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最後通告でっせ!!

22-2 学生さん → 児玉学友部長 より
若不生者の「生」は、なぜ「信楽に生まれる」なのか

児玉学友部長様


しばらくお返事いただいておりませんが、新勧も始まりお忙しいことと思います。
高森先生が、以下のように仰っていたことが分かりました。



 最後に「お互い書面では一方通行になると思いますから、今後は面接の上、口頭でお問い願います」と仰有っていられますが、貴殿の御意の理解に苦しみます。
 言葉で話せることが文章に出来ない道理がないからです。言葉で話したことは「言うた」「言わない」という水かけ論になったり、「そんな風に言った覚えはありません」などと逃口上を作るのには重宝ですが、文書だとそのような無責任なことは許されないばかりでなく、何時何時までも、多くの人々に真実を知って頂ける勝縁になりますから、仏意を開顕する為には文書交換が最良の方法だと考えます。逃げることだけに懸命な人を相手に諍論する時などは、特に大切なことだと思いますが如何なものでありましょうか。
 故に、「返事をこれで打ち切らせて頂きます」などと仰有らずに貴殿と私との見解に相異があればある程、仏の正意を開闡する為にお互い微力を捧げようではありせんか。貴殿の奮起を期待して止みません。
 御自愛を念じ上げます。
合掌

昭和四十七年二月九日
高森顕徹
J・A殿

(法戦�、p123~p124)



この文章を読みますと、なぜ児玉先生が文章での返答を拒否されるのか、分からなくなりました。
僕の書いたことが間違っているのであれば、親鸞学徒として、破邪顕正されるのが使命なのではないでしょうか?

もし、親鸞聖人の御教えを明らかにしようとする気がない、と仰るのであれば、それはそれで結構です。
それならば、親鸞会に在籍する意味もありません。退会させていただきます。

あと2週間以内に、この前の質問に対して回答をいただけない場合は、そのように判断させていただきます。




児●さん!最後通告でっせ!!
これでもトンズラするなら、
永代晒し者確定ですな(苦笑)。
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高●先生の言う通りだ!メールのやり取り続けろよ!!

清森問答 質疑応答168 より

【質問】


 すでにご存知かとは思いますが、学生さんが、児玉氏を相手に法論をしているようです。


若不生者の「生」は、なぜ「信楽に生まれる」なのか
http://nyakufushouja.blog115.fc2.com/


 この中で、児玉氏は、

>仏法の質問に答えるのには

>信心沙汰といって

>蓮如上人も直接ひざをつきあわせて

>面とむかって話しをなされました。


このように言って、メールでの返答を拒否しているようですが、このような児玉氏の態度について、清森先生は、どのように思われますでしょうか?



【回答】


 この点につきましては、高森先生が、以下のように書かれています。


(以下、引用)

 最後に「お互い書面では一方通行になると思いますから、今後は面接の上、口頭でお問い願います」と仰有っていられますが、貴殿の御意の理解に苦しみます。
 言葉で話せることが文章に出来ない道理がないからです。言葉で話したことは「言うた」「言わない」という水かけ論になったり、「そんな風に言った覚えはありません」などと逃口上を作るのには重宝ですが、文書だとそのような無責任なことは許されないばかりでなく、何時何時までも、多くの人々に真実を知って頂ける勝縁になりますから、仏意を開顕する為には文書交換が最良の方法だと考えます。逃げることだけに懸命な人を相手に諍論する時などは、特に大切なことだと思いますが如何なものでありましょうか。
 故に、「返事をこれで打ち切らせて頂きます」などと仰有らずに貴殿と私との見解に相異があればある程、仏の正意を開闡する為にお互い微力を捧げようではありせんか。貴殿の奮起を期待して止みません。
 御自愛を念じ上げます。
合掌

昭和四十七年二月九日
高森顕徹
J・A殿

(法戦�、p123~p124)


 この高森先生の教えを基準に考えるならば、児玉さんは、「逃げることだけに懸命な人」ということになるでしょう。
 上記のサイトは、私も読ませて頂きましたが、肝心な質問には一切答えず、返答をはぐらかしてばかりという印象を受けました。

 児玉さん自らが、ブログを作って仏意を開顕しなければならないのに、それもせず、学生がせっかくお膳立てをしてくれたのに、そこからも逃げ出す。
 正直なところ、児玉さんに失望しました。非常に残念です。



高●先生の言う通りだ!
メールのやり取り続けろよ!!

横超(=弥陀の本願)=願成就(=願成就文)??

援護射撃シリーズ第1弾は、やっぱこれだよね~。

まずは、児●さんが親●聖人より大切にしている、
チ●ーリップ企画様の解説~!
 ↓

親鸞聖人は、「本願」と「成就文」の関係を、「横超とは即ち願成就」(教行信証信巻)と言われている。「弥陀の『本願文』三十六字は、イコール釈迦の『成就文』四十字の教えである」と断言されているお言葉である。
「成就文」は「本願文」総ての解説であるからこそ、「即ち(イコール)」と言われ、「一実円満の真教」と讃嘆され、「真宗是れなり」〝浄土真宗は『成就文』の教え以外にない〟と明言されているのである。



つまり、

 ★横超(=弥陀の本願)=願成就(=願成就文)

というになりますね。はい。

でも、こ~んなヘンテコドグマを主張してるのって、親●会だけじゃない?(苦笑)

少なくとも親鸞聖人の『教行信証』からこんな解釈ができないことは、
既に僕もツッコミ済みですわ。
 ↓ ↓ ↓
~~ツッコミ!【第27回】田中氏の「往生」の誤解~~
●横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。『教行信証』信巻

ここに書かれている内容を簡単にまとめると、

【聖道門】【方便】「竪出」・・大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教
     【真実】「竪超」・・大乗真実の教
【浄土門】【方便】「横出」・・三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善
     【真実】「横超」・・願成就一実円満の真教、真宗

ということで、

【聖道門】【方便】である「竪出」、【聖道門】【真実】である「竪超」、
【浄土門】の中でも【方便】である「横出」、これらに対して、

【浄土門】【真実】である「横超」の教は、
阿弥陀仏の本願が成就してシステムが完成しているから、
そのシステムに乗じたら全ての衆生が救済されるということで、
「一実円満の真教」と言われていて、
それこそが「真宗これなり」ということを言ってるんでっせ~。


それをチ●ーリップ企画(=親●会)が解釈すると・・
 ↓ ↓ ↓
>「弥陀の『本願文』三十六字は、イコール釈迦の『成就文』四十字の教えである」と断言されているお言葉である。

・・苦笑・・

こりゃ『教行信証』を読んでないか、
読者を舐めてるかどっちかやね(苦笑)。

自分のドグマの都合に合わせて、
『教行信証』を変な所でカットして、
親鸞聖人が言っていない新しいドグマを作るの、
もうやめにしてくれまへんかね~?(苦笑)

田中さんの主張を捏造するにもヒドイけど、
親鸞聖人の言葉を捏造するのは、
ちょっとアカンでしょ?(苦笑)
~~ツッコミ!【第27回】田中氏の「往生」の誤解~~


そんでもって、チ●ーリップ企画ドグマどっぷりの児●さんも、
全く同じヘンテコドグマを主張して、学生さんにボコボコにされてます(苦笑)。
↓ ↓ ↓

若不生者の「生」は、なぜ「信楽に生まれる」なのか 18-2

児玉先生は、
「本願文36文字全体の解説が成就文である」という根拠に、

『横超とはすなわち願成就一実円満の真教真宗これなり』
のお言葉を出されました。

このお言葉について、児玉先生は、

1、横超=弥陀の本願
2、横超=本願成就文

この2つを主張されました。


まず1つ目の、「横超=弥陀の本願」については、

『二には横超、選択本願・真実報土・即得往生也。』
を根拠として出されました。

僕は、この文章だけでは、親鸞聖人が何を仰ろうとされたのか、断定することは出来ないと思ってます。

「横超」という単語の後に、「選択本願」「真実報土」「即得往生」の3つが並べられていますが、これらが「横超」とどのような関係にあるのか、これだけではハッキリしません。

ところが、児玉先生は「横超」の後に、「とは」という助詞を勝手に追加され、さらに「選択本願」の後に「なり」という助動詞も追加されました。

そして、「真実報土・即得往生」の二語を勝手に削除され、「横超とは選択本願なり」という、新しい言葉を作成されました。


ところが、児玉先生に習って、僕が「横超とは真実報土なり」「横超とは即得往生なり」という言葉を作ったところ、

> ★君は親鸞聖人のお言葉を自分の都合のよいように
>
> 勝ってに、書き換えてしまっています。

このように注意されます。
これは自己矛盾ではないでしょうか?


さらに、「横超=選択本願」だと仰るなら、当然「横超=真実報土」「横超=即得往生」も成り立つはずなのに、それを認めようとされないのは何故でしょうか?

これが成り立つなら「選択本願」=「真実報土」=「即得往生」となり、意味不明です。
だから、最初から「横超=選択本願」の解釈が間違いだと考えるのが自然なのです。

しかし、こんな議論を続けても話が進まないので、とりあえず「児玉先生を信じることにしますが」と書いただけで、到底納得できる話ではありません。


次に2つ目の、「横超=本願成就文」について、

「横超」の意味については、教行信証等を拝読すると、いくつかの意味があるように思いました。
しかし、一番スッキリとした解釈は、以下のものだと思います。

【唯信鈔文意】
この一心は横超の信心なり。
「横」は、よこさまという。
「超」はこえてという。
よろずの法にすぐれて、速にとく生死の大海をこえて、無上覚にいたる故に、「超」と申すなり。
これ即ち如来大悲の誓願力なるが故なり。

【尊号真像銘文】
「横超」というは、「横」は如来の願力・他力を申すなり、「超」は生死の大海を易くこえて無上大涅槃のみやこに入るなり。

【教行信証信巻】
大願清浄の報土には、品位階次を云わず、一念須臾の傾、速やかに疾く無上正真道を超証す、故に「横超」と曰うなり。


つまり、

横=阿弥陀仏の本願力によって、
超=仏のさとりを開くこと

ですから、
横超=「阿弥陀仏の本願力によって、仏のさとりを開くこと」になります。


もちろん、

阿弥陀仏の本願=「必ず仏にしてみせるという誓い」=横超

という意味で、本願=横超だ、と言われるなら理解できますが、どこにも「信楽にしてみせる」という意味は出てきません。


特に今回、問題になっているのは次の御文です。

【教行信証信巻】
「横超」とは、即ち願成就一実円満之真教・真宗是れなり。亦復「横出」有り、即ち三輩・九品・定散之教、化土・懈慢、迂廻之善なり。大願清浄の報土には、品位階次を云わず、一念須臾の傾、速やかに疾く無上正真道を超証す、故に「横超」と曰うなり。

「横超」に他の意味もあるかも知れませんが、ここで親鸞聖人が「横超」と仰っているのは、「本願力によって、仏のさとりを開くこと」という意味であることは明白だと思います。

この横超(本願力によって、仏のさとりを開くこと)が、本願成就文とイコールだとすると、「本願成就文には、死後のことは一切説かれていない」と親鸞会で教わってきたことが、間違いだということになります。



ははは(笑)。
児●さんのボケと学生さんのツッコミのおかげで、
チ●ーリップ企画(=親●会)宿題がまた増えましたな(笑)。
 ↓↓↓

73,『教行信証』信巻において親鸞聖人が「横超」と仰っているのは、「本願力によって、仏のさとりを開くこと」という意味であり、「信楽にしてみせる」という意味がないことは明白である。

74,さらに「横超」(本願力によって、仏のさとりを開くこと)が、本願成就文とイコールだとすると、「本願成就文には、死後のことは一切説かれていない」という親●会ドグマが間違いということになってしまう。

75,したがって、【横超(=弥陀の本願)=願成就(=願成就文)】という主張は、親鸞聖人の教えとは全く関係のない、チ●ーリップ企画(=親●会)に限定されたヘンテコドグマである。


さてさて。こんだけボコボコにされても、
親●会関係者のみなさまは、

★横超(=弥陀の本願)=願成就(=願成就文)
 ↑
この残念なヘンテコドグマを、
これからも主張し続けるんですか?(苦笑)
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

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