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【コメントに反論6】「欲にまみれた金」という気持ちでの布施は「三輪清浄」になりません(苦笑)。

【コメントに反論5】「マネーロンダリング(資金洗浄)」と「三輪清浄」は違います(苦笑)。コメント覧より

あほくさ

欲にまみれた金ってこと!
2009-06-19 : 帝王 URL : edit

 ↑
「欲にまみれた金」という気持ちでの布施は
「三輪清浄」になりません(苦笑)。


★三輪清浄
→与えられる物(施物)が「とらわれのないもの(無所得=空)」である。

●『大乘本生心地觀經』「三輪清浄偈」(T. vol.3 p296b)
 能施所施及施物  能施と所施及び施物は
 於三世中無所得  三世の中において無所得なり
 我等安住最勝心  我等、最勝心に安住して
 供養一切十方佛  一切の十方の仏を供養したてまつる

(訳)
 与える者(能施)・与えられる者(所施)・与えられる物(施物)は、
 過去・現在・未来の三世を通して、
 とらわれのないもの(無所得=空)である。
 私達は、このような最も優れた心に達しながら、
 ありとあらゆる十方の諸仏を供養したてまつる。


★欲にまみれた金
→与えられる物(施物)が「欲にまみれている」
→「とらわれのないもの(無所得=空)」でない。

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【コメントに反論5】「マネーロンダリング(資金洗浄)」と「三輪清浄」は違います(苦笑)。

どんだけ金集めするんだよ(苦笑)。 コメント覧より

お金の洗濯に

財施させていただくとするか
2009-06-18 : 帝王 URL : edit

 ↑
「マネーロンダリング(資金洗浄)」と
「三輪清浄」は違います(苦笑)。


★三輪清浄
→与える者(能施)・与えられる者(所施)・与えられる物(施物)が
「とらわれのないもの(無所得=空)」である。

●『大乘本生心地觀經』「三輪清浄偈」(T. vol.3 p296b)
 能施所施及施物  能施と所施及び施物は
 於三世中無所得  三世の中において無所得なり
 我等安住最勝心  我等、最勝心に安住して
 供養一切十方佛  一切の十方の仏を供養したてまつる

(訳)
 与える者(能施)・与えられる者(所施)・与えられる物(施物)は、
 過去・現在・未来の三世を通して、
 とらわれのないもの(無所得=空)である。
 私達は、このような最も優れた心に達しながら、
 ありとあらゆる十方の諸仏を供養したてまつる。


★マネーロンダリング(資金洗浄)
→与える者(能施)・与えられる者(所施)・与えられる物(施物)が
 犯罪に関わっている。

~ウィキペディア(Wikipedia)より~
資金洗浄(しきんせんじょう)とは、犯罪によって得られた収益金の出所などを隠蔽して、一般市場で使っても身元がばれないようにする行為である。「マネー・ローンダリング」(money laundering)の訳語。「ロンダリング」と伸ばさずとも間違いではないが、金融庁などの公的文書では「マネー・ローンダリング」で統一されている。マイヤー・ランスキーがマネーロンダリングの創設者といわれる。略称は、「マネロン」。

概説

汚れた金(=規制薬物取引、盗品などの贓物(ぞうぶつ)取引、詐欺、脱税、粉飾決算、裏金などによって得られた収益)を、捜査機関による差押え・摘発を受けたりすることなどを逃れたり、新たな犯罪の資金源として利用したりする目的で、架空人または他人名義の金融機関口座などを利用して転々と送金を繰り返したり、または会社の債券や株式の購入、古典的な方法としては大口寄付など、その他合法的な財産と混和させるなどの方法が採られる。また、最近ではオンラインゲームでゲーム内経済を混乱させるとして問題になっているリアルマネートレーディング(RMT)行為なども、これに悪用されているのではないかという懸念が根強く指摘されている。
~ウィキペディア(Wikipedia)より~

【コメントに反論4】「三輪清浄」

「三輪清浄」の典拠
 ↓ ↓ ↓
●『大乘本生心地觀經』「三輪清浄偈」(T. vol.3 p296b)
 能施所施及施物  能施と所施及び施物は
 於三世中無所得  三世の中において無所得なり
 我等安住最勝心  我等、最勝心に安住して
 供養一切十方佛  一切の十方の仏を供養したてまつる

(訳)
 与える者(能施)・与えられる者(所施)・与えられる物」(施物)は、
 過去・現在・未来の三世を通して、
 とらわれのないもの(無所得=空)である。
 私達は、このような最も優れた心に達しながら、
 ありとあらゆる十方の諸仏を供養したてまつる。



「とらわれのないもの(無所得=空)」ちゅうのがポイントね。
ちなみに以下が「三輪清浄」がわかってない発言のサンプル。
    ↓

三輪清浄

貴方様のような
清浄の心をお持ちの貴方様に
私のような下世話な人間が発言いたしましたことを
深く反省しております。
どうぞその清らかな心で
仏法のなんたるかを
世の人々におひろめください。

2009-06-18 : ●● URL : edit


【コメントに反論3】帝王学ですか(笑)。

先ほど、クラクラするようなイカシ(レ?)たコメントに反論しました。
せっかくなので、記事にして永代晒し者にしたいと思います(笑)。
 ↓ ↓ ↓
【ツッコミ依頼】青年大会にツッコミ!! より

【コメント】
分からん奴には一生わからん

言葉の表面しか見えん奴には、一生わからんやろうな
仏法分からん人が聞いても何を言わんとしているのかは分かる
帝王学も必要なんだよ、人を導くには

欲が深いと言われて
怒るのは自分の欲深さに気付いてない証拠やろ?

財施は出した者の功徳、そこで終わり。
出した後の使い道までクドクド言うのは
下世話すぎ、苦毒やな
2009-06-17 : 帝王 URL : edit


【反論】
No title

>帝王さん
その言葉は、誰に向かって仰っておられるのでしょうか?
必死に財施をされている会員さんにですか?

だとしたら、私はどんでもない話だと思いますけどね(苦笑)。

貴方が高●先生に大金をつぎ込むのは勝手です。
どうぞ、好きにしてください。

ただし、高●先生は貴方から頂いたお金を、
蓮如上人が門徒から頂いたお金とは、
全く異なった感覚で受け取っておられます。

そんな気持ちで受け取る野郎に布施しても、
功徳にはならないと思いますけどね。私は。

「三輪清浄」ってご存じですか?

思考停止も結構ですが、たまにはご自分で調べてみてはいかがでしょうかね~。
2009-06-17 : 苦笑(本人) URL : edit


【コメントに反論2】『正像末和讃』66の解釈について

つづき

やさしい浄土真宗の教え §15所謂「信前の念仏」について より

~~苦笑の本文~~
そんでもって親鸞聖人は、

 信心のひとにおとらじと
 疑心自力の行者も
 如来大悲の恩をしり
 称名念仏はげむべし
(『正像末和讃』66)

と仰っておられまする。(注4)

「往生を不定におぼしめさん人」
 =「疑心自力の行者」(信前の人)であっても、
「わが身の往生、一定とおぼしめさんひと」
 =「信心の人」(信後の人)におとらないように、

「如来大悲の恩をしり称名念仏はげむべし」
と仰っておられるわけやから、

親鸞聖人が「信前の人」に、「称名念仏はげむべし」
と勧めておられることは絶対に否定できまへんな~。
~~苦笑の本文~~

~~コメント~~
「如来大悲の恩を知り」→信心決定して
「如来大悲の恩を知り称名念仏はげむべし」→信心決定して報恩感謝の念仏(信後の念仏)を称えなさい
~~コメント~~

あの・・。

まず、貴方が法然上人の教えをちゃんと理解してないから、
こういう解釈になるのよ。

法然上人の教えを基準に、親鸞聖人の教えはそれに抵触しない形で解釈してね。
 ↓
【コメントに反論1】『念仏往生義』の解釈に関して

それに、

阿弥陀仏が、どれほど途方もないご苦労をされて、
本願を実現して「南無阿弥陀仏」の名号を作られたか?
釈尊がどれほど私逹のことを思って教えをお説きになられたか?

その「恩」に「報いる」ことができるのは、「信心決定」した「後」ですが、
その「恩」を「知る」のは、「信心決定」する「前」でも、
「聴聞」を重ねることによって、ちょっとずつ「知る」ことはあるのよ。

★他力の救いは一念
★阿弥陀仏の慈悲が時間をかけて浸透してくる人もいる

この二つは全然矛盾してないのに、
思考がデジタルで、これがわかんない人が多いから、
蓮如上人の言葉も挙げながら、
丁寧にレクチャーしてあげたんやけど、読んでないのでしょうかね?(苦笑)
 ↓
~~§8 なかなか信心獲得できない人のために・・~~

一 「至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり、水よく石を穿つ、
心源もし徹しなば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」といへる古き詞あり。
いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、
御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。
ただ仏法は聴聞にきはまることなりと[云々]。
『蓮如上人御一代記聞書』(193)

(訳)
「極めて固いものは石であり、極めて柔らかいものは水である。
しかしその柔らかい水が石に穴をあけることができるのである。
もしも心の底を徹していったならば、仏の覚りすら、
どうして成就することができないことがあろうか(いや絶対に成就する)」
という古い言葉すらある。

どれほど信心のないものであっても、聴聞を心に入れていくならば、
阿弥陀仏の慈悲が我が身に伝えられていくのであるから、
必ず信心を得ることができるのである。
ただひたすらに仏法は聴聞することに尽きるのである。
~~§8 なかなか信心獲得できない人のために・・~~

まあ、ちゃんとした「聴聞」ができる環境じゃないのかもしれませんから、
今からでも遅くないし、これぐらいは読んでくださいね。
 ↓ ↓ ↓
苦笑の独り言 やさしい浄土真宗の教え

というか、私が執筆している「やさしい浄土真宗の教え」は、
「信前」の方が、浄土真宗の教えを「知る」ことにより、
阿弥陀仏の本願に乗じて「信心決定」して頂く目的で書いております。

貴方がお聞きになっている組織では、そうでないのでしょうかね~。
私には全く理解不能な、「先生の御恩」はよくご存じなのにね(苦笑)。

【コメントに反論1】『念仏往生義』の解釈に関して

以下、「§15所謂「信前の念仏」について」に頂いたコメントへの反論です。

~~苦笑の本文~~
法然上人は、「念仏すれども心の猛利ならざる人」で、
心の内に「弥陀を憑(たの)む心」の「なきにしもあらず」という人に対し、
「功を積み徳を累ぬれば時々猛利の心も出で来るなり」と、
いずれの行よりも優れた功徳のある「念仏」を勧めてはります。(注2)

注2 『念仏往生義』浄土宗聖典 vol.4. pp.524-525

また念仏すれども心の猛利ならざる事は末世の凡夫のなれる癖なり。
その心の内にまた弥陀を憑(たの)む心のなきにしもあらず。
譬えば主君の恩を重くする心はあれども、宮仕する時いささか物憂き事のあるがごとし。
物憂しといえども恩を知る心のなきにはあらざるがごとし。
念仏にだにも猛利ならずば、いずれの行にか勇利ならん。
いずれも猛利ならざれば、なれども一生空しく過ぎば、その終わりいかん。
たとい猛利ならざるに似たれども、これを修せんと思う心あるは、こころざしの験(しるし)なるべし。
「好めばおのずから発心す」という事あり。功を積み徳を累ぬれば時々、猛利の心も出で来るなり。
始めより、その心なければとて空しく過ぎば、生涯徒(いたずら)に暮れなん事、後悔先に立つべからず。
~~苦笑の本文~~


~~コメント~~
「なき」→ない
「なきにしもあらず」→ある
「弥陀を憑む心のなきにしもあらず→弥陀を憑む心のある→信後
~~コメント~~

あの・・。

自分の脳内の思想の都合のいいように、
私の解説&法然上人のお言葉の原文から、
「念仏すれども心の猛利ならざる」人にお説きになられた、
という部分を故意に削除してません?(苦笑)

それに、法然上人のお言葉の原文には、

「始めより、その心(=猛利の心)なければとて空しく過ぎば、
生涯徒(いたずら)に暮れなん事、後悔先に立つべからず。」

という部分がありますが、貴方の解釈は、
それも楽勝ですっ飛ばしてまっせ(苦笑)。

脊髄反射で反論したくなったのかもしれませんが、
法然上人の教えを捏造するのはやめてください(苦笑)。


というか、貴方(方?)の「信心」は「信後」でも、
「猛利の心」がないまま、空しく過ごして、生涯を徒(いたずら)に暮らして、
「後悔」しまくる「信心」でござりまするか?

そのような「信後」しかないような教えを、
ずっとお聞きになっている貴方が心配です(苦笑)。



ついでに言っておくけど、私の解釈に反論するなら、
「いかなる方法をもてか我が心をも護り信心をも催すべきや」
という質問に、

「常に念仏してその心を励ませ」とお答えになられた、
『十二箇条問答』の解釈にも反論しなけりゃあきませんな~(苦笑)。

つづく
プロフィール

苦笑(本物)

Author:苦笑(本物)
「後生の一大事がわかってない」
「秋葉原の連続殺人犯を思わせる」
「どす黒い、蛇のような心」(これは後に撤回)

みんなの人気者(?)苦笑が言いたい放題暴れます。
賛成でも反対でもコメントは大歓迎!
放置プレイにするか、愛(?)を込めて返事を書くかは、
その時の気分しだいだけどね(笑)。

メル友慕賞中!!
nigawaraihonmono@gmail.com

※私にメールで質問してもエエけど、
 解答はQ&Aでみんなにシェアするかもしれません。

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