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ツッコミ!【第30回】本願を信受する時

第30回が更新されました。
 ↓↓↓
【第30回】本願を信受する時
http://shinjin.info/2008/12/300750168.html

本願文を分断して「至心信楽欲生我国」と「若不生者不取正覚」を切り離し、この二つを完全に別事として領解されている田中氏の誤りは、検証してきた通りである。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!

チ●ーリップ企画(=親●会)が田中さんの主張を捏造し、
捏造した見解に基づき、田中さんを批判していることは、
既に証明済みでっせ(苦笑)。

 ↓ ↓ ↓
宿題チェック!!【第29回】「若不生者のちかい」の真意

既にツッコミが入っているんやから、
何かちょっと、反論(言い訳?)ぐらいしたらどうよ?

ドグマがしっかり注入されている人でも、
「これはアカンやろ~」と思ってしまいまっせ(苦笑)。


というわけで、

49,チ●ーリップ企画(=親●会)が田中さんの主張を捏造し、捏造した見解に基づき、田中さんを批判していることは既に証明済みであるにも関わらず、反論(言い訳?)もなく同じ主著を壞れたテープレコーダの如く繰り返している。



ところが一方で、こうも言われている。

◆平成19年12月17日のメール
本願を信ずる心は、阿弥陀仏より賜る心ですから、本願文の一部を疑い、残りを信じるということは無いと思います。

「思います」どころの話ではない。聞信の一念に「本願文」三十六文字すべてに疑い晴れるのが弥陀の救いであり、親鸞聖人の教えであることは、浄土真宗の常識である。

「本願すべてに露チリほどの疑心も無くなった」ことを聖人は、『愚禿抄』に
「信受本願(本願を信受する)」
とか、そのご自身の実体験を、
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」(教行信証)
と告白されている。「摂取不捨の真言」も「超世希有の正法」も、ともに「弥陀の本願」三十六字のことである。「助かるだろうか」の後生不安な心(疑情)が一念で晴れ渡り、「助かったことの不思議さよ」と後生明るい心(信楽)と晴れた時が、「まことなるかな、弥陀の本願」と一念慶喜する時であり、三十六文字すべてに疑心が無くなった時なのである。だから本願の一部を疑い、残りを信じる、ということは有り得ない。

だ・か・ら~(苦笑)↑の主張が、
どうして↓の根拠になるんでっか~(苦笑)

すなわち、「若不生者(必ず生まれさせる)」の誓いに疑心が晴れるのは、「信楽に生まれた(不体失往生)」時であって、決して「死んで極楽に生まれた(体失往生)」時ではないのである。これを『愚禿抄』に、
「信受本願 前念命終 即得往生 後念即生」
と教示されていることは、再三述べてきた。
〝「若不生者の誓い、まことだった」と疑心晴れた(信受本願)時が、後生暗い心が死んで(前念命終)、信楽が生まれた(後念即生)時である。これを釈迦は「成就文」に「即得往生」と説かれている〟
と、まさに「若不生者」の誓いは「不体失往生」であることを鮮明にされたお言葉なのである。

 ↑
この親●会独自のドグマが、
前回までに四十八項目もツッコミをいれられた、
トンデモヘンテコドグマであることは、
このブログを読んでいるお友達は、
み~んなよく知っておることですねん(苦笑)。

ヘンテコドグマだから、ツッコミが入っていること、
忘れてもらっちゃいやですよん(苦笑)。


というわけで、

50,チ●ーリップ企画(親●会)が、独自のヘンテコドグマを「親鸞聖人の教え」と詐称した結果、四十八項目のツッコミを入れられたにも関わらず、そのツッコミに一切解答しないまま、詐称行為を繰り返している。



田中氏は後で、「この『愚禿抄』は、『至心信楽』についてだけ言われた御文であって、『若不生者不取正覚』についてはどこにも触れられていない。だから貴方の根拠にならない」と反論されたので、驚いたり呆れたりだったが、では「信受本願」の「本願」は、「若不生者の誓い」とは別物なのだろうか。氏の「本願文」には「若不生者不取正覚」の八字はすっぽり抜けているのであろうか。あるいは「本願の一部を疑い、残りを信受するということは無い」という発言が、単なる建て前なのだろうか。

かかる明らかな矛盾にも、「信楽」と「若不生者」を切り離す田中氏の混乱が、露呈しているのである。

あ~ん?(苦笑)

田中さんの主張を反論しやすい形に捏造するのは、
完全にバレバレなんだから、
もうやめといた方がええで(苦笑)。

というか、これまだ読んでなかったの?(苦笑)
 ↓ ↓ ↓

あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。
 ↓
<チューリップ企画山田さんの主張>
http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/2008_628_1057_8158.html
★『若不生者不取正覚』が不体失往生の根拠だと仰った、親鸞聖人の文章がありますか。
勿論、ある。
親鸞聖人のお言葉は、
『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
本願を信受するは、前念命終なり。(即ち正定聚の数に入る。)
即得往生は、後念即生なり。(即時に必定に入る。又必定の菩薩と名くる也)』
★貴方は「若不生者不取正覚」と「即得往生住不退転」はイコールだと仰るのですか。
イコールでなければ「一実・円満の真教」と言われるはずがないじゃありませんか。
親鸞聖人のお言葉は、
『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
本願を信受するは、前念命終なり。(即ち正定聚の数に入る。)
即得往生は、後念即生なり。(即時に必定に入る。又必定の菩薩と名くる也)』



しかも、速攻でボコボコにされてるし(笑)。
 ↓
<田中さんのボコボコ攻撃>
>『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
>即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
 
 
 この返答で、貴方の主張には、結局、根拠が無いことが、明白になりました。
 
----------------------------------------------------------
 
★「本願を信受する」とは、「本願に疑いが晴れる」ということです。
 
 
 尊号真像銘文には、以下のように記述されています。
 
『信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり。この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。』
 
 
 つまり、「本願を信受する」=「至心信楽をえる」ということです。
 
 貴方の根拠は、「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、「若不生者」については触れられていません。
 
 
 さらに、尊号真像銘文は、以下のように続きます。
 
『「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』
 
 
 至心信楽をえた人、イコール「即得往生」した人が、死んで極楽浄土に生まれるのが、「若不生者」の「生」だと断定されています。
 
 当然、「即得往生」=「若不生者」は成り立ちません。
 
 
 貴方が主張するように、「即得往生」=「若不生者」であるならば、「若不生者」は「生きている間のみ」ということになり、上記の親鸞聖人の記述は間違いということになります。
 
 
 つまり、貴方の提示された根拠では、「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈することは出来ません。
あれだけもったいぶって、これかよ(苦笑)。

既にボコボコに論破されてるわけだけど、
もう忘れちゃったのかな~(苦笑)。

というか、ほとぼりが冷めた頃に、
田中さんの主張を捏造して反論したら、
誤魔化せると思ったわけ?(苦笑)

ちょっと、考えが甘すぎますわ(苦笑)。


というわけで、

51,チ●ーリップ企画(=親●会)が主張するように「即得往生」=「若不生者」であるならば、「若不生者」は「生きている間のみ」ということになるが、これは親鸞聖人の『尊号真像銘文』の記述に反するヘンテコドグマである。ということが既に田中氏に指摘されている。

52,捏造した田中氏の主張に反論することによって、親●会独自のドグマを親鸞聖人の教えであると印象付けようとしている。またチ●ーリップ企画(=親●会)の主張が、田中氏にボコボコに論破されていることを誤魔化そうとしている。



これまでのツッコミで、親●会ドグマを注入されている皆様も、
「信楽」と「若不生者」と「即得往生」の関係が、
か~なり理解されてきております。

自分で言うのも何やけど、
この図はめちゃめちゃわかりやすいと思いますわ。
 ↓ ↓ ↓

                                  第十一の願の
=前念(因) 介在時間0  =後念(果)              必至滅度の願
「信受本願」【←即の時→】「即得往生、住不退転」「若不生者 不取正覚」成就
    ↓           ↓            ↓       ↓
  真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・→極楽浄土へ往生→成 仏
    |           |           |      |
  十八願の真実の       |           |     等正覚にいたり
   信心をうれば→すなはち正定聚に住す        |     大涅槃を証する
           (この土の益)          |     (かの土の益)
      ↓       ↓              ↓      ↓ 
    【時間的に同時の「時分」】          【一念須臾のあひだ】


田中さんとチ●ーリップ企画の法論が、
あんまり理解できなかった人も、
チ●ーリップ企画がツッコミ所だらけの更新をして、
苦笑がツッコミを入れることによって、

親鸞聖人の本当の教えを多くの方が知ることになり、

同時に、

親●会教義の底の浅さ、
親●会ドグマのいい加減さ、
親●会という団体の知的誠実性の欠如、
 ↑
こ~いうものもバッツリ明かになってますな~(笑)。


今年の更新もこれで最後だろうから、
この際ハッキリ言っておくけど、
チ●ーリップ企画(=親●会)の主張は、
もうかなり「イタイ」ですよ~(苦笑)。

まあ、崩壊させながら真実を明かにするなら、
ホンマニ大歓迎だけどね(苦笑)。
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宿題チェック!!【第29回】「若不生者のちかい」の真意

ツッコミ!【第29回】「若不生者のちかい」の真意

1,「信楽にさせる」「名号を与える」ことを誓った、本願文の根拠を出さ(せ)ないにも関わらず、そのことを前提に議論を進めている。しかも関係ないことをぐちゃぐちゃ書くことによってそのことを誤魔化そうとしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

2,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違うものであるのに、そのことを理解できてないまま議論を進めている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

3,名号と光明が合わさってはじめて信心がえられるのに、名号だけでOKみたいに印象操作している。しかも、ドグマに併せて覚如上人の『執持抄』の超重要な箇所を、ヘンテコな形で切り取って引用し資料を捏造している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。
※更にまた間違える!※またまた間違える!!※懲りずに間違える!
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

5,親●会ドグマと矛盾しないように、『唯信鈔文意』に説かれる「仏道のスタート」「方便の至誠心」を「信後の世界」に勝手に改変しドグマ化している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

6,信楽と本願の関係がわかってないから、法の深信が正確に解釈できておらず、将来間違いなく極楽浄土に往生する身になれず、現在「正定聚に入る益」もない。そのため「信楽の身」を自称しながら「死ぬ前には後生未来のことがわからない」信心になっている。これは「メンタルテスト」と言い訳しても誤魔化せない致命的な誤りである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

7,サンスクリット文や漢訳原文を読ま(め)ないで、親鸞聖人の読み方を採用した「書き下し」に基づいて論を展開したために、『無量寿経』の願成就文から言えないことを言えるかのように誤って語ってしまっている。さらに、既にその誤りは指摘されているのにも関わらず、同じ誤りを繰り返している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

8,「阿弥陀仏が名号を与える」ことと「衆生が名号を受け取る」ことの関係の説明が曖昧である。そのために「真剣な聞法を勧めている」親●会の優れた特色まで曖昧になってしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

9,「のちに、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空」と間違った内容を伝えるアニメを製作し、間違いを指摘されても改めず、更にネット上で世界中に間違った内容を発信している。しかもこれは「単純ミス」で済まされるようなものではなく、法然上人の思想的意義が全く理解できていない上に、法然上人のご苦労や親鸞聖人の思いを無にするような、許し難き暴挙である。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

10,そもそも「若不生者」の「生」を「信楽に生まれる」ことと解釈するのは、親鸞聖人の『尊号真像銘文』と明らかに異なるチ●ーリップ企画(=親●会)独自のドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

11,本願成就文の「即得往生、住不退転」に関して、親鸞聖人ともサンスクリット文とも異なった解釈を行っている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

12,そもそも不体失往生の根拠として、「即得往生住不退転」ではなく「若不生者不取正覚」の八字を使ったのがチ●ーリップ企画の誤り。それを誤魔化そうとしたため、更に大きな間違いがあることが明らかになった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
※更にまた間違える!
※またまた間違える!!※懲りずに間違える!
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

14,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というヘンテコドグマを主張するチ●ーリップ企画(=親●会)は、同時に「死後の往生」を否定するという、新たなドグマをも主張している
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

15,ヘンテコドグマを主張し続けているために、「真実信心」を得ることと「極楽浄土への往生」の区別がつかなくなっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

16,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」という論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに基づきヘンテコ解説を行い、ヘンテコ解説に基づいて、【「若不生者不取正覚」の「生」は「死んで極楽に生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことである】というヘンテコドグマを立証している。これは循環論法であり、論証責任を果たしたことにはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

17,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『執持抄』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「娑婆のおわり臨終」とされた時点が「往生が定まる」時点であり、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

18,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『改邪鈔』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「自力をすてて他力に帰する」と仰った「時分」が、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

19,「本願」が「現在では既に実現している誓願」を意味していることがわかってないため、未だに実現していない内容を「本願」の中身にしている。このような解釈は善導大師・法然上人・親鸞聖人と継承されている「本願」の解釈に著しく抵触している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

20,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「真実信心の人はありがたき」という親鸞聖人の言葉と完全に矛盾している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

21,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「信心をとる人が稀だから極楽に往生できる人が少ない」「衆生に疑情があるために輪廻してしまう」という善知識の教えに抵触している。しかもそのことをチ●ーリップ企画(=親●会)が自分で論証してしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

22,古典文法&親鸞聖人の教えがわかっていないから、親鸞聖人の和讚をまともに解釈することができない。しかも文法上の誤りを指摘されても「間違った文法も、へちまも、あるはずないではないか」と居直り、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」という蓮如上人の教えに反している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

23,「生るべからざるものを生れさせたれば」を現益に解釈しても当益に解釈しても、「若不生者」を「信楽に生まれさせる」と解釈する根拠とはならない。しかし「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、そのことが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

24,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、「信楽に生まれる」ことを阿弥陀仏が誓ってたら「生まるべからざるもの」ならないという当然の論理的思考ができてない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

25,チ●ーリップ企画(=親●会)のドグマに抵触しないように、『御文章』の文章を恣意的な形に省略して加工している。そのため「ただ一念に弥陀をたのむ衆生」になるために、善知識が「弥陀の本願信ずべし」と教えられている部分も省略されている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

26,苦笑に詳細な解説をしてもらったにも関わらず、未だに「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を正確に理解していないため、田中氏が指摘する問題点の重大さが未だにわかっていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

27,「浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々」ことを解説することによって、「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を理解していないチ●ーリップ企画(親●会)ドグマの誤りを自ら証明している。ただし「正定聚不退転の身(信楽)」という記述は、論拠に基づか(け)ないドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

29,「往生」と「成仏」の間に時間を介在しないとしても、両者は全く別の概念である。したがって、【十一願の「必至滅度の願」が成就しているから極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できる】ということが、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張が正しいことの根拠とはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

30,「等覚を成り大涅槃を証する」と、明らかに「死後のこと」が書かれている『教行信証』の一文を引用し、【『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても】という以前の自説が誤りであることを自ら証明していながら、自説の撤回も謝罪もない。あるいは「正信偈」が『教行信証』に収録されていることを知らないで引用している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

31,サンスクリット文を読むように勧める進言を無視したため、「本願の解釈を誤る」という教義上致命的な誤りに気づけなかった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

32,ヘンテコドグマに矛盾しない、新たに捏造したヘンテコドグマを「親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人方のご教示」と詐称する虚偽の発言をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

33,田中氏が言っていないことを言ったかのように捏造している。更にそのことは既に論拠に基づき指摘されているにも関わらず、無視している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

34,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、親鸞聖人が時間軸上の別の時点に配置されている「この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり」と「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生まれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり」を、勝手に同時点に配置している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

35,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、「信楽すべしとすすめたまえる御ちかい」と親鸞聖人が解釈しているものを、【弥陀の正覚は「この世、信楽に生まれさせる」ことに懸けられている】と解釈している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

36,苦笑に詳細に解説してもらっているにも関わらず、「信楽」と「極楽浄土への往生」と「正定聚に入る益」の関係が未だにわかっておらず、「信楽」=「二種深信」がわかっていないので、親鸞聖人のお書きになられた『唯信鈔文意』を正確に読むことができていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

37,蓮如上人が、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」と教えられているのを無視して、自分勝手な解釈を行っている。それにも関わらず、その勝手な解釈に基づいて、親鸞聖人の言葉に基づいて語っている田中氏の解釈を批判するという暴挙を行っていることに気づいていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

38,田中氏の【チ●ーリップ企画(=親●会)の論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに真っ向から反する主張】を、【『成就文』に、真っ向から反する主張】というように虚偽の主張をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

39,「信楽をえた」ことと「極楽に生まれる」ことが「不離の関係」であると断った上で、両者が異なった概念であるとしている田中氏の主張を、「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」であるかのように印象操作を行い、反論しやすい形に捏造した主張に対して反論するワラ人形論法を行っている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

40,ドグマの都合に合わせて『教行信証』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを親鸞聖人の言葉と詐称して使用している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

41,ドグマの都合に合わせて『口伝鈔』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを覚如上人の言葉と詐称して使用している
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

42,【はたして「若不生者」と「信楽」は、全く関係ない、切り離せるものなのか。】という問題設定が不当であることは、既に、田中氏の言葉に基づいて指摘済みである。それにも関わらず、同じ発言を繰り返し捏造した田中氏の主張に反論し、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張のヘンテコさを誤魔化そうとしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

43,田中氏のメールから【「関係」という言葉は、違うものをつなげる言葉です。違うものだからこそ「関係がある」と言えるのです。】という言葉を意図的に省略して、田中氏の主張を反論しやすい形に捏造して議論を進めている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

44,田中氏が親鸞聖人の言葉に基づいて自説を述べている部分を無視して、【「若不生者」から、密接不離な「信楽」を切り離して、「死んで極楽に生まれることだけ」と繰り返す】と田中氏の主張を繰り返し捏造している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

45,宿題28で、チ●ーリップ企画(=親●会)が新しいドグマを捏造したことを突っ込んだが、これに関してチ●ーリップ企画(=親●会)は、「混乱や誤解は全くない」完全な「確信犯」であった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!



※以下は、「後出しジャンケン」で指摘されてから(ゴマカシながら)訂正したもの。

A,ヘンテコドグマの矛盾を誤魔化すために、「正覚を取らじ」を「命を捨てる」と解釈。結果、サンスクリット文、漢文、親鸞聖人の解釈、いずれとも異なる新たなヘンテコドグマを捏造しまき散らすことになっている。
→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

弥陀の「若し、生まれずは、正覚を取らぬ」
の「生まれず」は、(以下略)【第17回】

弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取らぬ」と誓われているのは、【第20回】他



B,『高僧和讃』の「衆生の志願をみてたまう」の「志願」は、「衆生が志願」するのを「阿弥陀仏がみてたまう」という意味であるのに、「弥陀の志願(望み)」と解釈している。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

次に「衆生の志願をみてたまう」とは、南無阿弥陀仏の『名号』には「すべての人を絶対の幸福・無碍の一道に生かし、出世の本懐を遂げさせたい」という弥陀の志願(望み)を凡夫(人間)の身に実現させる力があるから、(以下略)【第10回】



C,親鸞聖人が『尊号真像銘文』で「正定の業因=仏名をとなふる」「正定の因=かならず無上涅槃のさとりをひらくたね」と解釈しているのに、「正定之業」を「正定聚不退転にする働き」と親●会ドグマに基づいて勝手に解釈した。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

では次に、覚如上人の教えを聞いてみよう。

『執持抄』に覚如上人は、

「現在、私の喜んでいることは、阿弥陀仏より賜った名号によって信楽(破闇満願)の身になり、人生が光明の広海と転じ変わり、人界受生の本懐が果たされ、いつでも弥陀の浄土へ往ける身になったことである」

と、こう仰っている。

「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成辨することを喜ぶべし」【第11回】




※以下は、今回新たに加わったチ●ーリップ企画(=親●会)の間違い。次回の宿題には、これに解答することも加えられる。

46,何度も懇切丁寧なレクチャーを受けていながら、信楽と不体失往生、体失往生の関係がいまだにわかってないから、いまだに【この世で信楽に生まれる「不体失往生」】というヘンテコ主張に基づいてヘンテコ問題設定をして、ヘンテコ議論を懲りずに展開している。

47,親鸞聖人が「かならず定まりぬ」とお書きになられたのは、まだ極楽浄土に往生していないからである。また、「一念慶喜する」人が必ず極楽浄土に往生できるのは、阿弥陀仏が「若不生者不取正覚」と誓われているからだ、と解説されている。そのことが田中氏によって指摘されているにも関わらず、チ●ーリップ企画(=親●会)はその部分を意図的に削除し、田中氏の主張のみならず親鸞聖人の教えをも捏造している。

48,間違って【高●先生が長年教えてこられてきた親●会ドグマに立って拝読すれば、】と書くべき部分に、【『成就文』の教導に立って拝読すれば、】と書いている。



チ●ーリップ企画(=親●会)が更新する度に、
僕ちゃんのツッコミを期待してか、
このサイトのアクセスがガンガン上昇するんで、
これからも頑張って更新して、
崩壊しながら真実を明かにしてね~(笑)。

ツッコミ!【第29回】「若不生者のちかい」の真意

第29回が更新されました。
 ↓↓↓
【第29回】「若不生者のちかい」の真意


弥陀が「若不生者」と命をかけられているのは、極楽に生まれる「体失往生」か、この世で信楽に生まれる「不体失往生」か、田中氏の主張の検証を続けよう。

あ~ん?(苦笑)

だ・か・ら、

>この世で信楽に生まれる「不体失往生」
 ↑
こんな主張をすることが、そもそもヘンテコなんですわ(苦笑)。

ヘンテコ主張に基づいてヘンテコ問題設定をして、
ヘンテコ議論を展開されてもらっても困りますがね(苦笑)。



何度もレクチャーしているように、

●しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。『教行信証』証巻

「往相回向の心行を獲れば(=信楽になったならば)」
 →「即のときに大乗正定聚の数に入るなり(=不体失往生になる)」

でっせ。

そんでもって親鸞聖人の『尊号真像銘文』でも、

●如来より御ちかいをたまわりぬるには、尋常の時節をとりて、臨終の称念をまつべからず。ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり。
「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。


となっているように、

「若不生者 不取正覚」に対応する、

 ★「至心信楽をえたるひと」→「わが浄土に生まれる」

という、極楽浄土への往生(=体失往生)の前に、

 ★「真実信心をえんとき」→「摂取不捨の心光にいりぬれば」→「正定聚のくらいにさだまる」

という、正定聚のくらいにさだまること(=不体失往生)が設定されているんやで~。


こんだけ丁寧に解説してあげても、
まだ理解できまへんか?(苦笑)

信楽と不体失往生、体失往生の関係がいまだにわかってないから、

>この世で信楽に生まれる「不体失往生」
 ↑
こ~んなマヌケなことを書いて、
みんなに笑いものにされちゃうんやで(苦笑)。


というわけで、

46,何度も懇切丁寧なレクチャーを受けていながら、信楽と不体失往生、体失往生の関係がいまだにわかってないから、いまだに【この世で信楽に生まれる「不体失往生」】というヘンテコ主張に基づいてヘンテコ問題設定をして、ヘンテコ議論を懲りずに展開している。



◆平成19年12月15日のメール
文法的にみても、親鸞聖人の解釈から見ても、この文章(「若不生者のちかいゆえ 信楽まことにときいたり 一念慶喜する人は 往生必ず定まりぬ」(『浄土和讃』)は「若不生者と誓われているから、信楽をえた人は、死んで往生することが、かならず定まるのだ」という意味になります。

このように述べられる田中氏の主張は、「若不生者」の「生」は、あくまでも、死んでからの極楽往生に限る、というものである。

文法的に見ても、親鸞聖人の解釈からもそうだ、と言われているのだ、ここで、「文法的にそうだ」というのは、どういう意味なのだろうか。

同じ日のメールで、田中氏は、次のようにも言われている。

◆平成19年12月15日のメール
貴方は「ときいたり」で文章を切って理解しておられるようですが、ここで切るならば、終止形の「いたる」(過去形なら「いたりき」)とならねばなりません。親鸞聖人が、こんな文法のミスをされるはずが無いと思います。

つまり、このご和讃を「ときいたり」で切って理解しては、文法上おかしいではないか、というご忠告なのだが、そんな主張をいつ誰がしたのだろう。はじめから誰も、「ときいたり」で切ってなどいない。田中氏の明らかな誤解である。

自分の勘違いに基づいて「親鸞聖人が、こんな文法のミスをされるはずがない」と力説されても困るのである。

この和讃を、平成20年1月26日に、こちらから田中氏へ送信したメールには、こう解説している。

「『若不生者のちかいゆえ』のご和讃も、「信楽開発」の一念を、「信楽まことにときいたり」とも、「一念慶喜する」とも、「往生かならず定まりぬ」とも言われているのであって、みな、一念同時のことなのです」

これを受けて、田中氏も、こう言われている。

◆平成20年1月27日のメール
山田様の仰るとおり、「信楽まことにときいたり」も、「一念慶喜する」も、「往生かならず定まりぬ」も、同時であるとお見受けいたします。

このように、「信楽まことにときいたり」で文章が切れるのではなく、「信楽に生まれた」時に、「一念慶喜する」のであり、その時同時に「往生が決定する」ことは田中氏も認めざるを得ないのだ。文章に書けば前後ができるが、いずれも一念同時のことなのである。

そして、この「信楽に生まれ、往生が定まる一念の体験」は、まったく「若不生者のちかい」によるものなのだよと、親鸞聖人が明らかにされたのが、このご和讃なのである。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!


====田中さんの平成20年1月27日のメール====
>また、今までも話題になった、『若不生者のちかいゆえ』の『ご和讃』も、「信楽開発」の一念を、「信楽まことにときいたり」とも、「一念慶喜する」とも、「往生かならず定まりぬ」とも言われているのであって、みな、一念同時のことなのです。
 
 
 山田様の仰るとおり、「信楽まことにときいたり」も、「一念慶喜する」も、「往生かならず定まりぬ」も、同時であるとお見受け致します。
 
 しかし、「かならず定まりぬ」と書かれましたのは、まだ浄土往生していないからです。
 
 「一念慶喜する」人が、なぜ必ず浄土往生できるのか。それは「若不生者不取正覚」と誓われているからだ、という親鸞聖人の解説です。
 
 つまり、この「生」は、「浄土往生」という意味になります。

====田中さんの平成20年1月27日のメール====

>「かならず定まりぬ」と書かれましたのは、まだ浄土往生していないからです。

>「一念慶喜する」人が、なぜ必ず浄土往生できるのか。
>それは「若不生者不取正覚」と誓われているからだ、という親鸞聖人の解説です。
 ↑
都合の悪いことは、議論している相手だけに限らず、
たとえ親鸞聖人の言葉であっても無視するのね(苦笑)。

田中さんの発言でも親鸞聖人の言葉でも、
都合の悪い部分は、おもいっきりわざと削除ちゅうのは、
本当に卑劣極まりないインチキ野郎ですな(苦笑)。


というわけで、

47,親鸞聖人が「かならず定まりぬ」とお書きになられたのは、まだ極楽浄土に往生していないからである。また、「一念慶喜する」人が必ず極楽浄土に往生できるのは、阿弥陀仏が「若不生者不取正覚」と誓われているからだ、と解説されている。そのことが田中氏によって指摘されているにも関わらず、チ●ーリップ企画(=親●会)はその部分を意図的に削除し、田中氏の主張のみならず親鸞聖人の教えをも捏造している。



『本願文』の「若不生者」は、『成就文』で「即得往生」と示され、親鸞聖人はこれを、「生きている現在、心が死んで生まれることだ」と解釈されていることは、繰り返し述べてきた。

根拠は、『愚禿鈔』の「信受本願・前念命終、即得往生・後念即生」で明らかである。

親鸞聖人は、『成就文』の教えに立たれて、弥陀の「若不生者の誓」は「不体失往生の誓」であることを開顕された方なのである。

は・は・は(笑) 片腹痛いですな(苦笑)。

この図が見えないぐらい、お目がお悪くなられましたかね(苦笑)。
 ↓ ↓ ↓

                                  第十一の願の
=前念(因) 介在時間0  =後念(果)              必至滅度の願
「信受本願」【←即の時→】「即得往生、住不退転」「若不生者 不取正覚」成就
    ↓           ↓            ↓       ↓
  真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・→極楽浄土へ往生→成 仏
    |           |           |      |
  十八願の真実の       |           |     等正覚にいたり
   信心をうれば→すなはち正定聚に住す        |     大涅槃を証する
           (この土の益)          |     (かの土の益)
      ↓       ↓              ↓      ↓ 
    【時間的に同時の「時分」】          【一念須臾のあひだ】


A3サイズぐらいのでかい紙に印刷して、
手元に置いておかなアキマヘンで(苦笑)。




この『浄土和讃』も、『成就文』の教導に立って拝読すれば、「若不生者不取正覚」と、弥陀が命をかけていられるのは、死んでからのことではない、平生ただ今「信楽に生まれさせる」ことにかけられているのだということが、鮮やかに知らされるのである。

あ~ん?(苦笑)

>『成就文』の教導に立って拝読すれば、

じゃなくて、

★高●先生が長年教えてこられてきた親●会ドグマに立って拝読すれば、

ですね(苦笑)。

ウソを書いてもらっちゃ困りますな(苦笑)。


というわけで、

48,間違って【高●先生が長年教えてこられてきた親●会ドグマに立って拝読すれば、】と書くべき部分に、【『成就文』の教導に立って拝読すれば、】と書いている。


ツッコミが四十八項目になったよ(苦笑)。
これからもガンガン更新続けて、
苦笑のファン増加に協力してよね

宿題チェック!【第28回】「若不生者」と「信楽」の関係

ツッコミ!【第28回】「若不生者」と「信楽」の関係


1,「信楽にさせる」「名号を与える」ことを誓った、本願文の根拠を出さ(せ)ないにも関わらず、そのことを前提に議論を進めている。しかも関係ないことをぐちゃぐちゃ書くことによってそのことを誤魔化そうとしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

2,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違うものであるのに、そのことを理解できてないまま議論を進めている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

3,名号と光明が合わさってはじめて信心がえられるのに、名号だけでOKみたいに印象操作している。しかも、ドグマに併せて覚如上人の『執持抄』の超重要な箇所を、ヘンテコな形で切り取って引用し資料を捏造している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。
※更にまた間違える!※またまた間違える!!※懲りずに間違える!
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

5,親●会ドグマと矛盾しないように、『唯信鈔文意』に説かれる「仏道のスタート」「方便の至誠心」を「信後の世界」に勝手に改変しドグマ化している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

6,信楽と本願の関係がわかってないから、法の深信が正確に解釈できておらず、将来間違いなく極楽浄土に往生する身になれず、現在「正定聚に入る益」もない。そのため「信楽の身」を自称しながら「死ぬ前には後生未来のことがわからない」信心になっている。これは「メンタルテスト」と言い訳しても誤魔化せない致命的な誤りである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

7,サンスクリット文や漢訳原文を読ま(め)ないで、親鸞聖人の読み方を採用した「書き下し」に基づいて論を展開したために、『無量寿経』の願成就文から言えないことを言えるかのように誤って語ってしまっている。さらに、既にその誤りは指摘されているのにも関わらず、同じ誤りを繰り返している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

8,「阿弥陀仏が名号を与える」ことと「衆生が名号を受け取る」ことの関係の説明が曖昧である。そのために「真剣な聞法を勧めている」親●会の優れた特色まで曖昧になってしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

9,「のちに、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空」と間違った内容を伝えるアニメを製作し、間違いを指摘されても改めず、更にネット上で世界中に間違った内容を発信している。しかもこれは「単純ミス」で済まされるようなものではなく、法然上人の思想的意義が全く理解できていない上に、法然上人のご苦労や親鸞聖人の思いを無にするような、許し難き暴挙である。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

10,そもそも「若不生者」の「生」を「信楽に生まれる」ことと解釈するのは、親鸞聖人の『尊号真像銘文』と明らかに異なるチ●ーリップ企画(=親●会)独自のドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

11,本願成就文の「即得往生、住不退転」に関して、親鸞聖人ともサンスクリット文とも異なった解釈を行っている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

12,そもそも不体失往生の根拠として、「即得往生住不退転」ではなく「若不生者不取正覚」の八字を使ったのがチ●ーリップ企画の誤り。それを誤魔化そうとしたため、更に大きな間違いがあることが明らかになった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
※更にまた間違える!
※またまた間違える!!※懲りずに間違える!
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

14,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というヘンテコドグマを主張するチ●ーリップ企画(=親●会)は、同時に「死後の往生」を否定するという、新たなドグマをも主張している
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

15,ヘンテコドグマを主張し続けているために、「真実信心」を得ることと「極楽浄土への往生」の区別がつかなくなっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

16,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」という論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに基づきヘンテコ解説を行い、ヘンテコ解説に基づいて、【「若不生者不取正覚」の「生」は「死んで極楽に生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことである】というヘンテコドグマを立証している。これは循環論法であり、論証責任を果たしたことにはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

17,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『執持抄』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「娑婆のおわり臨終」とされた時点が「往生が定まる」時点であり、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

18,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『改邪鈔』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「自力をすてて他力に帰する」と仰った「時分」が、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

19,「本願」が「現在では既に実現している誓願」を意味していることがわかってないため、未だに実現していない内容を「本願」の中身にしている。このような解釈は善導大師・法然上人・親鸞聖人と継承されている「本願」の解釈に著しく抵触している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

20,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「真実信心の人はありがたき」という親鸞聖人の言葉と完全に矛盾している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

21,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「信心をとる人が稀だから極楽に往生できる人が少ない」「衆生に疑情があるために輪廻してしまう」という善知識の教えに抵触している。しかもそのことをチ●ーリップ企画(=親●会)が自分で論証してしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

22,古典文法&親鸞聖人の教えがわかっていないから、親鸞聖人の和讚をまともに解釈することができない。しかも文法上の誤りを指摘されても「間違った文法も、へちまも、あるはずないではないか」と居直り、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」という蓮如上人の教えに反している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

23,「生るべからざるものを生れさせたれば」を現益に解釈しても当益に解釈しても、「若不生者」を「信楽に生まれさせる」と解釈する根拠とはならない。しかし「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、そのことが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

24,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、「信楽に生まれる」ことを阿弥陀仏が誓ってたら「生まるべからざるもの」ならないという当然の論理的思考ができてない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

25,チ●ーリップ企画(=親●会)のドグマに抵触しないように、『御文章』の文章を恣意的な形に省略して加工している。そのため「ただ一念に弥陀をたのむ衆生」になるために、善知識が「弥陀の本願信ずべし」と教えられている部分も省略されている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

26,苦笑に詳細な解説をしてもらったにも関わらず、未だに「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を正確に理解していないため、田中氏が指摘する問題点の重大さが未だにわかっていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

27,「浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々」ことを解説することによって、「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を理解していないチ●ーリップ企画(親●会)ドグマの誤りを自ら証明している。ただし「正定聚不退転の身(信楽)」という記述は、論拠に基づか(け)ないドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。
→ × 意図的な捏造を自白!!

29,「往生」と「成仏」の間に時間を介在しないとしても、両者は全く別の概念である。したがって、【十一願の「必至滅度の願」が成就しているから極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できる】ということが、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張が正しいことの根拠とはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

30,「等覚を成り大涅槃を証する」と、明らかに「死後のこと」が書かれている『教行信証』の一文を引用し、【『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても】という以前の自説が誤りであることを自ら証明していながら、自説の撤回も謝罪もない。あるいは「正信偈」が『教行信証』に収録されていることを知らないで引用している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

31,サンスクリット文を読むように勧める進言を無視したため、「本願の解釈を誤る」という教義上致命的な誤りに気づけなかった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

32,ヘンテコドグマに矛盾しない、新たに捏造したヘンテコドグマを「親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人方のご教示」と詐称する虚偽の発言をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

33,田中氏が言っていないことを言ったかのように捏造している。更にそのことは既に論拠に基づき指摘されているにも関わらず、無視している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

34,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、親鸞聖人が時間軸上の別の時点に配置されている「この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり」と「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生まれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり」を、勝手に同時点に配置している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

35,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、「信楽すべしとすすめたまえる御ちかい」と親鸞聖人が解釈しているものを、【弥陀の正覚は「この世、信楽に生まれさせる」ことに懸けられている】と解釈している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

36,苦笑に詳細に解説してもらっているにも関わらず、「信楽」と「極楽浄土への往生」と「正定聚に入る益」の関係が未だにわかっておらず、「信楽」=「二種深信」がわかっていないので、親鸞聖人のお書きになられた『唯信鈔文意』を正確に読むことができていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

37,蓮如上人が、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」と教えられているのを無視して、自分勝手な解釈を行っている。それにも関わらず、その勝手な解釈に基づいて、親鸞聖人の言葉に基づいて語っている田中氏の解釈を批判するという暴挙を行っていることに気づいていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

38,田中氏の【チ●ーリップ企画(=親●会)の論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに真っ向から反する主張】を、【『成就文』に、真っ向から反する主張】というように虚偽の主張をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

39,「信楽をえた」ことと「極楽に生まれる」ことが「不離の関係」であると断った上で、両者が異なった概念であるとしている田中氏の主張を、「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」であるかのように印象操作を行い、反論しやすい形に捏造した主張に対して反論するワラ人形論法を行っている。
→ × 捏造した見解に基づく反論を企て!失敗!

40,ドグマの都合に合わせて『教行信証』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを親鸞聖人の言葉と詐称して使用している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

41,ドグマの都合に合わせて『口伝鈔』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを覚如上人の言葉と詐称して使用している
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!



※以下は、「後出しジャンケン」で指摘されてから(ゴマカシながら)訂正したもの。

A,ヘンテコドグマの矛盾を誤魔化すために、「正覚を取らじ」を「命を捨てる」と解釈。結果、サンスクリット文、漢文、親鸞聖人の解釈、いずれとも異なる新たなヘンテコドグマを捏造しまき散らすことになっている。
→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

弥陀の「若し、生まれずは、正覚を取らぬ」
の「生まれず」は、(以下略)【第17回】

弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取らぬ」と誓われているのは、【第20回】他



B,『高僧和讃』の「衆生の志願をみてたまう」の「志願」は、「衆生が志願」するのを「阿弥陀仏がみてたまう」という意味であるのに、「弥陀の志願(望み)」と解釈している。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

次に「衆生の志願をみてたまう」とは、南無阿弥陀仏の『名号』には「すべての人を絶対の幸福・無碍の一道に生かし、出世の本懐を遂げさせたい」という弥陀の志願(望み)を凡夫(人間)の身に実現させる力があるから、(以下略)【第10回】



C,親鸞聖人が『尊号真像銘文』で「正定の業因=仏名をとなふる」「正定の因=かならず無上涅槃のさとりをひらくたね」と解釈しているのに、「正定之業」を「正定聚不退転にする働き」と親●会ドグマに基づいて勝手に解釈した。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

では次に、覚如上人の教えを聞いてみよう。

『執持抄』に覚如上人は、

「現在、私の喜んでいることは、阿弥陀仏より賜った名号によって信楽(破闇満願)の身になり、人生が光明の広海と転じ変わり、人界受生の本懐が果たされ、いつでも弥陀の浄土へ往ける身になったことである」

と、こう仰っている。

「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成辨することを喜ぶべし」【第11回】




※以下は、今回新たに加わったチ●ーリップ企画(=親●会)の間違い。次回の宿題には、これに解答することも加えられる。

42,【はたして「若不生者」と「信楽」は、全く関係ない、切り離せるものなのか。】という問題設定が不当であることは、既に、田中氏の言葉に基づいて指摘済みである。それにも関わらず、同じ発言を繰り返し捏造した田中氏の主張に反論し、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張のヘンテコさを誤魔化そうとしている。

43,田中氏のメールから【「関係」という言葉は、違うものをつなげる言葉です。違うものだからこそ「関係がある」と言えるのです。】という言葉を意図的に省略して、田中氏の主張を反論しやすい形に捏造して議論を進めている。

44,田中氏が親鸞聖人の言葉に基づいて自説を述べている部分を無視して、【「若不生者」から、密接不離な「信楽」を切り離して、「死んで極楽に生まれることだけ」と繰り返す】と田中氏の主張を繰り返し捏造している。

45,宿題28で、チ●ーリップ企画(=親●会)が新しいドグマを捏造したことを突っ込んだが、これに関してチ●ーリップ企画(=親●会)は、「混乱や誤解は全くない」完全な「確信犯」であった。

まったくも~(苦笑)。
ツッコミをしっかり意識してる癖に、
中途半端な答えをするから、
ますます恥ずかしい醜態を晒すのよ(苦笑)。


ツッコミ!【第28回】「若不生者」と「信楽」の関係

第28回が更新されました。
 ↓↓↓
【第28回】「若不生者」と「信楽」の関係
http://shinjin.info/2008/12/200750166.html


チューリップ企画が「若不生者」の「生」は「平生に信楽に生まれること」と主張するのに対し、田中氏は「死んで極楽に生まれることだけ」と主張される。
はたして「若不生者」と「信楽」は、全く関係ない、切り離せるものなのか。

あ~ん?(苦笑)

田中さんとチ●ーリップ企画の主張に違いに関して、
こ~いう問題設定が不当であることは、
 ↓

>はたして「若不生者」と「信楽」は、全く関係ない、切り離せるものなのか。

前回懇切丁寧に指摘済みでっせ。
それなのに、性懲りもなくまたまた繰り返すのは、
この問題設定にしないと田中さんに反論できないし、
チ●ーリップ企画の主張のヘンテコさを、
誤魔化すことができないからでしょうね~(苦笑)。


というわけで、

42,【はたして「若不生者」と「信楽」は、全く関係ない、切り離せるものなのか。】という問題設定が不当であることは、既に、田中氏の言葉に基づいて指摘済みである。それにも関わらず、同じ発言を繰り返し捏造した田中氏の主張に反論し、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張のヘンテコさを誤魔化そうとしている。



田中氏自身は、こう言われている。

◆平成19年12月15日のメール
「若不生者」と極楽に生まれられるのは、「信楽をえた」人だけです。だから、不離の関係があるのです。
しかし、「極楽に生まれる」ことと「信楽をえた」ことは、全く違います。

死後、極楽に生まれられるのは、現在、信楽に生まれた人だけである。だから信楽に生まれることと「若不生者」との間には「不離の関係がある」と、田中氏も認められている。
それにも関わらず、「若不生者」から、密接不離な「信楽」を切り離して、「死んで極楽に生まれることだけ」と繰り返す自己矛盾が、議論を打ち切らせることになったのだろう。

あ~ん?(苦笑)

前回のツッコミで、こいつを提示したから、
 ↓ ↓ ↓

~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~
「関係」という言葉は、違うものをつなげる言葉です。違うものだからこそ「関係がある」と言えるのです。「若不生者」と極楽に生まれられるのは、「信楽をえた」人だけです。だから、不離の関係があるのです。しかし、「極楽に生まれる」ことと「信楽をえた」ことは、全く違います。
~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~

田中さんが
「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」
と主張しているかのように捏造するのは、
流石にちょっと無理だと思ったんだろうけど、


>「関係」という言葉は、違うものをつなげる言葉です。違うものだからこそ「関係がある」と言えるのです。
 ↑
こういう大事な言葉を意図的に省略して、
田中さんの主張を反論しやすい形に捏造するのは、
ホンマニ、人間としても仏教者としても許し難い、
卑劣極まりないインチキ行為だと思いますわ(苦笑)。


というわけで、

43,田中氏のメールから【「関係」という言葉は、違うものをつなげる言葉です。違うものだからこそ「関係がある」と言えるのです。】という言葉を意図的に省略して、田中氏の主張を反論しやすい形に捏造して議論を進めている。


しかも田中さんは同じメールで、

~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~
 尊号真像銘文には『「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。』

『「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。』と記述されています。
~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~

というように、親鸞聖人の言葉に基づいて、
自説を主張しているんでっせ~。

こいつもわざと見なかったことにしているようですが、
そんなインチキは、この苦笑さんには通用しまへん(苦笑)。


というわけで、

44,田中氏が親鸞聖人の言葉に基づいて自説を述べている部分を無視して、【「若不生者」から、密接不離な「信楽」を切り離して、「死んで極楽に生まれることだけ」と繰り返す】と田中氏の主張を繰り返し捏造している。


こら~!!インチキもエエ加減にせえや!!


田中氏はこのメールでも、極楽に生まれること(体失往生)と、信楽に生まれること(不体失往生)は、「全く違います」と忠告されているが、親鸞聖人が二つの往生を説かれたことは、当方も一貫して主張していることであり、田中氏が非難されるような混乱や誤解は全くない。

ほ~お(苦笑)。

そう言えばチューリップ企画は、
こういう新しいドグマを捏造してましたな~。
 ↓

宿題28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。

確かに「混乱や誤解は全くない」ですわ~。
確信犯で新しいドグマを捏造してるんだもん(苦笑)。


というわけで、

45,宿題28で、チ●ーリップ企画(=親●会)が新しいドグマを捏造したことを突っ込んだが、これに関してチ●ーリップ企画(=親●会)は、「混乱や誤解は全くない」完全な「確信犯」であった。


インチキドグマは、不勉強や理解力不足のせいじゃなくて、
意図的に親鸞聖人の教えを捏造したものだったのね。

正直に言ってくれて、超スッキリしたよ(苦笑)。



今、論じられているのは、弥陀が「若不生者」と命を懸けられたのは、極楽に生まれる「体失往生」か、この世で信楽に生まれる「不体失往生」か、の一点なのである。
この論点に集中して、田中氏の主張を引き続き検証しよう。



まだやるんだ?(苦笑)

今日も一点アドバイスしてあげるけど、
捏造やインチキは、バレない相手にしか通容しまへ~ん。
バレルと、超恥ずかしいことになるよ~ん(苦笑)。

宿題チェック!【第27回】田中氏の「往生」の誤解

ホンマニ、よ~笑わせてくれますわ(苦笑)。
 ↓
ツッコミ!【第27回】田中氏の「往生」の誤解


1,「信楽にさせる」「名号を与える」ことを誓った、本願文の根拠を出さ(せ)ないにも関わらず、そのことを前提に議論を進めている。しかも関係ないことをぐちゃぐちゃ書くことによってそのことを誤魔化そうとしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

2,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違うものであるのに、そのことを理解できてないまま議論を進めている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

3,名号と光明が合わさってはじめて信心がえられるのに、名号だけでOKみたいに印象操作している。しかも、ドグマに併せて覚如上人の『執持抄』の超重要な箇所を、ヘンテコな形で切り取って引用し資料を捏造している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。
※更にまた間違える!※またまた間違える!!※懲りずに間違える!
→ ××××× ふう。。。

5,親●会ドグマと矛盾しないように、『唯信鈔文意』に説かれる「仏道のスタート」「方便の至誠心」を「信後の世界」に勝手に改変しドグマ化している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

6,信楽と本願の関係がわかってないから、法の深信が正確に解釈できておらず、将来間違いなく極楽浄土に往生する身になれず、現在「正定聚に入る益」もない。そのため「信楽の身」を自称しながら「死ぬ前には後生未来のことがわからない」信心になっている。これは「メンタルテスト」と言い訳しても誤魔化せない致命的な誤りである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

7,サンスクリット文や漢訳原文を読ま(め)ないで、親鸞聖人の読み方を採用した「書き下し」に基づいて論を展開したために、『無量寿経』の願成就文から言えないことを言えるかのように誤って語ってしまっている。さらに、既にその誤りは指摘されているのにも関わらず、同じ誤りを繰り返している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

8,「阿弥陀仏が名号を与える」ことと「衆生が名号を受け取る」ことの関係の説明が曖昧である。そのために「真剣な聞法を勧めている」親●会の優れた特色まで曖昧になってしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

9,「のちに、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空」と間違った内容を伝えるアニメを製作し、間違いを指摘されても改めず、更にネット上で世界中に間違った内容を発信している。しかもこれは「単純ミス」で済まされるようなものではなく、法然上人の思想的意義が全く理解できていない上に、法然上人のご苦労や親鸞聖人の思いを無にするような、許し難き暴挙である。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

10,そもそも「若不生者」の「生」を「信楽に生まれる」ことと解釈するのは、親鸞聖人の『尊号真像銘文』と明らかに異なるチ●ーリップ企画(=親●会)独自のドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

11,本願成就文の「即得往生、住不退転」に関して、親鸞聖人ともサンスクリット文とも異なった解釈を行っている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

12,そもそも不体失往生の根拠として、「即得往生住不退転」ではなく「若不生者不取正覚」の八字を使ったのがチ●ーリップ企画の誤り。それを誤魔化そうとしたため、更に大きな間違いがあることが明らかになった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
※更にまた間違える!
※またまた間違える!!※懲りずに間違える!
→ ××××× ふう。。。


14,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というヘンテコドグマを主張するチ●ーリップ企画(=親●会)は、同時に「死後の往生」を否定するという、新たなドグマをも主張している
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

15,ヘンテコドグマを主張し続けているために、「真実信心」を得ることと「極楽浄土への往生」の区別がつかなくなっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

16,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」という論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに基づきヘンテコ解説を行い、ヘンテコ解説に基づいて、【「若不生者不取正覚」の「生」は「死んで極楽に生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことである】というヘンテコドグマを立証している。これは循環論法であり、論証責任を果たしたことにはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

17,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『執持抄』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「娑婆のおわり臨終」とされた時点が「往生が定まる」時点であり、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

18,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『改邪鈔』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「自力をすてて他力に帰する」と仰った「時分」が、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

19,「本願」が「現在では既に実現している誓願」を意味していることがわかってないため、未だに実現していない内容を「本願」の中身にしている。このような解釈は善導大師・法然上人・親鸞聖人と継承されている「本願」の解釈に著しく抵触している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

20,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「真実信心の人はありがたき」という親鸞聖人の言葉と完全に矛盾している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

21,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「信心をとる人が稀だから極楽に往生できる人が少ない」「衆生に疑情があるために輪廻してしまう」という善知識の教えに抵触している。しかもそのことをチ●ーリップ企画(=親●会)が自分で論証してしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

22,古典文法&親鸞聖人の教えがわかっていないから、親鸞聖人の和讚をまともに解釈することができない。しかも文法上の誤りを指摘されても「間違った文法も、へちまも、あるはずないではないか」と居直り、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」という蓮如上人の教えに反している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

23,「生るべからざるものを生れさせたれば」を現益に解釈しても当益に解釈しても、「若不生者」を「信楽に生まれさせる」と解釈する根拠とはならない。しかし「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、そのことが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

24,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、「信楽に生まれる」ことを阿弥陀仏が誓ってたら「生まるべからざるもの」ならないという当然の論理的思考ができてない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

25,チ●ーリップ企画(=親●会)のドグマに抵触しないように、『御文章』の文章を恣意的な形に省略して加工している。そのため「ただ一念に弥陀をたのむ衆生」になるために、善知識が「弥陀の本願信ずべし」と教えられている部分も省略されている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

26,苦笑に詳細な解説をしてもらったにも関わらず、未だに「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を正確に理解していないため、田中氏が指摘する問題点の重大さが未だにわかっていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

27,「浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々」ことを解説することによって、「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を理解していないチ●ーリップ企画(親●会)ドグマの誤りを自ら証明している。ただし「正定聚不退転の身(信楽)」という記述は、論拠に基づか(け)ないドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

29,「往生」と「成仏」の間に時間を介在しないとしても、両者は全く別の概念である。したがって、【十一願の「必至滅度の願」が成就しているから極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できる】ということが、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張が正しいことの根拠とはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

30,「等覚を成り大涅槃を証する」と、明らかに「死後のこと」が書かれている『教行信証』の一文を引用し、【『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても】という以前の自説が誤りであることを自ら証明していながら、自説の撤回も謝罪もない。あるいは「正信偈」が『教行信証』に収録されていることを知らないで引用している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

31,サンスクリット文を読むように勧める進言を無視したため、「本願の解釈を誤る」という教義上致命的な誤りに気づけなかった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

32,ヘンテコドグマに矛盾しない、新たに捏造したヘンテコドグマを「親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人方のご教示」と詐称する虚偽の発言をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

33,田中氏が言っていないことを言ったかのように捏造している。更にそのことは既に論拠に基づき指摘されているにも関わらず、無視している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

34,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、親鸞聖人が時間軸上の別の時点に配置されている「この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり」と「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生まれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり」を、勝手に同時点に配置している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

35,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、「信楽すべしとすすめたまえる御ちかい」と親鸞聖人が解釈しているものを、【弥陀の正覚は「この世、信楽に生まれさせる」ことに懸けられている】と解釈している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

36,苦笑に詳細に解説してもらっているにも関わらず、「信楽」と「極楽浄土への往生」と「正定聚に入る益」の関係が未だにわかっておらず、「信楽」=「二種深信」がわかっていないので、親鸞聖人のお書きになられた『唯信鈔文意』を正確に読むことができていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

37,蓮如上人が、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」と教えられているのを無視して、自分勝手な解釈を行っている。それにも関わらず、その勝手な解釈に基づいて、親鸞聖人の言葉に基づいて語っている田中氏の解釈を批判するという暴挙を行っていることに気づいていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

38,田中氏の【チ●ーリップ企画(=親●会)の論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに真っ向から反する主張】を、【『成就文』に、真っ向から反する主張】というように虚偽の主張をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!



※以下は、「後出しジャンケン」で指摘されてから(ゴマカシながら)訂正したもの。

A,ヘンテコドグマの矛盾を誤魔化すために、「正覚を取らじ」を「命を捨てる」と解釈。結果、サンスクリット文、漢文、親鸞聖人の解釈、いずれとも異なる新たなヘンテコドグマを捏造しまき散らすことになっている。
→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

弥陀の「若し、生まれずは、正覚を取らぬ」
の「生まれず」は、(以下略)【第17回】

弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取らぬ」と誓われているのは、【第20回】他



B,『高僧和讃』の「衆生の志願をみてたまう」の「志願」は、「衆生が志願」するのを「阿弥陀仏がみてたまう」という意味であるのに、「弥陀の志願(望み)」と解釈している。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

次に「衆生の志願をみてたまう」とは、南無阿弥陀仏の『名号』には「すべての人を絶対の幸福・無碍の一道に生かし、出世の本懐を遂げさせたい」という弥陀の志願(望み)を凡夫(人間)の身に実現させる力があるから、(以下略)【第10回】



C,親鸞聖人が『尊号真像銘文』で「正定の業因=仏名をとなふる」「正定の因=かならず無上涅槃のさとりをひらくたね」と解釈しているのに、「正定之業」を「正定聚不退転にする働き」と親●会ドグマに基づいて勝手に解釈した。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

では次に、覚如上人の教えを聞いてみよう。

『執持抄』に覚如上人は、

「現在、私の喜んでいることは、阿弥陀仏より賜った名号によって信楽(破闇満願)の身になり、人生が光明の広海と転じ変わり、人界受生の本懐が果たされ、いつでも弥陀の浄土へ往ける身になったことである」

と、こう仰っている。

「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成辨することを喜ぶべし」【第11回】




※以下は、今回新たに加わったチ●ーリップ企画(=親●会)の間違い。次回の宿題には、これに解答することも加えられる。

39,「信楽をえた」ことと「極楽に生まれる」ことが「不離の関係」であると断った上で、両者が異なった概念であるとしている田中氏の主張を、「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」であるかのように印象操作を行い、反論しやすい形に捏造した主張に対して反論するワラ人形論法を行っている。

40,ドグマの都合に合わせて『教行信証』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを親鸞聖人の言葉と詐称して使用している。

41,ドグマの都合に合わせて『口伝鈔』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを覚如上人の言葉と詐称して使用している


一つアドバイスしておくけど、
僕ちゃんのツッコミを通して、
読者もどんどん学習して成長してるから、
よほど心して文章を書かないと、
インチキが速攻でバレてしまいまっせ(苦笑)。

まあ、自滅しながら教えを明らかにしたいなら、
全力で協力してあげるけどね(笑)。

ツッコミ!【第27回】田中氏の「往生」の誤解

第27回が更新されました。
 ↓↓↓
【第27回】田中氏の「往生」の誤解
http://shinjin.info/2008/12/151142165.html

『成就文』の教えを知られない故の、悲しい誤解が続く。

◆平成19年12月4日のメール
貴社の一番の問題は、浄土真宗で「生まれる」といっても二通りの意味があることを理解しておらず、混同しておられることです。ここで「生」と「往生」は、ほぼ同じ意味と受け取って頂いて結構です。
一つ目の「生」は、ビデオの内容で言えば「不体失往生」であり、生きている時に「信楽をえる」ことを「生」と言います。十八願では、「至心信楽欲生我国」に当たります。
二つ目の「生」は、死んで真実報土に生まれることを言います。十八願では、「若不生者」に当たります。
同じ「生」の字を使っていても、意味は全く違います。

このように田中氏は、浄土真宗で「生まれる(=往生)」といっても「この世、信楽に生まれる(=不体失往生)」と「死後、真実報土に生まれる(=体失往生)」の二通りあり、全く違うものである。なのに、「この二つの往生を、チューリップ企画は混同している」とご忠告されている。
果たして、浄土真宗の「往生」を誤解しているのはどちらであろうか。二つの往生は、全く無関係の別物なのだろうか。

あ~ん?(苦笑)

>二つの往生は、全く無関係の別物なのだろうか。

田中さんは、
「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」
なんて、一言も言ってまへんで(苦笑)。

それなのに、この問題設定はおかしいですがな(苦笑)。

しかもこれを見てよ~。
↓ ↓ ↓

~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~
「関係」という言葉は、違うものをつなげる言葉です。違うものだからこそ「関係がある」と言えるのです。「若不生者」と極楽に生まれられるのは、「信楽をえた」人だけです。だから、不離の関係があるのです。しかし、「極楽に生まれる」ことと「信楽をえた」ことは、全く違います。
~~2007 12/15(土) 23:26 田中さんのメール~~

どうよ?(苦笑)

「信楽をえた」ことと「極楽に生まれる」ことが、
「不離の関係」であると断った上で、
両者が異なった概念であると主張してるんですよ~。

田中さんの主張を反論しやすい形に捏造して、
それに対する反論を行っても全く意味あらへんで(苦笑)。

もうみんなにバレバレやし、
インチキワラ人形論法は、
いい加減やめにしてくれへんかな~?(苦笑)


というわけで、

39,「信楽をえた」ことと「極楽に生まれる」ことが「不離の関係」であると断った上で、両者が異なった概念であるとしている田中氏の主張を、「不体失往生」と「体失往生」が「全く無関係の別物」であるかのように印象操作を行い、反論しやすい形に捏造した主張に対して反論するワラ人形論法を行っている。


「成就文」の「即得往生」についての善知識方のご教示を、重ねて頂いてきたが、この問題は根深く、善恵房証空でも間違えたところであるから、再往を述べねばならないだろう。
親鸞聖人は、「本願」と「成就文」の関係を、「横超とは即ち願成就」(教行信証信巻)と言われている。「弥陀の『本願文』三十六字は、イコール釈迦の『成就文』四十字の教えである」と断言されているお言葉である。
「成就文」は「本願文」総ての解説であるからこそ、「即ち(イコール)」と言われ、「一実円満の真教」と讃嘆され、「真宗是れなり」〝浄土真宗は『成就文』の教え以外にない〟と明言されているのである。

あ~ん?(苦笑)

とりあえず『教行信証』見てみよかな。
 ↓ ↓ ↓
●横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。『教行信証』信巻

ここに書かれている内容を簡単にまとめると、

【聖道門】【方便】「竪出」・・大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教
     【真実】「竪超」・・大乗真実の教
【浄土門】【方便】「横出」・・三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善
     【真実】「横超」・・願成就一実円満の真教、真宗

ということで、

【聖道門】【方便】である「竪出」、【聖道門】【真実】である「竪超」、
【浄土門】の中でも【方便】である「横出」、これらに対して、

【浄土門】【真実】である「横超」の教は、
阿弥陀仏の本願が成就してシステムが完成しているから、
そのシステムに乗じたら全ての衆生が救済されるということで、
「一実円満の真教」と言われていて、
それこそが「真宗これなり」ということを言ってるんでっせ~。


それをチ●ーリップ企画(=親●会)が解釈すると・・
 ↓ ↓ ↓
>「弥陀の『本願文』三十六字は、イコール釈迦の『成就文』四十字の教えである」と断言されているお言葉である。

・・苦笑・・

こりゃ『教行信証』を読んでないか、
読者を舐めてるかどっちかやね(苦笑)。

自分のドグマの都合に合わせて、
『教行信証』を変な所でカットして、
親鸞聖人が言っていない新しいドグマを作るの、
もうやめにしてくれまへんかね~?(苦笑)


田中さんの主張を捏造するにもヒドイけど、
親鸞聖人の言葉を捏造するのは、
ちょっとアカンでしょ?(苦笑)


というわけで、

40,ドグマの都合に合わせて『教行信証』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを親鸞聖人の言葉と詐称して使用している。



では、その「成就文」には、「若不生者」と弥陀が正覚の命を懸けていられる「生」を、どう解説されているのか。「『即得往生』と説かれている」と、親鸞聖人は鮮明にされ、弥陀の本願は「不体失往生」であることを生涯開顕なされている。主著の『教行信証』を始め、『愚禿鈔』『ご和讃』『尊号真像銘文』などのご著書も、かかる仏意の宣揚以外になかった。かの「体失不体失往生の諍論」も、「若不生者」を「死後だけのこと」とする善恵房の迷妄を打破し、「不体失往生」の弥陀の救いを発揮せんが為の、聖人決死の大法論であった。

あ~ん?(苦笑)

もうエエ加減にしてくれへんかな~(苦笑)。
これで四回連続の間違えやで~。

ちょっとアカンでしょ~(苦笑)。
 ↓ ↓ ↓

====読めや!====
繰り返しになるけど、
阿弥陀仏の本願の対象は「十方衆生」でっせ。
「十方衆生」が「信楽」になることを阿弥陀仏が誓い、
その誓いが成就しているなら、
「十方衆生」全てが「信楽」になって、
誰も迷いの世界に留まってないことになるんやで(苦笑)。


 参照→宿題4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。

そんでもって、親鸞聖人が、
「即得往生 住不退転」と「若不生者 不取正覚」を、
時間軸上別の時点に配置されていて、
この両者をイコールにするのが、
親鸞聖人の教えに抵触するっていうのも、
既に指摘済みでっせ(苦笑)。


 参照→宿題13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
====読めや!====

いい大人なんだから、
もうちょっと違う角度から誤魔化すとか、
別のアプローチを考えた方がいいんちゃう?

可哀相だし、アドバイスしといたるわ(苦笑)。



この親鸞聖人の教えを、覚如上人は『口伝抄』に、こう明示されている。
「真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす」
肝要も淵源も、これ以上大事なことはない表現だから、〝弥陀の本願の最も優れて尊く大切なのは、平生一念の「不体失往生」であると、釈迦や親鸞聖人は言われている〟ということである。

あ~ん?(苦笑)

またまた、ドグマの都合に合わせて、
『口伝鈔』をヘンテコな形でカットしましたな(苦笑)


●一 一念にてたりぬとしりて、多念をはげむべしといふ事。
 このこと、多念も一念もともに本願の文なり。いはゆる、「上尽一形下至一念」(礼讃・意)と等釈せらる、これその文なり。しかれども、「下至一念」は本願をたもつ往生決定の時剋なり、「上尽一形」は往生即得のうへの仏恩報謝のつとめなり。そのこころ、経釈顕然なるを、一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこころえみだす条、すこぶる経釈に違せるものか。さればいくたびも先達よりうけたまはり伝へしがごとくに、他力の信をば一念に即得往生ととりさだめて、そのときいのちをはらざらん機は、いのちあらんほどは念仏すべし。これすなはち「上尽一形」の釈にかなへり。
 しかるに世の人つねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこころうるか。これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆゑは如来の大悲、短命の根機を本としたまへり。もし多念をもつて本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもつて淵源とす。『口伝抄』


この文は、「如来の大悲、短命の根機を本としたまへり」だから、
「真宗の肝要」は「一念往生をもつて淵源」としていて、
「一念にてたりぬとしりて、多念をはげむべし」ということを言ってるだけで、


>〝弥陀の本願の最も優れて尊く大切なのは、平生一念の「不体失往生」であると、釈迦や親鸞聖人は言われている〟
 ↑
こ~んな意味は、この文からは出てきまへんで~(苦笑)。

いかにも文献に基づいて語っているように偽装しても、
ちょっと文献を読んだら、速攻でインチキばれまっせ(苦笑)。


というわけで、

41,ドグマの都合に合わせて『口伝鈔』の言葉をヘンテコな形でカットして引用し新たなドグマを捏造し、それを覚如上人の言葉と詐称して使用している

どうせ、根拠に基づか(け)ないドグマなんだし、
さらに晒し者にされて傷口を広げるようなことは、
もうやめにしたらどうよ?(苦笑)



では、なぜ弥陀は、「信楽に生まれさせる(=不体失往生)」に命を懸けていられるのか。それは、「この世、信楽に生まれ」さえすれば、「死んで極楽に生まれられる(=体失往生)」と決定するからである。すなわち「信楽」とは、「極楽に生まれられる」身のことであり、「往生一定の決定心」をいうのである。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!

>では、なぜ弥陀は、「信楽に生まれさせる(=不体失往生)」に命を懸けていられるのか。
 ↑
この問題設定に対して、
これが全く解答になっていないことは、
 ↓

>それは、「この世、信楽に生まれ」さえすれば、「死んで極楽に生まれられる(=体失往生)」と決定するからである。

これまでこのブログを読んでくれたお友達には、
もう完全にバレバレなんでっせ(苦笑)。

先ほど上にも書いて四回連続になったけど、
【宿題4】は、ちゃんと復習しといてな(苦笑)。



この密接不離な「不体失往生」と「体失往生」を、田中氏は完全に切り離し、「同じ『生』の字を使っていても、意味は全く違う」という理解だから、混乱されるのも当然だろう。しかも、その自説に合わせて「本願文」を無理に解釈しようとするから、「至心信楽」と「若不生者」を分断するという、先の珍しき領解になるのである。これでは、「弥陀の本願文」総てを「若不生者の誓」と言われた親鸞聖人とは、明らかに異なる。
かかる田中氏の誤解の根本は、真宗の肝要・至極である「成就文」の曲解にあることを、繰り返し銘記しておきたい。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!

あのさ~。

もうエエ加減わかってほしいんだけど、
田中さんの主張を捏造して批判するだけじゃ
とてもともて誤魔化しきれないぐらい、
チ●ーリップ企画(=親●会)ドグマのヘンテコさは、
みんなに知れわたっておりますねん。



★諸仏世尊つねにこの言を説きたまはく、二つの白法あり、よく衆生を救く。
一つには慚、二つには愧なり。
慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。
慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。
慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。
無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。

(苦笑ちゃん訳)
諸仏世尊はいつも言ってはるで!二つの清らかな法があって、衆生を救うのや!
一つ目は「慚」で、二つ目は「愧」や!
「慚」は自分が二度と罪を作らないこと!「愧」は人に罪を作らせないこと!
「慚」は自分自身の罪を恥じること!「愧」は人に罪を告白して恥じること!
「慚」は人に対して恥じること!「愧」は天に対して恥じること!
これを「慚愧」と言うんやで!
「慚愧」がない奴は人間ちゃう!そんな奴は畜生や!

 ↑
あつかましいから、この言葉を読んでも何も感じまへんか?
いつまで晒し者になるつもりですかいな?(苦笑)


あと、一応もう一度言っとくけど、
「無慚無愧を痛切に告白」と
「無慚無愧に居直る」は
全然ちゃうものやからね(苦笑)。

宿題チェック【26回目】田中氏の一貫した主張

もう書くネタがないのに、なんで更新するんだろうね~?
タコ殴りにされるだけなのに(苦笑)。

ツッコミ【26回目】田中氏の一貫した主張

1,「信楽にさせる」「名号を与える」ことを誓った、本願文の根拠を出さ(せ)ないにも関わらず、そのことを前提に議論を進めている。しかも関係ないことをぐちゃぐちゃ書くことによってそのことを誤魔化そうとしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

2,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違うものであるのに、そのことを理解できてないまま議論を進めている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

3,名号と光明が合わさってはじめて信心がえられるのに、名号だけでOKみたいに印象操作している。しかも、ドグマに併せて覚如上人の『執持抄』の超重要な箇所を、ヘンテコな形で切り取って引用し資料を捏造している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。
※更にまた間違える!※またまた間違える!!
→ ×××× またまたま同じ間違え~!超残念!

5,親●会ドグマと矛盾しないように、『唯信鈔文意』に説かれる「仏道のスタート」「方便の至誠心」を「信後の世界」に勝手に改変しドグマ化している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

6,信楽と本願の関係がわかってないから、法の深信が正確に解釈できておらず、将来間違いなく極楽浄土に往生する身になれず、現在「正定聚に入る益」もない。そのため「信楽の身」を自称しながら「死ぬ前には後生未来のことがわからない」信心になっている。これは「メンタルテスト」と言い訳しても誤魔化せない致命的な誤りである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

7,サンスクリット文や漢訳原文を読ま(め)ないで、親鸞聖人の読み方を採用した「書き下し」に基づいて論を展開したために、『無量寿経』の願成就文から言えないことを言えるかのように誤って語ってしまっている。さらに、既にその誤りは指摘されているのにも関わらず、同じ誤りを繰り返している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

8,「阿弥陀仏が名号を与える」ことと「衆生が名号を受け取る」ことの関係の説明が曖昧である。そのために「真剣な聞法を勧めている」親●会の優れた特色まで曖昧になってしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

9,「のちに、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空」と間違った内容を伝えるアニメを製作し、間違いを指摘されても改めず、更にネット上で世界中に間違った内容を発信している。しかもこれは「単純ミス」で済まされるようなものではなく、法然上人の思想的意義が全く理解できていない上に、法然上人のご苦労や親鸞聖人の思いを無にするような、許し難き暴挙である。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

10,そもそも「若不生者」の「生」を「信楽に生まれる」ことと解釈するのは、親鸞聖人の『尊号真像銘文』と明らかに異なるチ●ーリップ企画(=親●会)独自のドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

11,本願成就文の「即得往生、住不退転」に関して、親鸞聖人ともサンスクリット文とも異なった解釈を行っている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

12,そもそも不体失往生の根拠として、「即得往生住不退転」ではなく「若不生者不取正覚」の八字を使ったのがチ●ーリップ企画の誤り。それを誤魔化そうとしたため、更に大きな間違いがあることが明らかになった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
※更にまた間違える!
※またまた間違える!!
→ ×××× またまたまた同じ間違え~!超残念!


14,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というヘンテコドグマを主張するチ●ーリップ企画(=親●会)は、同時に「死後の往生」を否定するという、新たなドグマをも主張している
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

15,ヘンテコドグマを主張し続けているために、「真実信心」を得ることと「極楽浄土への往生」の区別がつかなくなっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

16,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」という論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに基づきヘンテコ解説を行い、ヘンテコ解説に基づいて、【「若不生者不取正覚」の「生」は「死んで極楽に生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことである】というヘンテコドグマを立証している。これは循環論法であり、論証責任を果たしたことにはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

17,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『執持抄』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「娑婆のおわり臨終」とされた時点が「往生が定まる」時点であり、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

18,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『改邪鈔』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「自力をすてて他力に帰する」と仰った「時分」が、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

19,「本願」が「現在では既に実現している誓願」を意味していることがわかってないため、未だに実現していない内容を「本願」の中身にしている。このような解釈は善導大師・法然上人・親鸞聖人と継承されている「本願」の解釈に著しく抵触している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

20,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「真実信心の人はありがたき」という親鸞聖人の言葉と完全に矛盾している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

21,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「信心をとる人が稀だから極楽に往生できる人が少ない」「衆生に疑情があるために輪廻してしまう」という善知識の教えに抵触している。しかもそのことをチ●ーリップ企画(=親●会)が自分で論証してしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

22,古典文法&親鸞聖人の教えがわかっていないから、親鸞聖人の和讚をまともに解釈することができない。しかも文法上の誤りを指摘されても「間違った文法も、へちまも、あるはずないではないか」と居直り、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」という蓮如上人の教えに反している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

23,「生るべからざるものを生れさせたれば」を現益に解釈しても当益に解釈しても、「若不生者」を「信楽に生まれさせる」と解釈する根拠とはならない。しかし「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、そのことが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

24,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、「信楽に生まれる」ことを阿弥陀仏が誓ってたら「生まるべからざるもの」ならないという当然の論理的思考ができてない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

25,チ●ーリップ企画(=親●会)のドグマに抵触しないように、『御文章』の文章を恣意的な形に省略して加工している。そのため「ただ一念に弥陀をたのむ衆生」になるために、善知識が「弥陀の本願信ずべし」と教えられている部分も省略されている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

26,苦笑に詳細な解説をしてもらったにも関わらず、未だに「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を正確に理解していないため、田中氏が指摘する問題点の重大さが未だにわかっていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

27,「浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々」ことを解説することによって、「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を理解していないチ●ーリップ企画(親●会)ドグマの誤りを自ら証明している。ただし「正定聚不退転の身(信楽)」という記述は、論拠に基づか(け)ないドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

29,「往生」と「成仏」の間に時間を介在しないとしても、両者は全く別の概念である。したがって、【十一願の「必至滅度の願」が成就しているから極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できる】ということが、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張が正しいことの根拠とはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

30,「等覚を成り大涅槃を証する」と、明らかに「死後のこと」が書かれている『教行信証』の一文を引用し、【『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても】という以前の自説が誤りであることを自ら証明していながら、自説の撤回も謝罪もない。あるいは「正信偈」が『教行信証』に収録されていることを知らないで引用している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

31,サンスクリット文を読むように勧める進言を無視したため、「本願の解釈を誤る」という教義上致命的な誤りに気づけなかった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

32,ヘンテコドグマに矛盾しない、新たに捏造したヘンテコドグマを「親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人方のご教示」と詐称する虚偽の発言をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

33,田中氏が言っていないことを言ったかのように捏造している。更にそのことは既に論拠に基づき指摘されているにも関わらず、無視している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

34,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、親鸞聖人が時間軸上の別の時点に配置されている「この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり」と「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生まれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり」を、勝手に同時点に配置している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

35,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、「信楽すべしとすすめたまえる御ちかい」と親鸞聖人が解釈しているものを、【弥陀の正覚は「この世、信楽に生まれさせる」ことに懸けられている】と解釈している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

36,苦笑に詳細に解説してもらっているにも関わらず、「信楽」と「極楽浄土への往生」と「正定聚に入る益」の関係が未だにわかっておらず、「信楽」=「二種深信」がわかっていないので、親鸞聖人のお書きになられた『唯信鈔文意』を正確に読むことができていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

37,蓮如上人が、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」と教えられているのを無視して、自分勝手な解釈を行っている。それにも関わらず、その勝手な解釈に基づいて、親鸞聖人の言葉に基づいて語っている田中氏の解釈を批判するという暴挙を行っていることに気づいていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!


※以下は、「後出しジャンケン」で指摘されてから(ゴマカシながら)訂正したもの。

A,ヘンテコドグマの矛盾を誤魔化すために、「正覚を取らじ」を「命を捨てる」と解釈。結果、サンスクリット文、漢文、親鸞聖人の解釈、いずれとも異なる新たなヘンテコドグマを捏造しまき散らすことになっている。
→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

弥陀の「若し、生まれずは、正覚を取らぬ」
の「生まれず」は、(以下略)【第17回】

弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取らぬ」と誓われているのは、【第20回】他



B,『高僧和讃』の「衆生の志願をみてたまう」の「志願」は、「衆生が志願」するのを「阿弥陀仏がみてたまう」という意味であるのに、「弥陀の志願(望み)」と解釈している。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

次に「衆生の志願をみてたまう」とは、南無阿弥陀仏の『名号』には「すべての人を絶対の幸福・無碍の一道に生かし、出世の本懐を遂げさせたい」という弥陀の志願(望み)を凡夫(人間)の身に実現させる力があるから、(以下略)【第10回】



C,親鸞聖人が『尊号真像銘文』で「正定の業因=仏名をとなふる」「正定の因=かならず無上涅槃のさとりをひらくたね」と解釈しているのに、「正定之業」を「正定聚不退転にする働き」と親●会ドグマに基づいて勝手に解釈した。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

では次に、覚如上人の教えを聞いてみよう。

『執持抄』に覚如上人は、

「現在、私の喜んでいることは、阿弥陀仏より賜った名号によって信楽(破闇満願)の身になり、人生が光明の広海と転じ変わり、人界受生の本懐が果たされ、いつでも弥陀の浄土へ往ける身になったことである」

と、こう仰っている。

「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成辨することを喜ぶべし」【第11回】




※以下は、今回新たに加わったチ●ーリップ企画(=親●会)の間違い。次回の宿題には、これに解答することも加えられる。

38,田中氏の【チ●ーリップ企画(=親●会)の論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに真っ向から反する主張】を、【『成就文』に、真っ向から反する主張】というように虚偽の主張をしている。


崩壊させながら真実を明かにするつもりなら、
今後も全力で協力しまっせ~♪

ツッコミ【26回目】田中氏の一貫した主張

「あんちくしょう」(アンチ苦笑)をタコ殴りにしている間に、
第26回が更新されました。
 ↓↓↓
【26回目】田中氏の一貫した主張
http://shinjin.info/2008/12/101045164.html

今日は急に忙しくなったな~(笑)。


田中氏の発言の検証を続けよう。彼は、

◆平成19年12月2日のメール
私が、いつ(「若不生者」の「生」を)、「死後、極楽に生まれることだけ」と断定しましたでしょうか?

とも言われている。
論より証拠。田中氏本人のメールを示しておこう。

◆平成19年12月22日のメール
「若不生者不取正覚」に当たるのは、「浄土に生まれる」です。

◆平成19年12月26日のメール
十八願の「若不生者」の誓いによって、極楽浄土に生まれられるのです。

◆平成19年12月27日のメール
「信楽」に生まれた人を、さらに「極楽に生まれさせる」と誓われているのが、「若不生者」なのです。

◆平成20年1月8日のメール
親鸞聖人は、「若不生者」の「生」を「極楽浄土に生まれる」という解釈以外されていないのは明らかです。

もう、十分だろう。
田中氏が、「若不生者」の「生」を、「死後、極楽に生まれることだけ」と断定していることは明白である。

「若不生者」の「生」は「信楽に生まれさせる」ことであると明示された『成就文』に、真っ向から反する主張であることは、明らかであろう。



\( ̄ー ̄#)なんでやねん!


>「若不生者」の「生」は「信楽に生まれさせる」ことであると明示された『成就文』


・・苦笑・・

二回の特別補習は、全く無駄でしたか(苦笑)。
もう、何回でも醜態をさらしてもらうしかないね~(苦笑)。


====読ま(め)ないのかな?(苦笑)!====
繰り返しになるけど、
阿弥陀仏の本願の対象は「十方衆生」でっせ。
「十方衆生」が「信楽」になることを阿弥陀仏が誓い、
その誓いが成就しているなら、
「十方衆生」全てが「信楽」になって、
誰も迷いの世界に留まってないことになるんやで(苦笑)。


 参照→宿題4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。

そんでもって、親鸞聖人が、
「即得往生 住不退転」と「若不生者 不取正覚」を、
時間軸上別の時点に配置されていて、
この両者をイコールにするのが、
親鸞聖人の教えに抵触するっていうのも、
既に指摘済みでっせ(苦笑)。


 参照→宿題13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
====読ま(め)ないのかな?(苦笑)!====


あと、毎度おなじみのこの図も、
よい子のみんなには浸透してきたみたいでっせ~。

全然見えてない人もいるようだけど(苦笑)。
 ↓ ↓ ↓

                                  第十一の願の
=前念(因) 介在時間0  =後念(果)              必至滅度の願
「信受本願」【←即の時→】「即得往生、住不退転」「若不生者 不取正覚」成就
    ↓           ↓            ↓       ↓
  真実信心を得る→正定聚のくらいにさだまる→・・→極楽浄土へ往生→成 仏
    |           |           |      |
  十八願の真実の       |           |     等正覚にいたり
   信心をうれば→すなはち正定聚に住す        |     大涅槃を証する
           (この土の益)          |     (かの土の益)
      ↓       ↓              ↓      ↓ 
    【時間的に同時の「時分」】          【一念須臾のあひだ】


 ↑ ↑ ↑
これが理解できてないのは、
もうチ●ーリップ企画(=親●会)だけじゃない?(苦笑)



田中さんの主張が、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張に、
「真っ向から反する主張」なのは確かだけど、
それは、論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに、
「真っ向から反する主張」ということでっせ(苦笑)。

そんでもって、問題なのは、
論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを、
「親鸞聖人の教え」と詐称する、
チ●ーリップ企画(=親●会)でしょうがね(苦笑)。

というわけで、

38,田中氏の【チ●ーリップ企画(=親●会)の論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに真っ向から反する主張】を、【『成就文』に、真っ向から反する主張】というように虚偽の主張をしている。


以前、やめたらいいのにさんが、

「ひょっとして 確信犯で 
 チュー◎ップ企画は崩壊させながら
 真実を明らかにしようとしているのか 」

と仰っていましたが、
そういうことなら、
オイラが全面的に協力しまっせ~!!�s�[�X

祝「あんちくしょう」登場!!

このサイトにも遂に、
「あんちくしょう」(アンチ苦笑)登場!!
↓ ↓ ↓
恥知らずは人間ちゃう!!コメント覧

いや~。
この親父ギャグを言いたくて言いたくて、
首を長くして待ってたのよ~(笑)

放置プレーでもいいんだけど、今回は特別に、
タコ殴りにして あ・げ・る


一言

>あつかましいから何も感じないか?(苦笑)

おまえもなー(ちょと古いか?)

当然、このつっこみは想定内だろうね、ニガワライさん。

あ~ん?

2ちゃんねるに張り付いてるネット対策員ではないんで、
こんな2ちゃんねるなツッコミは知りませんがな~(苦笑)。←うそ(笑)


無慚無愧を痛切に告白されている、親鸞聖人の教えを仰ぐ者として、
すすんで晒されに出ているニガワライさんに、一応の敬意。

あ~ん?

この言葉は、父王を殺害したという
自らの罪の重さに苦悩する阿闍世に対し、
釈尊在世当時のインドの名医である
耆婆(ジーヴァカ)が言った言葉で、
自らの罪に苦悩する阿闍世には慚愧がある、
という文脈で書かれた言葉でっせ(苦笑)。


 そのときに大医あり、名づけて耆婆といふ。王のところに往至してまうしてまうさく、〈大王、いづくんぞ眠ることを得んや、いなや〉と。王、偈をもつて答へていはまく、{乃至}〈耆婆、われいま病重し。正法の王において悪逆害を興す。一切の良医・妙薬・呪術・善巧瞻病の治することあたはざるところなり。なにをもつてのゆゑに、わが父法王、法のごとく国を治む、実に辜咎なし。横に逆害を加す、魚の陸に処するがごとし。{乃至}
われ昔かつて智者の説きていひしことを聞きき。《身口意業、もし清浄ならずは、まさに知るべし、この人かならず地獄に堕せん》と。われまたかくのごとし。いかんぞまさに安穏に眠ることを得べきや。いまわれまた無上の大医なし、法薬を演説せんに、わが病苦を除きてんや〉と。耆婆答へていはく、〈善いかな善いかな、王罪をなすといへども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり。大王、諸仏世尊つねにこの言を説きたまはく、二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慚、二つには愧なり。慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慚愧あるがゆゑに、すなはちよく父母・師長を恭敬す。慚愧あるがゆゑに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。善きかな大王、つぶさに慚愧あり。


そんでもって、
阿闍世はこのように言われても納得できないから、
釈尊に教えを受けるですがね~(苦笑)。

親鸞聖人が「無慚無愧を痛切に告白されている」
のはその通りだけど、
それは阿弥陀仏の光明に照らされ、
自身の内面を深く見つめさせられた上での告白であって、
あつかもしくも「無慚無愧」に居直る
「畜生」な輩とは全然ちゃいますわ(苦笑)




しかしながら、未熟な信仰で法語を振り回す姿に、「子供にカミソリ」の諺を思い浮かべるのは、私だけではないだろう。
頭のよい人だろうから、論理はしっかりしてるけど、頭(=智恵)でいったら、釈迦や、弥陀には
かなわない。48願をよくよく眺めて、「若不生者」の「生」の意味を知りましょう。

仏法は、自分のわからないことを、教えて頂いて、わからないながらに受け入れて確かめてい
く道。わからないから、受け入れない、という態度では、信仰は進まない。

あ~ん?

一、聖教を拝見申すも、うかうかと拝みまうすはその詮なし。蓮如上人は、ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、心をとどむべきことなり。聖教は句面のごとくこころうべし。そのうへにて師伝口業はあるべきなり。私にして会釈することしかるべからざることなり。

(訳)
 聖教を拝読していても、注意せずにぼんやりと読んでいてはそのかいがない。蓮如上人は「もっぱら聖教を繰り返し繰り返し読みなさい」と仰せになられた。
 また百遍繰り返して読めば、その意味がおのずから理解できるということがあるから、それを心に留めておかなければならない。聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである。その上で師匠からの伝承や口伝えの解釈というものがあるのである。自分勝手な解釈をすることは決してしてはならないのである。


蓮如上人の言葉を無視してもらっちゃ困りますな~(苦笑)。

私達凡夫はどこまで言っても「聖意難則」だから、
言葉に言い表せない阿弥陀仏の本願をギリギリの言葉を用いて言語化した、
釈尊・七高祖・親鸞聖人・覚如上人・蓮如上人といった、
善知識方の教えに基づいて、阿弥陀仏の本願を解釈せなあきまへん。

それなのに、それらを完全に無視した勝手な解釈をしておいて、
何が「仏法」だと言うんでしょうかね(苦笑)。

ヘンテコドグマを、
「教えて頂いて」「わからないながらに受け入れて」
「進む」「信仰」は、
ヘンテコドグマに基づくヘンテコ信仰ですがな(苦笑)。


「子供」と見下す人の「カミソリ」に斬りつけされても、
全く反論できないヘンテコ信仰の教祖に、
三十七項目の宿題にちゃっちゃと解答するよう、
あんさんから伝えておいておくれやす(苦笑)。


〇森さんも、上〇さんも、〇生さんも、嶋〇さんも、わかるところまでで止まったままなのだね。
到底わかるはずのないこの世の宝を、受け取ってくれよと立ち尽くめの弥陀の願心。わからないから、受け入れない、とはあまりに勿体無い、ね。

あ~ん?

=====清森問答 親鸞会教義の相対化・30=====
>合点だけで喜んでいる学者さんには、到底分らない苦しみです。
>頭の理解だけで腹底が、ちっとも見えていない人には、いくら言っておわからない苦しみです。
>信仰が、学者さんより進んでいればこその悩みとお見受けします。

「学者さん」がどなたを指すのかはわかりませんが、貴方は自分と同じ思考回路を持っているかどうかで、「学者さん」の信心が貴方やkkhate(=kkk)さんより「進んでいない」と断定するのでしょうか?

ちなみに法然上人は、

人の心は外に現るる事なければその邪正定難しといえども、『経』には三心を具して往生すと見へてそうろうめり。
この心を具せざるが故に念仏すれども往生を得ざるなり。
(中略)
この心の発りたる事は我が身に知るべし。人は知るべからず。
『十二箇条の問答』の第六問答、浄土宗聖典4巻p.444

と仰っておられます。


往生のために必要な信心は三心ですが、人の心は外に現れるものではなく、この三心が具わっているかどうかは、本人だけがわかることであって第三者にはわからない。

というのが、法然上人の教えられるところであります。

 貴方が、思考停止の有無や、思考停止に至らないことを嘆くかどうかを基準に、「学者さん」の信心が貴方やkkhate(=kkk)さんより「進んでいない」と断定するのは勝手ですが、それは、法然上人の言葉に反することになりますね。


ちなみに私は、

●本人がプラサーダ(浄らかな信)を伴った心を起こしたかどうか?
=本人が三心を具足したことを自覚したかどうか?

によってしか、信心を判定することはできないと思っています。

 一方「思考停止しているかどうか?」は、その人の言動から、ある程度推測することが可能なのではないかと思います。


===================================
※参考 思考停止とは(はてなダイアリー)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%D7%B9%CD%C4%E4%BB%DF

【意味】
 考えるのをやめること。あるいは、あることに対する判断を放棄して、既成の判断を無批判に受け入れること。

「短絡的な反応」「脊髄反射」「固定観念に基づく判断の枠組みを超えていない」「状況の変化にもかかわらず、以前の方針をそのまま当てはめる」状態を指し、議論において極めて批判的に用いられる。

【使われる場面】
 基本的に、きちんと論証する手間を省いて「自分は正しく、相手は間違っている」ということを簡潔に訴えるために使われる手抜きのための用語。「相手の異論は絶対、間違いであるのに対して、自分は絶対、正論である。つまり自分や相手が、一般常識と世間から見て論理的で無く矛盾した発言をしているのに、ただ感情的に正論と、物事をきちんと判断できない人達を指す時に使用する」
 簡単に言えば「ダメ。ゼッタイ」「絶対、儲かる」「絶対、崇拝しろ」と主張したい人が使う。

 また、左翼・右翼・保守・革新・革命・ネットワークビジネス・法令順守などの立場からの発言ばかりだ、とレッテルを貼って反対意見を馬鹿にするためにも駆使される。

 この言葉を使うこと自体、往々にして、相手の発言を読み取らずに「反~何とか」というレッテルを貼るだけに終わってしまう。すなわち「思考停止」という絶対主義の論理である。
=====清森問答 親鸞会教義の相対化・30=====

阿弥陀仏と本人にしかわからない信心を、
思考停止の有無で判定するのは、
親鸞聖人の師匠である法然上人の教えに抵触するけど、
その教えは誰の教えやねん?(苦笑)

親●会内にしか通容しないドグマを、
親●会外部の人に勝手に適応せんといてや(苦笑)。




記念すべき初「あんちくしょう」だったけど、
脊髄反射な書き込みじゃ、
ボコボコのタコ殴の刑やね(苦笑)。

宿題チェ~ック!!【第25回】田中氏の『唯信鈔文意』の誤解

今回も、ひどいものでしたね~(苦笑)。

ツッコミ【第25回】田中氏の『唯信鈔文意』の誤解

1,「信楽にさせる」「名号を与える」ことを誓った、本願文の根拠を出さ(せ)ないにも関わらず、そのことを前提に議論を進めている。しかも関係ないことをぐちゃぐちゃ書くことによってそのことを誤魔化そうとしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

2,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」は違うものであるのに、そのことを理解できてないまま議論を進めている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

3,名号と光明が合わさってはじめて信心がえられるのに、名号だけでOKみたいに印象操作している。しかも、ドグマに併せて覚如上人の『執持抄』の超重要な箇所を、ヘンテコな形で切り取って引用し資料を捏造している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。
※更にまた間違える!
→ ××× またまた同じ間違え~!超残念!

5,親●会ドグマと矛盾しないように、『唯信鈔文意』に説かれる「仏道のスタート」「方便の至誠心」を「信後の世界」に勝手に改変しドグマ化している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

6,信楽と本願の関係がわかってないから、法の深信が正確に解釈できておらず、将来間違いなく極楽浄土に往生する身になれず、現在「正定聚に入る益」もない。そのため「信楽の身」を自称しながら「死ぬ前には後生未来のことがわからない」信心になっている。これは「メンタルテスト」と言い訳しても誤魔化せない致命的な誤りである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

7,サンスクリット文や漢訳原文を読ま(め)ないで、親鸞聖人の読み方を採用した「書き下し」に基づいて論を展開したために、『無量寿経』の願成就文から言えないことを言えるかのように誤って語ってしまっている。さらに、既にその誤りは指摘されているのにも関わらず、同じ誤りを繰り返している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

8,「阿弥陀仏が名号を与える」ことと「衆生が名号を受け取る」ことの関係の説明が曖昧である。そのために「真剣な聞法を勧めている」親●会の優れた特色まで曖昧になってしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

9,「のちに、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空」と間違った内容を伝えるアニメを製作し、間違いを指摘されても改めず、更にネット上で世界中に間違った内容を発信している。しかもこれは「単純ミス」で済まされるようなものではなく、法然上人の思想的意義が全く理解できていない上に、法然上人のご苦労や親鸞聖人の思いを無にするような、許し難き暴挙である。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

10,そもそも「若不生者」の「生」を「信楽に生まれる」ことと解釈するのは、親鸞聖人の『尊号真像銘文』と明らかに異なるチ●ーリップ企画(=親●会)独自のドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

11,本願成就文の「即得往生、住不退転」に関して、親鸞聖人ともサンスクリット文とも異なった解釈を行っている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

12,そもそも不体失往生の根拠として、「即得往生住不退転」ではなく「若不生者不取正覚」の八字を使ったのがチ●ーリップ企画の誤り。それを誤魔化そうとしたため、更に大きな間違いがあることが明らかになった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
※更にまた間違える!

→ ××× またまた同じ間違え~!超残念!


14,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というヘンテコドグマを主張するチ●ーリップ企画(=親●会)は、同時に「死後の往生」を否定するという、新たなドグマをも主張している
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

15,ヘンテコドグマを主張し続けているために、「真実信心」を得ることと「極楽浄土への往生」の区別がつかなくなっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

16,「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」という論拠に基づか(け)ないヘンテコドグマに基づきヘンテコ解説を行い、ヘンテコ解説に基づいて、【「若不生者不取正覚」の「生」は「死んで極楽に生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことである】というヘンテコドグマを立証している。これは循環論法であり、論証責任を果たしたことにはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

17,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『執持抄』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「娑婆のおわり臨終」とされた時点が「往生が定まる」時点であり、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

18,根拠に基づか(け)ないヘンテコドグマを前提にし、しかも『改邪鈔』を途中で切断して解説を行っているために、覚如上人が「自力をすてて他力に帰する」と仰った「時分」が、「若不生者 不取正覚」とは時間軸上の別の時点に配置されることが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

19,「本願」が「現在では既に実現している誓願」を意味していることがわかってないため、未だに実現していない内容を「本願」の中身にしている。このような解釈は善導大師・法然上人・親鸞聖人と継承されている「本願」の解釈に著しく抵触している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

20,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「真実信心の人はありがたき」という親鸞聖人の言葉と完全に矛盾している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

21,阿弥陀仏の本願が「若し、信楽に生まれずは正覚を取らぬ」であるとするチ●ーリップ企画(=親●会)のドグマは、「信心をとる人が稀だから極楽に往生できる人が少ない」「衆生に疑情があるために輪廻してしまう」という善知識の教えに抵触している。しかもそのことをチ●ーリップ企画(=親●会)が自分で論証してしまっている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

22,古典文法&親鸞聖人の教えがわかっていないから、親鸞聖人の和讚をまともに解釈することができない。しかも文法上の誤りを指摘されても「間違った文法も、へちまも、あるはずないではないか」と居直り、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」という蓮如上人の教えに反している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

23,「生るべからざるものを生れさせたれば」を現益に解釈しても当益に解釈しても、「若不生者」を「信楽に生まれさせる」と解釈する根拠とはならない。しかし「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、そのことが理解できていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

24,「信楽の者→正定聚」と「信楽=正定聚」が違うものであることがわかっていないため、「信楽に生まれる」ことを阿弥陀仏が誓ってたら「生まるべからざるもの」ならないという当然の論理的思考ができてない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

25,チ●ーリップ企画(=親●会)のドグマに抵触しないように、『御文章』の文章を恣意的な形に省略して加工している。そのため「ただ一念に弥陀をたのむ衆生」になるために、善知識が「弥陀の本願信ずべし」と教えられている部分も省略されている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

26,苦笑に詳細な解説をしてもらったにも関わらず、未だに「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を正確に理解していないため、田中氏が指摘する問題点の重大さが未だにわかっていない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

27,「浄土真宗・親鸞聖人の教えは現当二益の法門であることは明々白々」ことを解説することによって、「信楽」「現益」「当益」が意味している概念を理解していないチ●ーリップ企画(親●会)ドグマの誤りを自ら証明している。ただし「正定聚不退転の身(信楽)」という記述は、論拠に基づか(け)ないドグマである。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

28,「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願、成就すればなり」という「正信偈」の言葉を、「この世で等覚(正定聚)の身に成っている人が、必ず浄土へ往って仏覚が得られるのは、弥陀の十一願が成就しているからである」と訳し、勝手に「極楽浄土に往生するのが、十一願が成就しているから」という新しいドグマを捏造している。しかもこのドグマを根拠に自説の正しさを証明しようとしている。もちろん勝手に捏造したドグマは根拠にはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

29,「往生」と「成仏」の間に時間を介在しないとしても、両者は全く別の概念である。したがって、【十一願の「必至滅度の願」が成就しているから極楽浄土に往生した人が間違いなく成仏できる】ということが、チ●ーリップ企画(=親●会)の主張が正しいことの根拠とはならない。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

30,「等覚を成り大涅槃を証する」と、明らかに「死後のこと」が書かれている『教行信証』の一文を引用し、【『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても】という以前の自説が誤りであることを自ら証明していながら、自説の撤回も謝罪もない。あるいは「正信偈」が『教行信証』に収録されていることを知らないで引用している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

31,サンスクリット文を読むように勧める進言を無視したため、「本願の解釈を誤る」という教義上致命的な誤りに気づけなかった。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

32,ヘンテコドグマに矛盾しない、新たに捏造したヘンテコドグマを「親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人方のご教示」と詐称する虚偽の発言をしている。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

33,田中氏が言っていないことを言ったかのように捏造している。更にそのことは既に論拠に基づき指摘されているにも関わらず、無視している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

34,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、親鸞聖人が時間軸上の別の時点に配置されている「この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり」と「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生まれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり」を、勝手に同時点に配置している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!

35,『尊号真像銘文』の文を意図的に省略して解釈しているため、「信楽すべしとすすめたまえる御ちかい」と親鸞聖人が解釈しているものを、【弥陀の正覚は「この世、信楽に生まれさせる」ことに懸けられている】と解釈している。
→ × 訂正も言い訳も反論もなし!残念!


※以下は、「後出しジャンケン」で指摘されてから(ゴマカシながら)訂正したもの。

A,ヘンテコドグマの矛盾を誤魔化すために、「正覚を取らじ」を「命を捨てる」と解釈。結果、サンスクリット文、漢文、親鸞聖人の解釈、いずれとも異なる新たなヘンテコドグマを捏造しまき散らすことになっている。
→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

弥陀の「若し、生まれずは、正覚を取らぬ」
の「生まれず」は、(以下略)【第17回】

弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取らぬ」と誓われているのは、【第20回】他



B,『高僧和讃』の「衆生の志願をみてたまう」の「志願」は、「衆生が志願」するのを「阿弥陀仏がみてたまう」という意味であるのに、「弥陀の志願(望み)」と解釈している。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

次に「衆生の志願をみてたまう」とは、南無阿弥陀仏の『名号』には「すべての人を絶対の幸福・無碍の一道に生かし、出世の本懐を遂げさせたい」という弥陀の志願(望み)を凡夫(人間)の身に実現させる力があるから、(以下略)【第10回】



C,親鸞聖人が『尊号真像銘文』で「正定の業因=仏名をとなふる」「正定の因=かならず無上涅槃のさとりをひらくたね」と解釈しているのに、「正定之業」を「正定聚不退転にする働き」と親●会ドグマに基づいて勝手に解釈した。

→さりげなく訂正!でも謝罪なし!(苦笑)

では次に、覚如上人の教えを聞いてみよう。

『執持抄』に覚如上人は、

「現在、私の喜んでいることは、阿弥陀仏より賜った名号によって信楽(破闇満願)の身になり、人生が光明の広海と転じ変わり、人界受生の本懐が果たされ、いつでも弥陀の浄土へ往ける身になったことである」

と、こう仰っている。

「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成辨することを喜ぶべし」【第11回】




※以下は、今回新たに加わったチ●ーリップ企画(=親●会)の間違い。次回の宿題には、これに解答することも加えられる。

36,苦笑に詳細に解説してもらっているにも関わらず、「信楽」と「極楽浄土への往生」と「正定聚に入る益」の関係が未だにわかっておらず、「信楽」=「二種深信」がわかっていないので、親鸞聖人のお書きになられた『唯信鈔文意』を正確に読むことができていない。

37,蓮如上人が、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」と教えられているのを無視して、自分勝手な解釈を行っている。それにも関わらず、その勝手な解釈に基づいて、親鸞聖人の言葉に基づいて語っている田中氏の解釈を批判するという暴挙を行っていることに気づいていない。


まあ、いつもよ~笑わせてくれますわ~♪
苦笑だけど(苦笑)。



ツッコミ【第25回】田中氏の『唯信鈔文意』の誤解

第25回が更新されました。
 ↓↓↓
【第25回】田中氏の『唯信鈔文意』の誤解
http://shinjin.info/2008/12/041050163.html

先月は六日に一度のペースだったけど、今月は四日に一度なのかな~??
まあ、ボコボコにツッコミ入れられるのは一緒なんだけどね(笑)。


田中氏は、「若不生者」の「生」は「死んで極楽に生まれることだけ」という自説の根拠として、『唯信鈔文意』のご文も提示されている。

◆平成19年10月20日のメール
また、唯信鈔文意には、
『「来迎」というは、「来」は浄土へきたらしむという。これすなわち若不生者のちかいをあらわす御のりなり。穢土をすてて、真実報土へきたらしむとなり』
と記述されています。
これも同様に、親鸞聖人は、若不生者を真実報土に生まれることと解釈されています。

ここも、田中氏の『成就文』の無知から来る誤解である。

\( ̄ー ̄#)なんでやねん!

だから~。

同じ『唯信鈔文意』に聖人は、『「真実信心をうれば実報土に生る」と教えたまえるを浄土真宗とすと知るべし』と説示され、「今、信楽に生まれている人だけが、死んで報土へ生まれられるというのが、浄土真宗の教えだ」と明言されている。

 ↑
これを根拠に、
どうして、こういう解釈になるのよ(苦笑)。
 ↓

誰でも死ねば極楽に生まれるのではない。信楽に生まれた人だけが、報土往生できるのだから、弥陀が「若不生者」と命を懸けられたのは、信楽に生まれさせる「不体失往生」であることは当然だろう。
だから「若不生者のちかい」の真意を明かされた『成就文』には、死後のことは一切説かれず、「即得往生」と現在の往生だけが教えられているのだ。
田中氏が言われるように、「若不生者」は「死後、浄土に生まれることだけ」とは、『成就文』のどこにも説かれていない。
田中氏が提示した『唯信鈔文意』のご文も、「若不生者のちかい」によって信楽に生まれた人だけが、「穢土をすてて、真実報土へ」生まれられることを教示されたものである。



前回、落第生のために特別補修をしてあげたのに、
まだわかってなかったんかいな?(苦笑)



====今度はちゃんと読めよな(苦笑)!====
繰り返しになるけど、
阿弥陀仏の本願の対象は「十方衆生」でっせ。
「十方衆生」が「信楽」になることを阿弥陀仏が誓い、
その誓いが成就しているなら、
「十方衆生」全てが「信楽」になって、
誰も迷いの世界に留まってないことになるんやで(苦笑)。


 参照→宿題4,衆生が「聞きて疑心あることなし」になれなかったら、「本願力回向の信心」を獲得することができないから、極楽浄土に往生することは確定しないことが『教行信証』で明らかにされている。それにも関わらず、「聞きて疑心あることなし」になって「本願力回向の信心」を獲得することまで阿弥陀仏が本願文で誓ったことにして、全ての人が無条件で極楽浄土に往生することが確定してしまっているために、見事な「十劫安心」に陥っている。

そんでもって、親鸞聖人が、
「即得往生 住不退転」と「若不生者 不取正覚」を、
時間軸上別の時点に配置されていて、
この両者をイコールにするのが、
親鸞聖人の教えに抵触するっていうのも、
既に指摘済みでっせ(苦笑)。


 参照→宿題13,相変わらず「即得往生、住不退転」=「若不生者 不取正覚」というドグマをまき散らしているが、この二つは、時間軸上別の時点に配置されるものであり、それをイコールにするヘンテコドグマは、親鸞聖人の教えと著しく異なっている。
====今度はちゃんと読めよな(苦笑)!====


古典文法の知識が全くなくまともに文献が読めず、
浄土真宗の教義も、全く理解できてないのは仕方ないことだし、
これから勉強して理解したらいいことなんだけど、
人に教えてもらったことは、毎回ちゃんと学習しないと、
いつまでたっても、落第生のまま進級でけへんで~(苦笑)。



というか、
「信楽」と「極楽浄土への往生」と「正定聚に入る益」の関係が、
まだわかってへんかったんやなあ(苦笑)。

これも前に『教行信証』に基づいて、教えてあげてるんだから、
同じ所で間違えないでほしいもんやね~(苦笑)。


====これは三回目やで~!=====
●二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。『観経疏』散善義

これは、阿弥陀仏の四十八願が衆生を摂め取って救うと、
疑いなくためらうことなく、阿弥陀仏の願力に乗じたならば、
間違いなく極楽浄土に往生する、
と深く信じるということでっせ。

そんでもって、これは前に教えてあげたことだけど、

●必得往生といふは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。
『経』(大経)には「即得」といへり、釈(易行品)には「必定」といへり。「即」の言は願力を聞くによりて報土の真因決定する時剋の極促を光闡するなり。「必」の言は[審なり、然なり、分極なり、]金剛心成就の貌なり。『教行信証』行巻

●しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。「一念」といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。
金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲。なにものか十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。『教行信証』信巻


「仏願の生起本末」、つまり阿弥陀仏が
衆生救済の願を起こされた由来と、
その願が成就して現に衆生を救済しているということを、
「聞きて疑心あることなし」になったら、
「本願力回向の信心」を獲得するから、
極楽浄土に往生することが確定(報土の真因決定)
するんでしょうがね。

そんでもって、将来間違いなく極楽浄土に往生できるから、
現在この身に「正定聚に入る益」があるんだよ。

そういうわけで、信楽=二種深信を獲得した人は、
極楽浄土への往生が「ハッキリ」するのよ。

====これは三回目やで~!=====

今までちゃんと勉強してこなかったのは、
仕方ないことだから許してあげるけど、
教えてもらってるのに、
同じ間違いを繰り替すのは、
ちょっとアキマヘンで~(苦笑)。


というわけで、

36,苦笑に詳細に解説してもらっているにも関わらず、「信楽」と「極楽浄土への往生」と「正定聚に入る益」の関係が未だにわかっておらず、「信楽」=「二種深信」がわかっていないので、親鸞聖人のお書きになられた『唯信鈔文意』を正確に読むことができていない。


一実円満の真教『成就文』によらずして、聖人のお言葉を正しく読むことはできないことがわかる。

あ~ん?(苦笑)

====エエ加減にせえや!!====
親鸞会教義の相対化・73より
一、聖教を拝見申すも、うかうかと拝みまうすはその詮なし。蓮如上人は、ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、心をとどむべきことなり。聖教は句面のごとくこころうべし。そのうへにて師伝口業はあるべきなり。私にして会釈することしかるべからざることなり。

(訳)
 聖教を拝読していても、注意せずにぼんやりと読んでいてはそのかいがない。蓮如上人は「もっぱら聖教を繰り返し繰り返し読みなさい」と仰せになられた。
 また百遍繰り返して読めば、その意味がおのずから理解できるということがあるから、それを心に留めておかなければならない。聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである。その上で師匠からの伝承や口伝えの解釈というものがあるのである。自分勝手な解釈をすることは決してしてはならないのである。
====エエ加減にせえや!!====

蓮如上人が、
「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」
「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」
と教えてくださっているのを完全に無視しているくせに、
どうして、こんなことが言えんでしょうかね~(苦笑)。

あつかましいのにも、限度っちゅうもんがありまっせ(苦笑)。


というわけで、

37,蓮如上人が、「聖教は、文字に書かれている文面の通りに理解するべきである」「自分勝手な解釈をすることは決してしてはならない」と教えられているのを無視して、自分勝手な解釈を行っている。それにも関わらず、その勝手な解釈に基づいて、親鸞聖人の言葉に基づいて語っている田中氏の解釈を批判するという暴挙を行っていることに気づいていない。


最後に一点忠告しておいてあげるけど、

「何回もヘンテコドグマを提示して、
相手があきれて無視した時に勝利宣言!」
というお得意の作戦を考えているなら、

何度でも繰り返し間違いを指摘し、
チ●ーリップ企画(=親●会)を徹底的に晒し者にして、
関係者の皆様に笑ってもらうことに決めたので、



全く無駄ですよ~(苦笑)。
というか、むしろ逆効果でっせ~(苦笑)。
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苦笑(本物)

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「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

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賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

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