき散らしている。

チ●ーリップ企画(親●会)が、
どういう団体かということだけですね~(苦笑)。



そんでもって以下のものが、何の論拠にも基づか(け)ない、
チ●ーリップ企画(=親●会)のヘンテコドグマですが、

 ↓↓↓

言い換えれば、弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取らぬ」と誓われているのは、「若し、極楽に生まれずは正覚を取らぬ」ではなく、「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」というお約束だということである。
されば弥陀が「若」の一字に正覚(命)を懸けていられるのは、まさしく「信楽」であることは明らかだろう。

前述したように、弥陀は我々を破闇満願(信楽)の身にする働きのある名号を完成され、「信楽」の身に救おうとして誠心誠意、その名号を我々に与えようとされている。
その弥陀が、なぜ「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」と、正覚(命)を懸けてまで誓われねばならなかったのか。そんな必要がどこにあったのであろうか。


上記ヘンテコドグマが、
以下の解説と矛盾していることが、
理解できませんかね~?(苦笑)

 ↓↓↓

その理由は、実に我々自身にあったのである。我々の心(自力)が弥陀の本願を疑い、誠心誠意与えようとされている名号(他力)を頑なに拒絶し、全く受け取る余地のない我々を見抜いてのことであったのである。

釈迦はその実態を『大無量寿経』に、こう説かれている。
「易往而無人」(弥陀の浄土へは、往き易いけれども、人なし)。
親鸞聖人は、この釈迦のお言葉を以下のように解説される。

『「易往而無人」というは、「易往」はゆきやすしとなり、本願力に乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ往き易きなり、「無人」というは、ひとなしという、ひとなしというは、真実信心の人はありがたき故に実報土に生るる人稀なりとなり』 (尊号真像銘文)

「弥陀の浄土へは往き易い」と釈迦が言われているのは、「本願力に乗ずれば(信楽)本願の実報土に生るること疑なければ往き易きなり」といい、往き易いと仰っているのは、信楽の身になっている人のことである。

「ひとなし」と言われているのは、「真実信心(信楽)の人はありがたき故に、実報土に生るる人稀なりとなり」と仰って、「信楽に生まれた人」が稀だからである、と教えられている。

また、こうも仰っている。
「然るに常没の凡愚・流転の群生、無上妙果の成じ難きにはあらず、真実の信楽実に獲ること難し」 (教行信証)

総べての人は(常没の凡愚・流転の群生)、弥陀の浄土へ往って無上の仏覚を得ることが難しいのではないのだ。
難しいのは弥陀の浄土へ往ける身(信楽)に成ることなのだ、という教誡である。

釈迦や親鸞聖人のこれらのご教導は、いずれも我々が「信楽の身に生まれる」ことの如何に難しいかを教誡されたものだが、それはそのまま、いかに我々の心(雑行雑修自力)の迷心が深くて強いかを教示なされたものと言えよう。



というか、ず~と前に丁寧に教えてあげてるんですが、
完全無視ですか?(苦笑)
これはちょっと~無視しちゃアカンでしょ??(苦笑)

=====今度はちゃんと読んでよ!!=====
阿弥陀仏が信心を与えてくれる=衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓っている

ではないですわね(苦笑)。

●しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。『教行信証』信巻

繰り返しになりますが、
「仏願の生起本末」を衆生が「聞きて疑心あることなし」になったら、
「本願力回向の信心」を獲得するから、極楽浄土に往生できることが確定すると、
親鸞聖人は述べておられます。

逆に言うなら、衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、
「本願力回向の信心」を獲得することができないから、
極楽浄土に往生することは確定しないことが明かですわ~ね。

そんでもって、

●「易往而無人」といふは、「易往」はゆきやすしとなり、本願力に乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ、ゆきやすきなり。
「無人」といふはひとなしといふ、人なしといふは真実信心の人はありがたきゆゑに実報土に生るる人まれなりとなり。『尊号真像銘文』


阿弥陀仏が信心を与えようと様々な形で働きかけているにも関わらず、
衆生がそれを受け取らないもんだから、
残念ながら極楽浄土に往生できない人が出てくるわけですわ~ね。

だからこそ、「ど真剣な聞法」を奨めるちゅうのが、
親●会の一番いい所だと思ってたんですけど、違ってました?(苦笑)

「火の中を、わけても法は聞くべきに、雨風雪はもののかずかは」
という蓮如上人の言葉でない言葉を、蓮如上人の言葉と捏造してまで、
「ど真剣な聞法」を奨めているくせに、

衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓ってたら
その真剣な聞法をなんでやってるんですか?(苦笑)


「ど真剣な聞法をしなければ信楽になれない!」
「衆生が信楽になることまで阿弥陀仏が誓っている!」


どう考えてもこの二つは矛盾してます。
これは私のような愚鈍なものでもわかりますわ(苦笑)。

親●会には一流大学を卒業されたような、
私なんかより遥かに賢い人が沢山いるはずですが、
パクリ損ないに由来するような、
ショウモナイドグマに固執しているために、
親●会のよい部分まで、まったく台無しにしているというのが、
何でわからないんでしょうかね~(苦笑)。

=====今度はちゃんと読んでよ!!=====

というわけで、

20,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「真実信心の人はありがたき」という親鸞聖人の言葉と完全に矛盾している。


もうハッキリ言っちゃうけど、
チ●ーリップ企画(=親●会)は、
自分の発言にきちんと責任を持たず、
いっつもその場の思いつきで発言しているから、
論理の一貫性が全くないのよね(苦笑)。

もうみ~んな気づいているのよ(苦笑)。
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「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
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